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古代、大和朝廷と地方豪族の関係は、地方から代表を送ることによって維持されました。まさにフェイストゥフェイスの関係です。代表は、男女どちらでもOK。その役割を担った人たちのなかには、ウネメ(采女)もいました。彼女たちは大王のマツリゴトをたすけ、律令時代には宮廷女官として活躍しました。
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アメリカでは、昨年末にワシントンDCのスミソニアン博物館群に新たに「国立女性史博物館」を「国立ラテン系アメリカ人博物館」とともに設立する法が成立したとのことです。ここに至るまで長い年月を要し、博物館の開館までには、おそらくさらに何年もかかるとみられています。
vox.com/22206468/smith…
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【ご注意ください】#ジェンダー展 を #ニコ美 のタイムシフトでご覧いただけるのは、閉幕日の12月6日(日)までです。まだご覧になっていない方は、どうぞお急ぎください。
国立歴史民俗博物館の「性差(ジェンダー)の日本史」を巡ろう(出演:和田彩花)【ニコニコ美術館】 live.nicovideo.jp/watch/lv329020…
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実は、開催当初、「なぜ、今、ジェンダー展示を?」という問いにたいして、「2016~18年の歴博共同研究の成果発信です」、「海外の博物館をみればジェンダー展示は当たり前。日本の国立博物館が今頃展示するのは、むしろ遅きに失している」と答えたりもしていました。
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#ジェンダー展 は、資料を丁寧に分析し、ジェンダーをめぐる葛藤や抑圧の始まりとその変化の内実を明らかにすること――そのような“過去との対話”を通して、現代のジェンダーの悩みや葛藤、差別に向き合う上での力や見通しがつかめるはずと考えて企画したものです。
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すでにお知らせしておりますように、#ジェンダー展 図録、三省堂書店様神保町本店4階と千葉そごう店にて販売していただいております。お近くの方はどうぞお手に取ってみてください。
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#ジェンダー展 図録、昨日納品されました。副代表の計測によると厚さは約2.3㎝、重さは1.4㎏弱と、歴博の図録史上おそらく最厚・最重に。ご来館の上お求めになる際は、ぜひ丈夫なバッグをご用意ください。
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たとえば中世には遊女自身が経営権を握っていました。その仕事は母から娘へと受け継がれる家業であり、遊女たちの集団もありましたから、誰でも遊女になれるわけではありませんでした。遊女屋の男性経営者が人身売買によって女性を集め売春を行わせるようになるのは戦国時代以降のことです。
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古代の女官は、天皇のハーレムの一員だった? とんでもない! そもそも、古代の大王は、隔絶した空間としての後宮なんて持ってはいなかったのですから。女官の仕事は、マツリゴトを支えること。既婚未婚・年齢不問。中央・地方から、選りすぐりの人材で構成されたキャリアウーマンたちでした。
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本アカウントでは、国立歴史民俗博物館で開催予定の企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」(10月6日(火)~12月6日(日))の展示内容や新着情報、見どころをお伝えしていきます。どうぞよろしくお願いいたします。展示の詳細は↓
rekihaku.ac.jp/exhibitions/pr…
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#ジェンダー展 には、実はいわゆる名品もかなり多く出品されます。たとえば「源義経書状」(国立歴史民俗博物館蔵)は義経の自筆文書として有名なものですが、なぜこれが展示されるかというと、八条院(暲子しょうし、鳥羽法皇の娘)という、女院(にょいん)に関係する文書だからです。
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「早乙女」という言葉があるように、田植えは女性の労働ととらえられてきました。しかし近年の研究によれば、田植え労働において女性の割合が増えるのは早くとも9世紀後半以降であり、それ以前は男女ともに田植え労働に従事していたことがわかってきました。#ジェンダー展
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取材をお受けする中で、#ジェンダー展 において「山上碑」や『古事記』に出てくる「娶」という字を「めとる」ではなく「みあう」と読んでいることについて、ご質問をいただきました。担当した展示プロジェクトの義江明子委員による解説を、Twitterでもご紹介します。
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古墳時代前期の前方後円墳には、女性首長が葬られている事例があります。熊本県の向野田古墳からは、30歳代の女性人骨が見つかっています。鏡・玉類・農耕具類などの副葬品は男性首長と遜色ありませんが、武器・武具の副葬には違いがあります。軍事権への関わりには男女で違いが見られるようです。
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とはいえ、#ジェンダー展 では、共同研究で明らかになった「政治空間と男女」「仕事とくらしのジェンダー」「性の売買と社会」に関わるいくつかのトピックをとりあげるに留まりました。通史的展開を意識はしましたが、通史であれば当然取り上げるべきテーマに研究が及ばなかったのが実情です。
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戦前日本の官僚採用試験では、女性には受験資格がありませんでした。それでは、官庁に女性がいなかったかといえば、そんなことはありません。まず、雇員や傭人といった、今日でいえば非正規職員のような形で働く女性たちが存在しました。
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しかし、1578年の文書では、今町の魚商人はすべて男性名になっていて、「名義」は男性にする、という傾向が進んだことが窺えます。このように、中世の段階では女性が公的にも権限を持っていたものが、女性は代表権を失って男性名義になる、という現象は、色々な所で見られます。
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#ジェンダー展「政治空間」では、女性官僚に注目します。古代に女性の王や官僚が当たり前にいた時期から律令制下での区分の確立、女性官僚が女房として御簾の向こうの存在となる中世、男女が協働する大名家や将軍家の奥の構造。明治憲法体制下での女性の排除、現代への流れを具体的な史料で示します。
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11/28(土)18:00~、ニコ美に #ジェンダー展 登場です!どうぞお楽しみに。
国立歴史民俗博物館の「性差(ジェンダー)の日本史」を巡ろう(出演:和田彩花)【ニコニコ美術館】 / ニコ生番組(2020/11/28 18:00開始) live.nicovideo.jp/watch/lv329020… #ニコ美
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中世の遊女はプロの歌手でもありました。今回展示する「今様之濫觴」(公益財団法人前田育徳会蔵)からは、母から娘へ代々歌謡の芸を受け継いできた遊女たちの姿がうかがえます。遊女の家族関係を知ることのできる貴重な史料でもあります。会場ではぜひ人名の横に書かれた注記に注目してご覧ください。
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地方から大王に「貢(ぐ)」された、かわいそうな美女……50年前には、こんな采女像が広がっていました。一因は「貢」の意味を学者たちが読み間違えていたこと。実は律令の規定では、地方から人材を推薦する時に、男女を問わず「貢」という漢字が使われたのです。贈り物という意味ではなかったのです。
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江戸時代、女髪結は職業を認められず取締の対象となり、明治10年代になると働く下層女性への蔑視は強まりました。アイコンの「大日本婦人束髪図解」(1885年)は、文明開化に相応しいとされた洋風の束髪を推奨する錦絵ですが、上流階層の女性の髪を結う髪結自身は、束髪ではありません。 #ジェンダー展
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#ジェンダー展 のポスター・チラシにもあしらわれている女性たち。「東山名所図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)の登場人物で、「清水の舞台」の真ん中に描かれています。愛らしい幼児の隣には、この子を慈愛のまなざしで見つめる尼姿の女性がいますが、彼女は「後家尼(ごけあま)」と思われます。
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ニコニコ美術館の #ジェンダー展、本日よりアーカイブが再度公開となりました。再公開にご協力・ご尽力いただきました各位に感謝申し上げます。この機会に是非ご覧ください。
twitter.com/niconico_nicob…