寝子(@necononegot)さんの人気ツイート(いいね順)

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機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがち。。
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家族療法では、不適応を示した人を「家族内の病理を代表した人」と位置付ける。家族の病理を背負って家族全体のSOSを体現した人。だから「まともだから病んだ」は真実である場合がある。「弱いから病んだ」わけでも「自分の病気のせいで家族が」でもなく、「一家の病理を1人で背負った」ということ。。
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幼少期から感情を抑えていると、心の傷があやふやなままいくつも蓄積されてしまう。気持ちを聞いてもらえなかったからいざ表現するとなると「黙るか半狂乱か」といった両極端になってしまうことも。「自分の気持ちを認知して言葉にする」というスキルはハイレベルなのに自然に備わっている前提がつらい
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「自分軸を持とう」という言葉が流行っているけど、もし「他人の気持ちを優先してしまう」としたら、それはそうしなければ生き抜けない時期があったから。かつては自分で自分を助けるための懸命な対処で有効だったはず。そんなしんどい状況をよく生き抜いてくれた自分にまず気づいて褒めて労ってほしい
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幼少期の環境が悪いと心身の発達に影響する。だから「頑丈な大人」にはなりにくい。内臓が弱く体力があまりない上に、神経過敏なゆえに消耗が早い。。だから本当に「がんばれば」「怠けてる」といった精神論ではもっと衰弱してしまうだけ…。 現実的に難しいことは多いけれど、とにかく環境は大事。。
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感受性が強い人は「他人の感情がそのまま伝染する」から「気にしない」では済まない。場合によっては本人以上に痛みを感じている。感情の中でも「不機嫌」「攻撃性」は特に波動が強いから近くにいるだけで傷ついてしまう。でもそれは自分のせいじゃない。痛みが分かるから優しさも人一倍なことが多い。
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よく「お互いさま」とか「人を責めても仕方がない」とか言いますがそんなことはない。理不尽な被害に遭った場合は、一度ちゃんと被害者にならないと回復が妨げられてしまう。逆にいえば、ちゃんと人のせいは人のせいとできると次に進める。。自分のせいじゃないことを理解するってすごく大事。。
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子ども時代が苦しい環境であると「耐える」ことしか選択肢がない。そのため、自分の人生の選択意識をしっかり持つことができず「自分の人生は自分以外の他者次第」と無意識に刻まれることがある。意識的には選んでいるかのように「今の環境に耐えてなくては」と自分を叱咤し我慢をし過ぎてしまうことも
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機能不全家庭では、子どもが親に「合わせる」という逆転現象が起きる。そうすると、子ども側は常に「自分の在り方はどこか間違っている」という思いを抱きつづけることになる。自然な感覚を否定して親に合わせ続けたことが、根深い自己否定感の根底であることも。自己否定は過酷な環境を生き抜いた痕跡
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機能不全家庭に育つと、誰かが褒められていると責められてる気がしてしまうことがある。かつて家庭で「それに比べて」と貶められたことで大人になっても遠回しの自己批判と反応してしまうことが少なくない。そんな自分に更に嫌気が差すことも…。でもそう感じることは無理もないことかもしれない。。
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すごく大事だと思うことは『思考の歪み』や『過剰適応』傾向があろうと、それが「悪いこと」ではないということ。「それだと自分が苦しいから変えた方がいいかも」ということであって、むしろ自分にストレスを課しながらすごく頑張って生きてきたということ。変えようとする前にものすごく褒めてほしい
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人に嫌われることを非常に恐れてストレスを抱える場合、子どものころに親の機嫌に振り回されていたからであることも。親に嫌われたら生きていけない。「そこに居るためには好かれないと」という切迫した生存スキルが対人関係全般で反応していることがある。「気にしない」という軽いレベルでないことも
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機能不全家庭で育つと、いつも「我慢」している状態が通常になる。そのため「我慢」に気づきにくいために「小出しにする」「我慢し過ぎない」ができず、限界を超えてから気づくことが珍しくない。「我慢」に慣れてはいても「過去の我慢の苦痛」も伴っていることで自覚している以上に溜まっていることも
