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「後半はもう嫌でな。中野さんの顔見るたびに逃げてたよ。二度とやりたくないね」
とも。
二人で飯塚定雄さんの手伝いをしていたんですな。
でも、その細かい作業が、当時の子供たちを喜ばせ、忘れ得ぬ光景にしたんですね。
お疲れ様です、ありがとうございました。
合掌です。
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私「じゃあ、今は良いね。線なんてエフェクトで消せるし、そもそも今って吊ってないんじゃない」
父「だけど今は大変だよ。全世界の人間がビルに飛行機が突っ込んだらどうなるか、ビルがどうなるかの正解を知ってるんだ。昔、ビルに飛行機突っ込ませた事あるけど、
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担当作品は、円谷プロで
『ウルトラQ』で美術助手。
『ウルトラマン』
『快獣ブースカ』
『ウルトラセブン』
『マイティジャック』
『戦え!マイティジャック』
『怪奇大作戦』で美術。
退社後は、NHKの『空中都市008』の特撮。
虫プロの『クレオパトラ』で装置を担当していました。
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“ピアノ線”が見えた時、二十代の若き男女が現場で、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、どうしたら観てる人を裏切らないか、と思い格闘しながらも、出来てしまった傷跡だと思うようになりました。
父が死ぬ直前に、夫婦で携わった『ウルトラセブン』の再放送を二人で観てたそうです。
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実は結構重大な作業だったわけよ。色塗ったり、ライトの当て方を考えてセットを設計したりな。
“ピアノ線”が見えるってことは、特撮を好きな人を悲しませ、特撮を馬鹿にしたい人を喜ばせることになるからな。オヤジ(円谷英二)の顔に泥を塗らないようにって、当時はそう思ってた」
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時は、1968年の9月~11月の間くらい。母は22歳。
作品制作の累積赤字、「マイティジャック」の低視聴率など、円谷プロの経営が危なくなってきた頃。
こうなるとまず初めに行うのが最盛期50人~80人くらいいたらしいアルバイトの整理。ばんばんアルバイトの契約を切ったとの事。
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長時間の車移動で、着いたらグッタリしていたのですが、これを見たら、元気を取り戻したって感じでした。
その後は、ゴジラは怖すぎてダメでしたが、外の園内のアトラクションはたくさん乗って楽しんでました。
満足だったみたいで、今週末も行きたいと言っていて困っています。
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今年はシン・ウルトラマンが公開され、アマプラで配信も始まりました。
「親父がやったメフィラス星人の回のあのシーン、あれ長澤まさみでリメイクされたぜ。長澤まさみだぜ、長澤まさみ」
と報告しようかと思います。
#シンウルトラマン
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私にとって成田さんは憧れのヒーローで、子供の頃、父が成田さんをくさすのを聞いて、「成田さんはスゴいんだぞぉ」と言い返して親子ケンカをしていましたね。
今考えるとなんか不思議な構図ですな。
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@eraitencho 人事をやった経験からすると、履歴書がまともな時点でかなりマシです。
世の中には、写真を四角に切れない。真っ直ぐ貼れない。枠線というものの意味が解ってなく、字が枠に収まっていない。チラシを封筒の形に折って貼って、それで投函してくるという猛者がいるのですよね。
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父「オヤジ、その時どんな顔してた?」
母「びっくりして、ポカーンって顔してたわよ」
父「あの人、経営の事なんか全然解ってないからな。いやぁ見たかったなぁ、その時のオヤジの顔」
まあその後、母も契約を切られ、父は翌年の1月末に円谷プロを退社していますね。
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ただ、この際に問題になったのが、その時の対処で男子と女子に差を付けたみたい。
で、それを知った女子が古株だった母に相談。それを知った母は激怒。
撮影所の美センから歩いて10分の円谷プロに移動して、社長室に押し入り、席にいた円谷英二氏に怒りをぶつけたらしい。
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俺もこの前初めて正解を『見た』んだからな。俺らは手探りだったってのはあるけど、観る方もそんなに目が肥えていたわけじゃないからな」
911の後くらいに話した感じですね。
で、“ピアノ線”。当時の人がそれほどまでに消すことにこだわったのあれば、今の技術で消してあげて、理想に近づけて
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さすがに両手で首を掴み上げるまではしなかったらしいが、机はバンバン叩いて、怒鳴りまくったとの事。
で、母はこの話40年間誰にも言ってなかった。円谷監督の弟子である父も知らなくて、一緒に聞いて大笑いしていた。
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円谷監督は、いきなり火山の模型を水槽に逆に浸し、
模型の上から、絵具を大量に垂らし始めた。そうすると見事に火山からの煙が表現されたとの事。
その時、円谷監督から父が言われた言葉…。
円谷「“出来ない”ことは無いぞ。いいか、お前は“出来なかった”んじゃない。“考えつかなかった”だけだ」
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でも最近、当時の事を書いた本や資料、証言を聞くたびに、そうでは無かったのではないかと思うようになりました。
ここからは、身内贔屓の話になりますので、鼻で笑いながら読んでください。
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以下は、父と元アルバイトの人に聞いた話。
特撮perfectbook No.1の鈴木清さんのインタビューにもありますが、『ウルトラマン』の途中から『ウルトラセブン』の途中まで、美術は池谷班と深田班に分れ、お互いの班が相手に負けないように、切磋琢磨して作品に当たっていたという流れがあります。
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これだけはみんな知ってる。理解してる。正解を知ってることに関しては、みんな自信満々で人に言うわけよ。それで、線が見えればこれは不正解だって、意気揚々とな。お前もガキの頃言ってたよ」
私「うっ、それはゴメン」
父「だから、“ピアノ線”を消すってことは、大した話じゃなさそうで、
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※以下は当時を振り返っての父の見解です。当時の円谷プロ内の共通の見解ではありません。
父「『ウルトラマン』造ってるって言うと、まあ色々な人が色々なことを言ってくるわけよ。でもな、勿論好き嫌いはあると思うけど、ウルトラマンがおかしいとか、怪獣がおかしいとかそういう事は
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というのが、円谷英二氏と母しか知らないエピソードでした。
「何も言い返されなかったから、会話はしていないわね」との事。
母が話を作る理由もないので、恐らく本当にあったことなんだろう。
英二氏の日記にでも残っていなければ、事実か確かめられないので、いつも通り、どうか話半分として。
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言い返せちゃうからな。爆発や建物も同じ。本物を見た事ある人なんて殆どいないだろ」
私「まあ、そうかな」
父「ただな、そんな中で、誰もが絶対に言ってくる話があるんだ。何だか解るか?」
私「解らない」
父「“ピアノ線”だ。こいつばかりは、もう本当にうんざりするくらい言われる。
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