フカフカ(@fukafuka_9)さんの人気ツイート(リツイート順)

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まず言ってこない。爆発がおかしいとか、建物の壊れ方がおかしいとかな。何でだかわかるか?」 私「解らない」 父「誰も正解を見たことがないからだよ。本物のウルトラマンや怪獣を見たことある奴はいない。 おかしいって言ったって、じゃあアンタは本物見たことあるのかい?って →
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【『帰ってきたウルトラマン』に帰らなかった男】 今年、思わず40年来の疑念が解決された事があった。 それは白石雅彦さんの『「帰ってきたウルトラマン」の復活』を読んだ時だ。 かつて親父に「なぜ『帰ってきたウルトラマン』に参加しなかったのか?」と聞いたことがあった。→
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⑧ 一番驚いたのは、成田亨さんが、父の仕事を評価していたという話だった。 以前にもツイートしたが、父と成田さんは衝突ばかりしていたと聞いていたからだ。 twitter.com/fukafuka_9/sta…
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父と共に、円谷プロの創設メンバーだった中野稔さんが亡くなった。 弟分として父を可愛がってくれたとの事で、本当にありがとうございました。 天国で、父と会えることを願っています。 でも、「スペシウム光線はもう絶対手伝わないからなっ!」って親父が言うと思いますが(笑) 中野さんと父の写真
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老若男女問わず、たくさんの人が凄い言ってくる。何でだと思う?」 私(俺も子どもの頃、「あー線見えてる!」って親父に言ったことあるな)「解らない」 父「まあある程度の歳になればな、飛行機が上から線で吊って飛んでいないことは解るだろ。で、こいつは真理なんだ。正解なんだ。 →
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当時はアルバイトもラッシュを観せてもらえたらしく、それを観て、別班に「勝った」「負けた」とやっていて、その戦いの中で、最も俎上に上がったのが“ピアノ線”をどっちの班が上手く消したか。という話みたいです。 で、“ピアノ線”について父と話したことがありました。 →
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⑩ 例えばそれらを作る時、父が金を渋る男だったらどうなっていただろうか。 成田さんや、金城哲夫さんが頭に描いたものを、実際の形にする時に「予算が厳しいから、これで妥協してよ」という人だったら、「子供番組だから、これくらいで充分じゃない」という人だったら…。
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観れないけど、「ふたりのウルトラマン」今やっているのか。 当時の円谷プロの経営ひどいというツイートが流れて来て、 「うぉぉぉ、うちの親父が金を使いすぎて済みませんっ!!!」 という心の中でジャンピング土下座するという、いつもの俺の病気が始まったよ…。
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⑥ 父がどんな人間だったかを端的に言うと、何かを選ぶ時、一番値段の高いものを躊躇なく手に取る人だった。 もちろん限界はあるが、可能であればそうした。こと金銭に関しては、父の頭の中に「計画的」という言葉は全く無かった。 あればあるだけ使う人だった。この資質は、家族を本当に苦しめた。
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「怪しい隣人」は特撮美術を父が担当した回。 もし押井守監督がヒントにされていたりしたら、こんなに光栄な事はないですね。 子供としては、「これが四次元空間だ!」と父が真顔でデザインしたのを想像して、あのシーンはちょっと笑ってしまいましたけど(笑) t.co/E87qZoUDaN
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③ 私には60年代の円谷プロの話を読むのが苦痛の時代がありました。 必ず「製作費を掛け過ぎて会社が困窮し、1968年に大量の人員整理が行われた」という一文が入るからです。 この「製作費の掛け過ぎ」の一因は父にあると思っていました。特撮美術は一番予算がかかる部門だと思われたので。
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”金ちゃんがホン(脚本)に【大阪の街を破壊するゴモラ】って一行書いたら、ゴモラに壊される大阪の街を造るのが俺たちの仕事だったんだよ”
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なので、ウルトラマンのシリーズを繋げてくれた人。 そして今でも繋げてくれている全ての皆さんに感謝します。 『ウルトラマンZ』も『シン・ウルトラマン』も成功することを祈願します。 父の日の記録として。
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④ 当時の人たちはみな「予算が厳しかった」という。 だが、父は「円谷プロ時代は、好きなだけ金使ったなぁ。人生であれくらい何も考えずに金使ったこと無いな。本当に好き勝手やらせてもらったよ」と言っていた。
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私「親父がやった初代もセブンも今でも人気高いけど、いまだに本とかが出るのは、その後ウルトラマンがシリーズとして続いているからだよ。親父が辞めた後も、帰マンもAもタロウもあったし、今も新しいシリーズやってるからだろ。ちゃんと繋いだ人がいたからだよ」 父「繋いだ人がいたんだよなぁ…」
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⑦ 父が死んで、当時円谷プロで一緒に働いていた母に尋ねたり、書籍を読んだり、いろいろな人の話を聞くようになった。 その中で、少しずつ円谷プロ時代の父に対しての見方が変わってきました。
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⑪ ウルトラマンもウルトラセブンも今観ているのとは違った姿の作品になっていた可能性もある。 まあ勿論、父以外の人がやって、より良い作品になった可能性もありますし、同時代の映画界とはかけている桁が二桁少ないと言われる中での予算ですけどね。
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2019年のツブコンの際の『怪獣倶楽部』のイベントに参加しましたが、この時のチラシに、若き日の金田益実さん、安井尚志さん、竹内博さんが、砧の当時の円谷プロの社長室で映っている写真が載っているのを観て、日本中でただ一人「ここであの事件があったのか…」と感慨にふけりましたね(笑)。
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@ayumiruge ただ、この言葉の後に、 「でも、金はとにかく使ったよ。あんだけ好き勝手に、金つぎ込んだ事、その後の人生では無かったからな」 当時、大卒一年目の23歳。若さゆえの暴走で、イケイケだったみたいです。
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⑭ 当時の円谷プロ、ウルトラマンのことを「実績や経験は少ないが、若き才能が集まった作られた」みたいな書かれ方がされるが、最近は、父もその中の欠けられないピースの一つだったのかなぁ…と思うようになりました。 なんて思うのは、身内贔屓が過ぎますかね(笑)。
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今日、『円谷英二展』を観て、改めて本当に凄い人だよなぁと感じ、 改めて 「そんな偉人に何やってんだよ、母ちゃん…」 と思った次第です(笑)
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明日8月29日の4K『ウルトラセブン』は第23話「明日を捜せ」です。 父の特撮美術担当回で、セブン最後の作品になります。 この後、セブンを離れ『マイティジャック』に専念することになります。 第24話からは池谷仙克さんが単独で担当する事に。 皆さん観て下さいね。 www4.nhk.or.jp/P6565/x/2021-0…
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今まであまりこういう事は言わなかったのです。 父「なんか不思議な感じだな」 私「そういう人達がいたから、今でも昔やった作品が見返されるんだから、物造りしてた人間としたら幸せな事じゃないか。羨ましいよ」 父「そうか…」 これが最後の会話で、翌日ぽっくり死にました。