東京五輪開幕を前に、#硫黄島 戦で戦車部隊を率いた1932年ロス五輪馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西)の墓参のため、青山霊園に来ました=写真=。硫黄島玉砕から76年。現在に至るまで日本人唯一の馬術金メダリストの最期は不明で、遺骨も未発見とされています。
【2.28硫黄島】#硫黄島 で戦ったのは兵士だけではありません。飛行場整備などに従事した大勢の軍属も玉砕の運命を共にしました。76年前の今日の電報によると「(海軍の軍属も)斬込ニ参加 陸軍幹部ニ至ル迄感激ス」。散った軍属の中には10代の少年を含む残留島民もいました。知られざる悲しき戦禍です
【硫黄島怪談?】霊を信じない私ですが硫黄島の調査をしていると不思議な話と出会います。例えばある遺骨収集団員の体験記。「島で4柱を収容して本土に帰った数日後、初対面の人から、こう言われた。『あなた4人の兵隊さんを連れて帰ってきたね』。驚いて理由を聞くと、4人立っているのが見えると…」
【3.25硫黄島】76年前の今日は、#硫黄島 から「散るぞ悲しき」との決別電文を送信した栗林中将以下400人が最後の総攻撃に出た日です。出撃まで過ごした壕は内部から出口にかけて急斜面でした=写真=。大切な家族を本土に残した兵士たち。決死の地に向け、どんな思いで駆け上っていったのでしょうか…
【2.19硫黄島】76年前の今日は地上戦開戦日。島を守る兵士の多くは、全国から集められた中年の応召兵でした。いわば #硫黄島 は妻子ある庶民が屈強な米海兵隊に抗った戦場。96%が戦死し、半数の遺骨は今なお未収容です。上皇さまは94年、島で詠まれた。 精魂を込め戦ひし人 未だ地下に眠りて島は悲しき
【硫黄島 エピローグ】#硫黄島 の遺骨収集の取材に十年以上協力してくれた戦没者遺児Aさんが亡くなりました。硫黄島戦の悲劇を直接知る世代が一人もいなくなる時代はもう目前だと再認識し、悲しみと焦りが増しました。Aさん、微力ながら硫黄島史の風化に抗う取材の日々を、どうか天国で見守って下さい
【3.20硫黄島】1932年ロス五輪馬術金メダリストのバロン西(西竹一男爵)は1945年3月中旬 #硫黄島 で戦死したとされます。33年後「西大佐の遺骨発見」と大々的に報じられましたが、誤報でした。現在に至るまで日本人でただ一人の馬術金メダリストは、かの戦いから76年たった今も行方不明とされています
厚労省には、知られざる〝霊安室〟があります。DNA鑑定中の戦没者遺骨が安置されています。昨年末にご遺族と訪ねた際、祭壇には正月の花と鏡餅が。本土での正月を安らかに過ごしてほしい。担当者たちの心遣いが伝わってきました。どうか新年は、1柱でも多くの戦没者が、ご家族の元に帰れますように―。
【硫黄島に渡った朝鮮人軍属】は大勢いました。93歳の旧島民の男性は少年時代、軍属と交流した一人です。「朝鮮人が島のお年寄りに親切にする姿を何度も見た。畑仕事を手伝ったり荷物を持ってあげたり。彼らに島唐辛子を渡すと飛び上がって喜んでくれた」。そんな彼らも硫黄島戦で大勢犠牲になりました twitter.com/Iwojima2020/st…
日本人唯一の馬術金メダリスト西竹一男爵(バロン西、#硫黄島 で戦死)。最後の五輪(ベルリン)ではメダルを逃しました。報道によると、西はナチスに憤り、妻にこう話したという。「コースは濠の真ん中だけ深くしてあった。ドイツ以外の選手は知らずに飛んで落馬したりした。騎士道に反したやり方だ」
【3.26硫黄島】#硫黄島 戦は、本土爆撃のため島の飛行場を奪いたい米軍と、1日も長く守りたい日本軍が激突した戦いでした。76年前の今日、日本側残存兵は総攻撃を行って玉砕。36日間の戦闘は終わりました。最後の出撃先。それは飛行場方面でした。最後まで本土空襲を妨げようとし、そして力尽きました
【令和の遺骨帰還1】遺骨返還を望む戦没者遺族を公募し、国が無料でDNA鑑定する新制度。厚労省は14日、これまで沖縄や硫黄島等に限定した公募対象を10月1日から拡大すると発表しました。多数が抑留死した旧ソ連や南方の激戦地など11地域が対象となります。1人でも多くの遺族に伝わってほしいと願います
