コロナ渦中、友人を亡くしました。いつ死ぬかわからないと思った時「そういうことは黙ってた方がいい」「作家として困るんじゃない?」といった囁きは耳に入らなくなりました。いま生きているこの瞬間に、言うべきことは言っておきたいです。そして、小説が書けるようになりたい。少し楽になりました。
園子温監督のことはだいぶ前に私のような映画関係者でない人間の耳にも噂で届いていた。 皆わかっていても、見て見ぬふりをして放置していた。 文芸界のあの人あの集団のことについても業界内で知られているだろう。 しかし近い将来潮目が変わって、セクハラパワハラが必ず明らかになると信じている。
新人賞受賞を祝ってやるからと呼び出し、掲載された作品に赤字を入れてひとしきり絡み、べろんべろんに酔って身体をやたらに触ってきたあげく、支払いをせず(私が払った)店を出ると抱きついてしつこくキスしてきた先輩作家。リベラルぶって調子乗ってるけど女性の人権は無視だし力関係利用してるよね。
やむを得ない事情で外出。なるべく電車を使わないようにしているので、タクシーに乗った。運転手さん、ずーっと、コロナが中国のテロだと話し続ける。つらい。つらい。反論しているが、かたく信じているようだ。30代後半から40代前半の男性ドライバー。私こそがテロにあったようでしんどい。しんどい。
40代半ばで作家デビューした私ですらセクハラと無縁ではなかった。そして50代になってもトラウマを引きずっているのだから、若い書き手や編集者の女性たちが日々どれだけのセクハラに晒されているかを思うと暗澹たる気持ちになる。これはあらゆる業界やコミュニティの非対称な力関係の下で起きている。
自分があったセクハラ、性的搾取の被害は周りの人に実名を出して訴えてきた。 みな慰めたり同情してくれた。 けれどもなにかアクションを起こしてくれることはなかったし、私自身も、聞いてもらうことで精一杯だった。 snsで実名出したらこちらが潰れされる。匂わせただけで速攻で脅しのメールも来た。 twitter.com/motherhoodnove…
少し前に、 15年近く前の、あるセクハラにまつわる、忘却しようとしてもできなかったことが、 どのような形でそのコミュニティーでとらえられていたか、ということを詳しく知る機会がありました。 それ以来、さまざまなことがトリガーになり、心が乱れて、体調を崩しがちです。
私は書いている小説のテーマや作家としての姿勢から、リベラルな言説を唱え人権意識の高い人と知り合う機会が多い。彼らのような人達がセクハラをするわけがないと油断していた節があったし、しない人が大半だった。だから余計にショックが大きかった。セクハラ男の大事にする人権に、女は含まれない。
今日用事があって、銀行に行き、若い女性行員と話していたら、毎日窓口に来てしつこく誘ってくるおじさんおじいさんの相手が本当に大変だと言っていた。むげにできないし。 また、女性行員が制服を着ていないことに切れる客が多いので、窓口の制服が復活したそう。 カスタマーハラスメントも相当酷い。
ヘイトスピーチが起きる。加害者は反省し謝罪し、真摯な態度と褒められ許されるかもしれない。しかし、一度でも吹かれた犬笛は、さらなるヘイトスピーチを喚起する。被害者はさらに被害を受け続け、ヘイトスピーチは収まらず、むしろひどくなっていく。この圧倒的な非対称性を多くの人に知ってほしい。 twitter.com/li_kotomi/stat…
しかし、押し込め、なかったことにしようとしてきたことが、 どれだけ自分を蝕んできたかを認めようと、あえて明らかにしました。 自分を大事にしよう、自分を大事ににしていいんだと。 一文字も小説が書けなくなっている現状を克服したいです。 最後まで読んでくださりありがとうございました。
作家の同僚さんたちにすら「深沢さんは社会派」とか「そっちの人」とか「私は深沢さんみたいに立派なこと書いてないです。エンタメ作家ですから」と言われます。 笑って応えずにずいますが、悲しくなります。 「社会派」って、ちょっと皮肉をこめているんですよね。 まあ、私は私の物語を書きますよ。
