フカフカ(@fukafuka_9)さんの人気ツイート(リツイート順)

26
白石雅彦さんの『「怪奇大作戦」の挑戦』のP.41に、成田さんとの衝突が円谷英二氏の日記に残っているのが収録されていて、まあ事実だったのだろうと。 なので、「成田さんが嫌がる事を、俺以外に頼める人もいないし、恐らく金ちゃんあたりに頼まれて書いたんじゃないか」というのも、(続)
27
数日経って、多くの犠牲者が出た事を知った後は、もうその話はしませんでしたが、一瞬だけ、特撮マンとして面が出たのだと思います。特撮マンとしての性(さが)と言いますか…。 このツイートが不愉快だと思われた方がいればすぐに削除致します。
28
6月19日土曜日の深夜にウルトラマンの第1話「ウルトラ作戦第一号」と、第30話「まぼろしの雪山」が放映されます。 第1話の撮影中と、第30話のロケでの父の写真がありました。 特に第30話は父の特撮美術担当回。ウルトラマンの美術を支えたのは、成田亨先生だけじゃないぜ! nhk.jp/p/ts/PN3P16XW6…
29
#父の日 #ウルトラマンZ 今日は父の日という事で、父に昨日から新しいウルトラマンシリーズが始まった事を報告に行ってきました。 うちは生前の父子の最後の会話がウルトラマンの事だったのです。 死ぬ前日、病室で白石雅彦さんの本を貸して欲しいという話からウルトラマンの話になりました。
30
まあまあ信憑性のある話かなと。 父は、メインメカ以外の一回くらいしか使われないものばかりを、とにかく枚数を書いたので、どれが自分で書いたかは殆ど覚えていないとの事でした。 (続)
31
【宇宙竜ナースの思い出】 子供の頃父に「お父さんは怪獣描いてないの?」と聞いたことがある。 「ない」と答えられてすごく残念がった私を見て、父は「宇宙竜のナース。あれの円盤の奴は描いた覚えがあるな」と言った。→
32
【円谷英二と父】 これはまだ円谷プロが出来る前の話…。 円谷邸の庭で、火山から出る煙を表現しようと、四苦八苦していた父。 そこに円谷監督がやってくる。 円谷「どうした?」 父「煙の表現が上手く出来ないんです」
33
1969年4月7日。 NHKで『空中都市008』が放映開始。 月曜日から金曜日、毎日15分の放送で、1年230回放送された。計57時間30分。 全く、本編映像が残ってないなんてっ!! と言うわけで、美術を担当していた父の遺品の中にあった、撮影現場のスナップ写真を少しだけ上げておきます。
34
それがかなり贅沢なオーディオコメンタリーだったと気づくのは、結構後になってからですよ…。
35
55年前。 円谷プロの社員だった23歳の父は、『ウルトラマン』の制作のための人手が足りないため、大規模のアルバイト募集をかけた。 その募集を受け、当時20歳の母は美センを訪れた。 やがて二人は結婚し、私が生まれた。 ありがとう『ウルトラマン』!そしておめでとう! #ウルトラマンの日
36
コケたと言われると、父にとっては物凄く思い入れがあった作品なので哀しい気持ちになるが、この作品が大当たりしていたら、自分がこの世に生まれて来なかった可能性が大なので、物凄く複雑な、気持ちになります…。 MJドッグは父の自信作になります。今年55周年なんで盛り上がったりしないすかね。 twitter.com/flandre0525/st…
37
この写真は、円谷プロ時代のものを殆ど残さなかった父が、額に入れて飾っていた2枚の写真のうちの1枚です。もう1枚は下に。 子供の頃から、ずっと眺めていた写真です。 これを見つけた時に、文字通り身体が震えました。 もの凄く嬉しいです。 庵野監督、樋口監督、美術スタッフの皆さんに感謝です。
38
字数を費やさないと誤解を産むかも知れないので、いずれブログとかで詳しく書こうと思いますが、簡単に書くと、 「本当の中に嘘を描くか」 「嘘の中に本当を描くか」 というデザインアプローチの相違との事。