【ご注目】硫黄島に対する日本青年会議所関東地区協議会の「忘れてはいけない」という思いが冊子になりました。ネットで無料配布中です。硫黄島報道を続ける「旧聞記者」こと不肖酒井も一部史料の助言等協力をさせて頂きました。島の現状等を伝える短編漫画は私の知る限り初です。配布元は以下ご参照
「21人の硫黄島兵士」が本土に帰還しました。到着した入間基地では大勢の自衛官が職務を中断して整列し、21柱を出迎えました。遺骨収集推進法は、戦没者の祖国帰還は「国の責務」としています。ただ海外戦没者240万人のうち112万柱は今なお未収容のままです。決して忘れてはいけない人たちだと思います twitter.com/jasdf_iruma/st…
「戦没者遺骨をご遺族のもとへ」「DNA鑑定対象地域拡大」。そんな政府広告が新聞朝刊に載りました=写真=。遺骨返還のための鑑定の対象地域が10月から大幅拡大されました。政府は鑑定費を全額負担します。広告で遺族にこう呼びかけています。「お迷いの方もまずはご相談ください」―。 #拡散希望︎
【2.19硫黄島】78年前の今日は地上戦開戦日。島を守る兵士の多くは全国から集められた中年の再応召兵でした。いわば硫黄島は妻子ある庶民が屈強な米海兵隊に抗った戦場。95%が戦死し、半数の遺骨は今なお未収容です。上皇さまは94年、島で詠まれた。 精魂を込め戦ひし人 未だ地下に眠りて島は悲しき
【希少映像「ワレ帰還セリ」】戦後75年経て今年2月に人知れず本土帰還を果たした11人の #硫黄島 兵士がいます。自衛隊機で11柱の遺骨が着いた入間基地の隊員たちは礼装で整列。ラッパを響かせ帰還兵に最大の敬意を表していました。1分の希少映像をYoutubeで公開中です youtube.com/watch?v=8N0hmI…
昨夜、硫黄島から遺骨14柱と共に本土に帰った政府遺骨収集団員らは本日、骨箱を抱え、宿泊先からバスで千鳥ヶ淵墓苑に向かいました。私もその1人。移動中、21世紀の祖国を見てもらおうと、膝の上の骨箱を窓の高さまで上げ続けました。超高層ビルが並ぶ風景。きっと目を丸くされたのではないでしょうか twitter.com/ModJapan_jp/st…
詳細は下記blogをご参照ください(写真は一部加工しました) nhk.or.jp/matsue-ana-blo…
「戦没オリンピアン」は #硫黄島 で戦った馬術金メダリスト西竹一男爵だけではありません。が、その人数はJOC100年史でも触れられていないなど、全容は不明です。一方で、38人に上るとの研究者の調査結果も。主な戦没地は南方の激戦地など。シベリア抑留で戦後に命を落としたサッカー日本代表もいます
【硫黄島の生写真】地上戦直前の45年1月撮影と記録された生写真を複数入手しました。米軍がいかに低空で偵察していたかが分かります。車の影に逃れる兵士が写った写真も。元硫黄島学徒兵から聞いた話を思い出しました。「(敵機はいつも)悠々と頭の上を通っていきましたなあ。編隊も崩さないでねえ」
【2.24硫黄島】76年前の今日は地上戦6日目。死傷者は日米両軍で1万人を超えました。「敵ハ病院船ヲ以テ傷者ヲ搬出シツツアリ」。#硫黄島 守備隊は同日、そんな電文を日本本土に送りましたが、守備隊を救う船が本土から来ることは最後までありませんでした。最終的に守備隊の致死率は96%に達しました
硫黄島開拓関係者のひ孫が保管していたモノクロ写真のAIカラー化プロジェクト。本日公開となりました。焦土化前の硫黄島は豊かで美しい島でした。実現に導いてくれた小笠原諸島関係者の皆様に感謝申し上げます。 ※会員登録(無料)すれば全文&全写真が表示されます。#拡散希望 hokkaido-np.co.jp/article/674846…
【生還者が少なく謎だらけの硫黄島】2020年代以降も新刊の出版は続き、埋もれた歴史が伝えられています。その1冊が、部下の命と部隊の名誉を守った野口巌野戦病院長の回顧録。帯の文が涙を誘います。「大本営が発表した『硫黄島玉砕』。しかし、野戦病院の衛生部隊は地下壕の中で任務を続けていたー」
「どうしてぼくは硫黄島に」ー。硫黄島など戦禍の歴史の風化に抗う自称「旧聞記者」が、初めてトークをライブ配信することになりました。お申込み(無料)はお気軽にどうぞ。参加者は当日視聴できなくても後日録画が無料配信されます。お申込みはhokkaido-np.co.jp/doshin_webinar… #拡散希望RT協力お願いします