1869年6月20日、土方歳三が戦死しました。 箱館戦争では松前城を陥落させるなど指揮官として活躍し、新政府軍が上陸しても、土方が守る二股口では連戦連勝していました。 最期は新選組の守る弁天台場が新政府軍に包囲され孤立していたところを救出するために出陣したところを撃たれ亡くなりました。
今日はラーメンの日です。 日本で最初にラーメンを食べたとされる徳川光圀の誕生日にちなみます。 明の儒学者の朱舜水から献上された中華麺をもとに作り方を学び、自ら作って周囲にごちそうしていました。 光圀はほかにも餃子、チーズを初めて食べた日本人であるといわれています。 #ラーメンの日
1905年3月10日、日露戦争の奉天会戦で日本がロシアに勝利し、奉天を占領して奉天城に入城しました。 これを記念し「陸軍記念日」として、日本海海戦での勝利を記念した海軍記念日と並んで祝日とされました。 戦後、この祝日は廃止されています。 写真は1944年の有楽町での陸軍記念日式典の様子です。
明治時代に撮影された大阪の風景
大正〜昭和初期に撮影された札幌の風景
1974年3月12日、太平洋戦争に従軍し29年間ゲリラ戦を展開していた小野田寛郎がフィリピンから帰国しました。 小野田は拾った日本の雑誌から、東京オリンピック、東海道新幹線開業など、日本が繁栄している事は知っていました。 しかしその日本はアメリカの傀儡政権であると信じていたようです。
今日は『ネコの日』です。 ネコはネズミの害から穀物を守るために奈良時代頃に中国から輸入され、以降長きにわたって鼠害防止の益獣、および貴重な愛玩動物として扱われました。 江戸時代にはネコが貴重で少なかったため、ネズミ駆除のために猫絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいました。
1930年11月4日、秋山好古が亡くなりました。 日露戦争で騎兵旅団を率い、ナポレオンをも破った世界最強のコサック騎兵を相手に好戦し、日本騎兵の父と呼ばれました。 酒が大好きで、戦場でも水筒に酒をつめ馬に乗りながら飲酒しており、それでも足りず部下の水筒にも酒をつめていたといいます。
1945年5月25日、B29爆撃機470機によって東京で空襲が行われ、3,651人の死者が出ました。 この空襲で天下三名槍の一つ「御手杵」が松平家所蔵の宝物とともに焼失してしました。 当主は槍を埋めるように言っていましたが、家人が宝物にそんな扱いはできないと無視していたことが仇になったようです。
明治時代〜大正時代に撮影された大阪の風景
1835年5月31日、新選組副長の土方歳三が生まれました。 土方は容姿が良く芸者、舞妓などから恋文をたくさん送られています。 土方はそれを木箱にまとめて日野の親戚のもとに「つまらぬ物」と書き送って自慢していました。 「報国の心わするゝ婦人哉」という発句が手紙に添えられていたといいます。
1936年5月18日、「阿部定事件」が起きました。 芸妓の阿部定が性行為中に愛人を絞め殺し、その男性器を切断し、懐に所持して逃亡した事件で、その猟奇性ゆえに、事件発覚後及び逮捕後に号外が出されるなど、世間に大きな衝撃を与えました。 二・二六事件と並ぶ「昭和11年の三大事件」の一つです。
明治時代に撮影された清水寺
1909年10月26日、伊藤博文が、日本による韓国支配を嫌った民族活動家・安重根に射殺されました。 しかし、博文は韓国併合には否定的で、暗殺により皮肉にも韓国併合が加速しまったという見解があります。 博文は自分を狙撃したのが韓国人だと分かると「馬鹿な奴だ」と呟いたそうです。
二・二六事件、占拠された山王ホテル 戦後はアメリカ軍に接収され、長きにわたって日本人の立ち入りが禁じられるなど、数奇な運命をたどりました。
1909年6月23日、 スリの大親分だった「仕立屋銀次」が、日暮里で逮捕されました。 全盛期には手下のスリを約250名抱え、更に弁護士も雇うほどで、その奢侈な生活ぶりから明治後期には「日本一のスリ一味の大親分」として有名でした。 「桃太郎電鉄シリーズ」の「スリの銀次」のモデルになっています。
1946年4月29日、東京裁判でA級戦犯28名が起訴されました。 裁判は長引き、死刑が実行されたのは2年後の1948年12月23日でした。 被告が起訴された4月29日は昭和天皇の誕生日、死刑が執行された12月23日は当時皇太子であった明仁親王の誕生日でした。 #昭和の日
和田合戦時点の登場人物の年齢(満年齢) 北条義時 50歳 北条政子 56歳 源実朝  20歳 千世 20歳 北条泰時 30歳 初 26歳 北条朝時 20歳 北条時房 38歳 大江広元 65歳 八田知家 71歳 三浦義村 45歳 三浦胤義 28歳 長沼宗政 51歳 和田義盛 66歳 朝比奈義秀 37歳 和田義直 36歳 #鎌倉殿の13人
明治時代の初めごろに撮影された東京の風景
1867年12月10日、坂本龍馬が暗殺されました。 龍馬は午後8時頃、中岡慎太郎と近江屋で話していたところ、十津川郷士を名乗る数人に襲撃され、ほとんど即死に近い形で殺害されました。 旧暦にはなりますが、龍馬の誕生日と命日が同じ11月15日になってしまいました。
金ヶ崎の戦いが起きた時の登場人物の年齢(満年齢) 徳川家康 27歳 浅井長政 25歳 お市 20歳前後 酒井忠次 43歳 本多忠勝 22歳 榊原康政 22歳 平岩親吉 28歳 渡辺守綱 28歳 石川数正 37歳 織田信長 35歳 木下藤吉郎 33歳 柴田勝家 48歳前後 明智光秀 54歳 #どうする家康
1932年5月15日、内閣総理大臣の犬養毅が青年将校に暗殺される「五・一五事件」が起こりました。 政党政治が根付き始めた一方、不況により失業者が増加し、政党政治が敵視され始める中での事件でした。 青年将校らに歩み寄る犬養が射殺され、彼らの主張が肯定されたことで、軍部の台頭が加速します。
明治時代の初めごろに撮影された日本の風景
1986年7月31日、杉原千畝が亡くなりました。 ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に大量のビザを発給し、避難民を救出したことで知られています。 このビザ発給は外務省の訓令に反したものですが、杉原はのちに「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」と語っています。
1889年1月18日、石原莞爾が生まれました。 関東軍の参謀として満州事変を起こし、約1万人の兵力で23万の敵軍を相手に立ち回り、満州を占領しました。 東京裁判では、連合国が日清、日露戦争の頃まで歴史をさかのぼり戦争責任を問うと言った際、だったらペリーを連れてこいと反論した逸話もあります。