【硫黄島兵士の正月】「元日だけは全然(米軍の)爆撃がなかったですよ。アメリカも小憎いですね。正月だけはゆっくりさせようという対応でしたね。それでみんな正月だけはのんびりしてね」。そう話した元兵士は昨年99歳で他界しました。戦争取材は時間との戦いだと自戒し、新年も東奔西走する決意です
戦前戦中に硫黄島で暮らした旧島民たちの故郷の味「島寿司」。硫黄島民1世の男性(84)直伝のレシピ通りに自宅で握ってみたところ「えも言われぬ美味しさ」としか言い表せないうまさでした=写真=。しかも、とっても簡単。直伝レシピは、引用元のツイートをご参照下さいませ。 twitter.com/Iwojima2020/st…
#硫黄島 戦没者のご遺族と共に、人混みを避けつつ、都内の高尾山へ。登山道には多くの人。でも、今年で建立50年となる「硫黄島戦没者慰霊碑」前はひっそり。しばし足を止めて眺めていると、まるで「よく来たね」と喜ぶように、石碑に日が差しました=写真=。
70年前の今日。午前10時半。戦後初の政府派遣の遺骨調査団が硫黄島に上陸しました。全国から集められた応召兵ら2万人のうち95%が戦死した島の壕内には、多数の遺骨が残存。総攻撃に転じるとの訣別電文を最後に消息を絶った守備隊兵士たちの現状が同行記者によって報道され、国民に衝撃を与えました。
【硫黄島 メダカの活躍】川がない渇水の島でも人々の生活は豊かでした。民家には雨を貯める飲料水用水槽が。島民は貨客船が本土から運ぶメダカを買い、水槽に放ちました。ボウフラの天敵だからです。メダカが死んだらその水は飲みません。水質のバロメーターでもありました。島民2世から聞いた昔話です twitter.com/Iwojima2020/st…
【玉砕地硫黄島の戦死者2万人のうち1万人が行方不明の謎】を追い、米軍文書を入手しました。それによると戦闘終盤の45年3月下旬の時点で米軍は日本兵13449人を埋めたと記録。ちなみに近年特定された集団埋葬地から出土した遺骨は千数百柱でした。未収容の兵士の遺骨は今どこに。記録の発見が望まれます
#硫黄島 戦で消息を絶った1932年ロス五輪馬術金メダリストの西竹一男爵(バロン西)。西夫人は52年ヘルシンキ五輪の日本代表壮行会で形見のムチなどを馬術代表選手に託しました。西男爵の消息は不明のまま年月が過ぎましたが、彼の〝魂〟は終戦の7年後、オリンピックの舞台に向かったのです=写真=
遺骨1万柱が今なお未発見の #硫黄島。ある議員は「多くの生還者が『滑走路の下に戦友がいる』と言い続け、亡くなった」と無念さをにじませ、こう語りました。「実際に滑走路を掘り返さなければ、遺族と戦友の戦後70年をかけた悲願は達成されない」 全文は特集「令和の硫黄島」bit.ly/2Pyhx2G
昭和期の硫黄島遺骨収集の公文書を読了。遺骨以外に「タイムカプセル」のような発見が多々あったとよく分かりました。一例がこの記録。「ある壕では、かまどの上にご飯入りの飯ごうが25個並んだままの状態で見つかった。梅干しやたくあんの樽も。ただし遺骨はなし」(要約)。兵士はどこに消えたのか
【硫黄島民のグルメ(゚д゚)ウマー】島民2世直伝の「パパイヤのきんぴら」の美味しさに驚きました。スライスして砂糖、醤油、みりんで味付し炒めるだけ。戦火で焦土化する前の硫黄島は、砂糖の産地でもありました。柔らかな甘みを味わいながら、平和だった時代に思いを馳せました。皆様も是非お試しを― twitter.com/Iwojima2020/st…