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「精神的健康のためには依存先をたくさん持つ」と聞くけれど、人それぞれ「適度な刺激の量」は異なる。「依存先」を複数持てるほどの気力体力がなければできないしトラウマがあると「楽しむ」ことそのものが難しくなる。だから頼れる他者や趣味がなくてもなにも悪くない。助言が呪いになりませんように
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心が苦しいほど「適切に」人を頼ることができない。全て自分で抱え込んでしまったり、頼る時は「爆発」して極端な頼り方になってしまったり、「病」となってそれでも頼れなかったりする。。「人に頼る」というのは健康な人が思ってるほど簡単ではない。必死に頼って傷つけられたら致命傷になってしまう
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「白黒思考」にならず「グレーを持つ」ためには余力が要る。なのでストレスフルであるほど極端な捉え方になってしまう。些細な指摘を「全否定された」と感じるほど傷ついてしまったら、それほどいっぱいいっぱいの状態で限界のSOSであることも。捉え方の修正よりまず休息が何より必要かもしれない。。
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「善意」だからって受け取らなくていい。「善意」を向けられると本当は嫌だったり不快になったりしていても感謝しないといけない気がする。でも本来は他者からの関わりに対して自分がどう感じるかは選んでいい。本当の「善意」なら、こちらに感謝の強要をしたりはしない。「善意の仮面」に気をつけて…
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「心の病はメンタルが弱いから」は大誤解。適応障害やうつ病になる人はメンタルが弱いのでなく「我慢強過ぎて、自分にだけやたら厳しい」ことが原因であることが多い。だから「メンタルを強くしなきゃ」は逆効果。「癒し方」や「耐えないスキル」などの「自分への厳しさの緩和」が必要なことが多い。。
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幼少期から苦労が多いと「普通になりたい」「普通にならなきゃ」と強く思うことがある。「普通」って基準がないから頑張っても報われない。そのうち許容範囲を超えて頑張る「過剰適応」が自分の「普通」になってることがある。それがおかしいのではなく、世の中の「普通」圧力がとてつもないということ
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親の機嫌を伺って育つと、他者の不機嫌さに過敏になり、不機嫌の原因を真っ先に自分ではと考えたり、自分への些細な注意を人格否定のように受け取ってしまい、何度も反芻してしまったりするようになる。それはかつて、必死に親を穏やかにしようと考え続け、否定に深く傷つき続けていた現れであることも
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親の機嫌の悪さに傷つく経験が多いと、「不機嫌は人を深く傷つける」と心に刻まれて、自分の負の感情を少しでも出すことができなくなる。いつも笑顔で明るくいようと頑張り続ける。でも「不機嫌という八つ当たり」と「自分の気持ちの表明」は別のものだから出してもいい。全世界の機嫌を伺わなくていい
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機能不全家庭で育つと、誰かが困っていたり不調を訴えていると「何とかして」と責められているように感じたり、「自分が何とかしないと」と誰かの負担を負おうとし過ぎてしまったりする。。でも、今はもう何もしなくても誰も責めないかもしれないし、肩代わりしなくていい。そもそも自分のせいではない
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親の機嫌を伺って育つと「場の空気の悪さ」や「人の機嫌の悪さ」に耐えられないほど動揺しがちで「自分がなんとかしなくては」と、攻撃的だったり不安定な人の機嫌を取ろうと自分から関わることを繰り返すことがある。「人の機嫌を直す役目は自分」は呪い中の呪い。。人より自分を1番大事にしていい。
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「1回逃げるとこれからも逃げ続けることになる」という言葉、ただの脅迫かと。むしろ若いうちに「合わなかったら辞める」という経験をすることはものすごく大事で、将来の助けになる。「逃げられなくなる」方がよっぽど人生に悪い…。 「恐怖」を与える言葉は有益な助言ではないことがほとんど。。
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機能不全家庭で育つと自分の気持ちを感じる余地がなかったために、大人になって出来事に対する感情を感じるまでタイムラグがあることがある。自分の気持ちを瞬時に理解することは、たくさん経験して慣れていないとその場では分からないことはおかしくない。それだけツライ環境の中で頑張ったという証…