【希少映像「ワレ帰還セリ」】戦後75年経て今年2月に人知れず本土帰還を果たした11人の #硫黄島 兵士がいます。自衛隊機で11柱の遺骨が着いた入間基地の隊員たちは礼装で整列。ラッパを響かせ帰還兵に最大の敬意を表していました。1分の希少映像をYoutubeで公開中です youtube.com/watch?v=8N0hmI…
【令和の帰還兵 初の迎春】厚労省内に「霊安室」があるのをご存知でしょうか。当年収容された戦没者遺骨が安置されています。先日 #硫黄島 戦没者遺族と共に拝礼する機会を得ました。入室すると祭壇には鏡餅が。「ようやく本土でお正月を迎える訳ですから…」。担当部局の職員の心遣い。目が潤みました
【なぜ地方紙記者が硫黄島の取材を】とよく聞かれます。戦時中、新聞は #硫黄島 が陥落すると全国で空襲が始まると報道していました=写真=。阻止すべく戦った兵士の多くは全国から集められた庶民で96%が戦死しました。その半数の遺骨が未収容のままの現状は全国的な戦後未処理問題と考えています
【硫黄島 メダカの活躍】川がない #硫黄島。民家には雨を飲料水として貯める水槽がありました。島民は貨物船が本土から運ぶメダカを買い、水槽に放ちました。ボウフラの天敵だからです。メダカが死んだらその水は飲みません。水質のバロメーターでもありました。島民2世から本日聞いた硫黄島昔話です
【ご注目 硫黄島遺族の皆様】政府が #硫黄島 などの戦没者の帰還を望む遺族を公募し、収容済みの遺骨の中にDNAが合致する遺骨がないか無料鑑定する画期的制度を昨年始めました。応募は75件と低調です。遺児は今や75歳超。全国から集められた応召兵を家族の元に帰す取り組みは時間との戦いです
【帰還を望む戦没者遺族に朗報を伝えないと!】。そんな思いで即日、記事化しました=写真=。 #硫黄島 の遺骨の身元がDNA鑑定で初特定されたと厚労相が国会で公表したとの記事。硫黄島など対象の鑑定開始を知る遺族は僅かです。いち地方紙記者の身ですが、なんとか全国の遺族に知らせる一助になりたい
#硫黄島 の遺骨の多くは土にかえった】そんな見方がある。しかし、遺骨収集団に参加した私は目にした。土から出た遺骨のうち大腿骨などは原形を保っていた。人の骨は予想より重く、ずしりとした感覚が手のひらから消えない。遺骨は風化に抗っているように思えた。故郷へ帰るため、まだ戦っているのだ
沖縄、硫黄島、タラワ戦没者のご遺族の皆様へ。 DNA鑑定で一部戦地の戦没者遺骨の身元を特定し、家族の元に帰す画期的制度を国が始めました。 鑑定費用は国が負担します。 以下、厚生労働省のHPをご参照下さい。 mhlw.go.jp/stf/seisakunit…
【硫黄島の自衛隊員】#硫黄島 は自衛隊関係者以外、原則上陸不可の「謎の島」。その現状を伝える動画の公開を海自が始めました。ご関心がある方にとっては歓迎すべき情報公開。私が渡島した際は、史跡や石碑周辺の草刈りが尽くされているのが印象的でした。硫黄島の自衛隊員は「歴史」も守っていました twitter.com/jmsdf_4aw/stat…
【2.19硫黄島】76年前の今日は地上戦開戦日。島を守る兵士の多くは、全国から集められた中年の応召兵でした。いわば #硫黄島 は妻子ある庶民が屈強な米海兵隊に抗った戦場。96%が戦死し、半数の遺骨は今なお未収容です。上皇さまは94年、島で詠まれた。 精魂を込め戦ひし人 未だ地下に眠りて島は悲しき
【2.24硫黄島】76年前の今日は地上戦6日目。死傷者は日米両軍で1万人を超えました。「敵ハ病院船ヲ以テ傷者ヲ搬出シツツアリ」。#硫黄島 守備隊は同日、そんな電文を日本本土に送りましたが、守備隊を救う船が本土から来ることは最後までありませんでした。最終的に守備隊の致死率は96%に達しました
【2.28硫黄島】#硫黄島 で戦ったのは兵士だけではありません。飛行場整備などに従事した大勢の軍属も玉砕の運命を共にしました。76年前の今日の電報によると「(海軍の軍属も)斬込ニ参加 陸軍幹部ニ至ル迄感激ス」。散った軍属の中には10代の少年を含む残留島民もいました。知られざる悲しき戦禍です
【3.20硫黄島】1932年ロス五輪馬術金メダリストのバロン西(西竹一男爵)は1945年3月中旬 #硫黄島 で戦死したとされます。33年後「西大佐の遺骨発見」と大々的に報じられましたが、誤報でした。現在に至るまで日本人でただ一人の馬術金メダリストは、かの戦いから76年たった今も行方不明とされています