【帰還を望む戦没者遺族に朗報を伝えないと!】。そんな思いで即日、記事化しました=写真=。 #硫黄島 の遺骨の身元がDNA鑑定で初特定されたと厚労相が国会で公表したとの記事。硫黄島など対象の鑑定開始を知る遺族は僅かです。いち地方紙記者の身ですが、なんとか全国の遺族に知らせる一助になりたい
「戦没者遺骨をご遺族のもとへ」「10月1日から申請受付開始」―。厚労省がそんな遺族向け広報紙の配布を始めました。沖縄など一部地域限定で行ってきた遺骨返還のためのDNA鑑定を10月から拡大。過去に遺骨を収集した全地域を対象とします。1952年に始まった遺骨収集事業。大転換とも言える制度改正です
【3.24硫黄島関連】本年度収容された戦没者遺骨を乗せた自衛隊機が今日、入間基地に到着。礼装の自衛官が整然と並び、戦後76年経て帰還した #硫黄島 兵士に敬意を表しました。遺骨はバスで厚労省へ。基地内の沿道の桜はほぼ満開でした。車窓越しに見たであろう本土の桜。大いに喜んだことと思います twitter.com/jasdf_iruma/st…
きょう8月28日はソ連軍が北方四島への侵攻を開始した日です。日本固有の領土なのに戦後76年たっても元島民や子孫が自由に帰れない島は、ほかにもあります。#硫黄島 です。93歳の元島民が取材に応じてくれました。記事全文を公開中です。「南方領土」の歴史にも目を向けたい―。hokkaido-np.co.jp/article/447171…
#硫黄島 通信兵の最期を巡る情報は様々です。父島の元将校によると、玉砕前に「サヨナラサヨナラ ジカンガナイジカンガナイ」との電文とともに「○ニヨロシク△ニヨロシク…」と人名や住所を交えた電文が次々と届いたそうです。死に際し、家族ら大切な人々に最後の思いを伝えようとしたと推察されます
【3.21硫黄島】「散るぞ悲しき」との硫黄島発の決別電報を受けた大本営は78年前の今日、守備隊が玉砕したと発表しました。67年後、遺骨収集団が通信班の拠点と機械類を地下壕で発見した、と新聞が報じました。付近で見つかった遺骨は「栗林中将の指示で打電した無線班員の可能性もある」とも報じました
#硫黄島 発の米軍戦闘機による惨劇「湯の花トンネル列車銃撃事件」(八王子市)。現場近くの高尾駅の柱にはその1カ月前に掃射された際の弾痕があり、本日見てきました。弾痕部分だけ塗装されず当時のままの柱。戦争の惨禍と平和の尊さを忘れないでー。駅ホームの雑踏の中、そんな声が聞こえた気がした
【なぜ地方紙記者が硫黄島の取材を】とよく聞かれます。戦時中、新聞は #硫黄島 が陥落すると全国で空襲が始まると報道していました=写真=。阻止すべく戦った兵士の多くは全国から集められた庶民で96%が戦死しました。その半数の遺骨が未収容のままの現状は全国的な戦後未処理問題と考えています
#硫黄島 遺骨考】先の大戦の戦没者の遺骨収集は、自衛隊の任務ではありません。米国など海外諸国では一般に、軍が遺骨の帰還を進めています。日本も戦前はそうでした。軍が解体された戦後は旧厚生省が所管し、遺児や戦友が現地での収容活動の中心を担ってきましたが、高齢化で過渡期を迎えています
【硫黄島の自衛隊員】#硫黄島 は自衛隊関係者以外、原則上陸不可の「謎の島」。その現状を伝える動画の公開を海自が始めました。ご関心がある方にとっては歓迎すべき情報公開。私が渡島した際は、史跡や石碑周辺の草刈りが尽くされているのが印象的でした。硫黄島の自衛隊員は「歴史」も守っていました twitter.com/jmsdf_4aw/stat…