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【ウルトラマンのカラータイマーについて】
当人ももう亡くなっていて、聞いたのもかなり昔で、もう確認する方法もないので、話半分で読んでもらいたいのですが、父(深田達郎)にウルトラマンのカラータイマーについて何回か聞いた事があります。
#シンウルトラマン
#シン・ウルトラマン
#ツブコン twitter.com/fukafuka_9/sta…
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トレンド入りしている『ウルトラマンZ』がどういう作品かというと、
第1話
Z「ご唱和ください、我の名を!」
私「えっ、何それ(苦笑)」
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第25話(最終話)
Z「ご唱和ください、我の名を!」
私「ウルトラマーーーンゼッッッットッ!!!!!」
という感じです。
#ウルトラマンZ
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大変不謹慎な話と自覚していますので、
不愉快な思いをされた方がいた場合削除致します。
911は父と一緒にニュースを見ていました。
WTCに飛行機が衝突するシーンを見た父が、
「これが正解か…」
と呟いたのが、印象に残っています。
本当にウルトラマンを作っていた人なんだなと感じたので。
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#フォロワーの9割が体験したことなさそうなこと
子供の頃『ウルトラマン』を観ていたら、父親が寄ってきて、
「ああ、このビルなウェハースで作ったんだよ」とか「これはなカメラを反対にして撮ったんだよ」とか口を出してきたので、
「うるさいからあっち言ってよ」
と拒絶したこと。
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【スペシウム光線の苦悩】
父は生前
「スペシウム光線ってどうやってるか知ってるか?あれは、フィルム一コマ一コマに、一本一本傷つけて書いてるんだよ。中野(稔)さんに言われて、良く手伝わさせられた。物凄い単純で細かい作業でな、あれは並みの精神力じゃあ出来ないよ」
と良く言っていた。 twitter.com/tsuburayaprod/…
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円谷プロ時代から、飛行機がビルに突っ込むシーンを何度も試行錯誤しながら、仲間と考えて作っていたが、結局それは想像の範疇でしかなく、どうなるのが正解か解らず作っていたと。
特撮の現場から30年近く離れてから、全く予期しない方向から、正解を見せられた…という感慨だったみたいです。
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『シン・ウルトラマン』観てきました。
観た人も、これからの人も、是非『ウルトラマン』第33話「禁じられた言葉」を観てもらえればです。
メフィラス星人の登場回で、父が特撮美術を担当しました。
23歳の若造に任せた、当時の円谷プロは凄いなぁ…。
#シンウルトラマン
imagination.m-78.jp/video/dm9kL2Fl…
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『シン・ウルトラマン』の特報映像。
有岡大貴くんの左上に映るモニター画面に注目!
「これ、コンクルーダーじゃないかっっ!!」
しかも、この写真のヤツ!
いやー『マイティ・ジャック』ぶっこんできたねぇ!
う、嬉しい…
#シンウルトラマン
#シン・ウルトラマン
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「成田さんが嫌がっているのに、成田さんのデザインに何か付け足すなんて、俺くらいしかやらないだろう」との事でした。
一回り以上年が離れていて、経歴も段違いなのに、父は「円谷時代はとにかく成田さんと合わなくて、顔を合わせるとぶつかってばかりだった」とよく言っていました。(続)
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デザインしたか解っていない事」が書いてあったので、誰がデザインしたか知っているかを聞きました。その時の答えは「あー、だったら俺だな」でした。
理由を聞くと、「ウルトラマンが始まる前や初期なら、機械関係のデザインをしていたのは自分か成田さんしかいない」(続)
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多くの人が亡くなった事件を見て、そんな事を思うのは不謹慎と言われても仕方ありませんが、当時リアルタイムで見られた人には多少理解していただけるかと。
情報も錯綜し、目の前での出来事が、犠牲者が出た現実の事件として瞬時に受け入れる事が出来なかったのは、自分の体験としても覚えています。
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父はシン・ウルトラマンには間に合いませんでしたが、ウルトラマンはまだまだ長生きしそうだよと報告しておきます。
「俺が書いた」という確かな記憶を元にした話ではないので、皆さん話半分で聞いといてくださいね。
(終)
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興味が無く、「あー、確かにこんなんだったな」という感じでした。
そこに書かれたウルトラマンにカラータイマーが無いので、それも聞きましたが、「そうだったっけな?」と記憶には無いようでした。
その更に数年後、他の本に「成田亨がカラータイマーを嫌っていた事」「誰がカラータイマーを(続)
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まあ、もし何か証拠が出てきても、一部にだけ著作権や意匠権が発生するわけでもないので、まあ今回シン・ウルトラマンでカラータイマーが無くなったのも、元々の成田さんの意向に沿うという意味では、良い選択だったのでは。当人も亡くなっているし、特に深田家からの異論はございません(笑)。
(続)
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天国で、父と成田さんの喧嘩の種が一つでも減ったという事になっていれば幸いです。
若い頃は、円谷時代の事はあまり語りたがらなかったですが、晩年には「自分が係った作品が、こうやって受け継がれているのは不思議な感じだな」と言っていました。
(続)
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初めは80年代末か90年代の始め。『ウルトラマン研究序説』や『不滅のヒーローウルトラマン白書』などが出版されていて、ガッパからレッドマン、そしてウルトラマンにデザインが変遷している設定が何かの本に書いてあって、父に「こういうの知ってる」と聞きました。父はウルトラマンや怪獣に元々(続)
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私にとって成田亨さんは巨匠であり、父の言葉には「何言ってんだ」とずっと思っていました。
ただ、最近当時の事を、父と一緒に円谷プロで働いていた母に聞くと、美術部の事務所の端と端にお互いの机があり、二人が同時に居る時の空気の悪さを感じていた事、(続)