在日コリアンを描いたある映画を観てちょっとこれは(在日コリアンへの誤解と偏見を招く)と思い、率直に感想を述べたら「監督は在日コリアンのために作ったわけではないですから」と配給宣伝側の方に言われた。 日本人は絶賛とのことだが、消費され傷つく当事者は?ドラマ「新聞記者」にも通じる問題。
セクハラのことを藁をもすがる思いで相談した、信頼していた相手が、それを広め、コミュニティの中では作り話だとされ、色仕掛けだとか嘘つき、コミュニティを毀損する存在として私が語られていることは、最近詳しく知りました。セクハラそのものもさることながら、この仕打ちに、打ちのめされました。
いまは、海に向かって叫んでいるような感じだけど、誰かに声は届くはず。 叫ぶ仲間も増えて、声を拾ってくれる人も出てくる。
セクハラの話を最初にツイートしたのは昨年の5月頃でした。 それから事あるごとに触れてきて、やっと動き始めました。 私はデビューも遅く文芸界で生きるのは短い。だから声をあげて面倒くさい奴だと思われてもいい、避けられたらそれでいいと思いましたが、ほぼ無視された事には非力を実感しました。
Twitterについては、アカウントを消しては復活し、宣伝告知のみを細々と行ってまいりました。なぜならTwitterは私にとってヘイトを向けられる場だったからです。しかし、声を届ける有効なツールでもあります。この後しばらく、セクハラ、性搾取についての投稿をします。
9月1日。関東大震災のあった日。防災の日。 母方の祖父は、関東大震災の際に自警団に襲われそうになったが、警察に収容されて命を永らえた。 この投稿について考えている。知らない、ということについても。 twitter.com/ochoro4/status…
#文学界に性暴力のない土壌を作りたい  私も某大御所作家から「セックスをしないと良いものが書けない」とか「女性作家は恋多き女でないと」と言われて関係を迫られました。 これらや私が以前ツイートしたセクハラはだいぶ前のことですが、現在も起き続けており、黙らざるを得ない人がほとんどです。 twitter.com/luna_yumi/stat…
なぜ、セクハラにあい、切実な思いで勇気を出して、できうる限りで、過去のことをツイートした私が、 実名で告発しろと厳しく責められなければならないのでしょうか。 (ブロックしましたが) このセクハラの訴えは昨年もしているし、性的搾取するおっさんの小説も書いています。 これ以上なにをしろと?
韓国から来た友人に会うとタクシーの運転手さん(60代男性)との雑談で話したら、 あそこの国の言葉変ですよねえと言ってから、北のアナウンサーの抑揚を真似して意味不明な音の羅列。 腹が立ったので、それ差別ですよね、と言ってタクシーを止めてもらってすぐに降りた。 こういう運転手さん結構多い。
私は、伊藤詩織さんの事件を知った時、目をそむけてしまいました。 支援に積極的ではなかったし、SNSで言及することも控えてしまいました。 それは、私の奥底で自分の経験したこととつながってしまうからだったのだと思います。 そして、私の場合は「軽い」のではないかと自分に言い聞かせてきました。
出版界(言論界)において、権力のある男性ジャーナリストが、フリーの女性ライターに応援と言いながらセクハラをする掌編小説。東京新聞に載ったものです。 自身のセクハラ体験がもとになっております。 文学界よりさらに男性の権力の強いノンフィクション界隈。 #文学界に性暴力のない土壌を作りたい
ここまで書いてきたことは、セクハラ当事者に復讐するという目的で書いたのではありません。 こういう事実があった、ということを知ってもらいたいのです。 これらの話を友人知人にしても、聞き流されたり、慰められて「忘れた方がいい」と言われることが多かったし、自分もそう思っていました。
これらを友人や知人に話すと、 「魅力的だから」 「かわいかったからだよ」 「モテモテだね」 「自慢?」 「あなたには隙があるから」 「まじめすぎる」 「繊細すぎる」 「うまくやり過ごせ。男とはそういうものだ」 「あなたが女を利用している」 「自分が誘ったんでしょう」 「嘘。作り話でしょ?」