39
1966年7月17日。 ウルトラマン第1話『ウルトラ作戦第一号』放映日。 写真は『ウルトラマン研究読本』で見つけた22歳の父の姿。 クレジットは26話からだが、特撮美術の現場は父が仕切っていたとのこと。 ウルトラマンが伝説になるなんて、1㎜も考えていなかったという頃ですな。
40
小さい頃、父に「ウルトラマンに会いたい」と言ったら、古谷敏さんに連絡を取ろうとし始めたので、母が「そういう意味じゃないでしょ」と父を止めてたことがありましたな。 大きくなってから、黒部進さんじゃなくて古谷さんなんだ、さすが特撮班と思いましたな。 twitter.com/ZIAINOYUUSYA/s…
41
【ゴモラが壊した現存する3つの建物】 今週のウルトラマンZにゴモラが登場するとの事。 初代ウルトラマンでゴモラが登場する『怪獣殿下』は父が特撮美術で 初めてクレジットされた作品。 この中で、ゴモラは現存する3つの建物を破壊します。 #ウルトラマン #ウルトラマンZ
42
【金城哲夫さんと父】 本日2月26日は、金城哲夫さんの命日であり、ウルトラマン第33話『禁じられた言葉』が55年前に放映された日です。 金城さんが脚本を書き、父がその世界を作った回。 父に、「金城さんってどういう人だった?」と聞いたことがあります。→
43
本当にそりが合わず、衝突ばかりしていた。 円谷プロを辞めた後、当時の話を聞くと、まず成田さんへの愚痴がでてくるのだ。 決まってその時に出てくる言葉が 「あの人のは飛ばねぇ!」だった。 成田さんが亡くなりニュースになった時に、何でそんなに衝突ばかりしていたかを詳しく聞いたことがある。
44
最近気づいたが、大学時代から円谷プロに入って、辞めた後は生涯フリーだった父にとって、成田亨という人は、最初で最後、人生でたった一人の“上司”だったんだよなぁと。 天国で再会して和解しているか、またケンカを再開しているか…。 そんな事を考えながら、週末の『特撮のDNA展』に行ってきます。
45
その時に、特撮シーンを観ては悔しがっていたとの事。 「金は好きなだけかけた。技術だって海外に負けてないと思っていた。畜生、もっと時間があったらなぁ…。時間だけが本当に足りなかったんだ…」 (了) 写真は円谷プロ退社後に携わったNHKの『空中都市008』の撮影時のスナップです。
46
どこかでたまたま目にした記憶なので正確じゃないかもしれないですが、成田さんが「ウルトラホーク1号は実際に飛びますよ」と飛行機の設計者に言われて喜んだという話がありましたが、「ああ、気にされてたんだぁ…」と申し訳ない気持ちになりましたね。
47
父が亡くなる数年前に「成田さんねぇ、まあ怪獣は確かに良くあんなの思いつくよなって感じでスゴいよな。メカはなぁ…まあ絵は上手かったよ確かに、彫刻家にしてはさ…」 と成田さんを褒めるようなことを言ったので、母と「人って本当に年をとると丸くなるんだなぁ」と感心しましたね。
48
父的には、子供が見る番組というが前提なので、前者のスタンスでデザインをするべきという考え方だったが、 成田さんは後者のスタンスだったと。 「彫刻家だからさ、まずは見栄えに走るんだよ」 まあこれはどっちが正解というのもないし、実際成田メカ、カッコ良いしねぇ…。
49
成田さんと父の関係は、両者を知っている母に言わせると、「寡黙とまで言わないけど、口数も少なく真面目で職人肌の成田さんと、金持ちのボンボンで、おしゃべりで、お調子者で遊び人のお父さんが合うわけないじゃない」と一刀両断でした。
50
あげるのも良いのではないか…と思う反面、やはりアレは、当時の人達が戦って付いた傷跡で、それを消してしまうと、戦った記録や記憶も消えてしまうのではないか…という気もします。 恐らくこれには正解はないでしょう。 『4kウルトラセブン』は“ピアノ線”は消されていないと教えてもらいました。 →