【3.23硫黄島】#硫黄島 通信隊は父島経由で本土に電文を送っていました。父島側の将兵によると、硫黄島からは玉砕したはずの17日以降も電報がきました。敵戦車の装甲の厚さなどの報告や兵士の殊勲上申が多かったといいます。そして76年前の今日、最後の電文が届きました。「父島ノ皆サン サヨウナラ」
【3.24硫黄島関連】本年度収容された戦没者遺骨を乗せた自衛隊機が今日、入間基地に到着。礼装の自衛官が整然と並び、戦後76年経て帰還した #硫黄島 兵士に敬意を表しました。遺骨はバスで厚労省へ。基地内の沿道の桜はほぼ満開でした。車窓越しに見たであろう本土の桜。大いに喜んだことと思います twitter.com/jasdf_iruma/st…
【3.25硫黄島】76年前の今日は、#硫黄島 から「散るぞ悲しき」との決別電文を送信した栗林中将以下400人が最後の総攻撃に出た日です。出撃まで過ごした壕は内部から出口にかけて急斜面でした=写真=。大切な家族を本土に残した兵士たち。決死の地に向け、どんな思いで駆け上っていったのでしょうか…
【3.26硫黄島】#硫黄島 戦は、本土爆撃のため島の飛行場を奪いたい米軍と、1日も長く守りたい日本軍が激突した戦いでした。76年前の今日、日本側残存兵は総攻撃を行って玉砕。36日間の戦闘は終わりました。最後の出撃先。それは飛行場方面でした。最後まで本土空襲を妨げようとし、そして力尽きました
【硫黄島 エピローグ】#硫黄島 の遺骨収集の取材に十年以上協力してくれた戦没者遺児Aさんが亡くなりました。硫黄島戦の悲劇を直接知る世代が一人もいなくなる時代はもう目前だと再認識し、悲しみと焦りが増しました。Aさん、微力ながら硫黄島史の風化に抗う取材の日々を、どうか天国で見守って下さい
#硫黄島 遺骨考】先の大戦の戦没者の遺骨収集は、自衛隊の任務ではありません。米国など海外諸国では一般に、軍が遺骨の帰還を進めています。日本も戦前はそうでした。軍が解体された戦後は旧厚生省が所管し、遺児や戦友が現地での収容活動の中心を担ってきましたが、高齢化で過渡期を迎えています
#硫黄島 戦没者のご遺族と共に、人混みを避けつつ、都内の高尾山へ。登山道には多くの人。でも、今年で建立50年となる「硫黄島戦没者慰霊碑」前はひっそり。しばし足を止めて眺めていると、まるで「よく来たね」と喜ぶように、石碑に日が差しました=写真=。
【令和の遺骨帰還1】遺骨返還を望む戦没者遺族を公募し、国が無料でDNA鑑定する新制度。厚労省は14日、これまで沖縄や硫黄島等に限定した公募対象を10月1日から拡大すると発表しました。多数が抑留死した旧ソ連や南方の激戦地など11地域が対象となります。1人でも多くの遺族に伝わってほしいと願います
東京五輪開幕を前に、#硫黄島 戦で戦車部隊を率いた1932年ロス五輪馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西)の墓参のため、青山霊園に来ました=写真=。硫黄島玉砕から76年。現在に至るまで日本人唯一の馬術金メダリストの最期は不明で、遺骨も未発見とされています。
「バロン西といふアナウンスが響き観衆が嵐のような拍手を浴びせた」。1932年ロス五輪表彰式を伝えた新聞の一文です。西竹一男爵(#硫黄島 で戦死)は今なお日本人唯一の馬術金メダリスト。国際社会で日本が孤立化しつつあった時代、ウラヌスと人馬一体で見事な技を見せ、国の枠を超え、讃えられました
#硫黄島 戦で消息を絶った1932年ロス五輪馬術金メダリストの西竹一男爵(バロン西)。西夫人は52年ヘルシンキ五輪の日本代表壮行会で形見のムチなどを馬術代表選手に託しました。西男爵の消息は不明のまま年月が過ぎましたが、彼の〝魂〟は終戦の7年後、オリンピックの舞台に向かったのです=写真=
日本人唯一の馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西、#硫黄島 で戦死)。最後の五輪(ベルリン)ではメダルを逃しました。報道によると、西はナチスに憤り、妻にこう話したという。「コースは濠の真ん中だけ深くしてあった。ドイツ以外の選手は知らずに飛んで落馬したりした。騎士道に反したやり方だ」