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⑭
当時の円谷プロ、ウルトラマンのことを「実績や経験は少ないが、若き才能が集まった作られた」みたいな書かれ方がされるが、最近は、父もその中の欠けられないピースの一つだったのかなぁ…と思うようになりました。
なんて思うのは、身内贔屓が過ぎますかね(笑)。
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小さい頃、父に「ウルトラマンに会いたい」と言ったら、古谷敏さんに連絡を取ろうとし始めたので、母が「そういう意味じゃないでしょ」と父を止めてたことがありましたな。
大きくなってから、黒部進さんじゃなくて古谷さんなんだ、さすが特撮班と思いましたな。 twitter.com/ZIAINOYUUSYA/s…
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どこかでたまたま目にした記憶なので正確じゃないかもしれないですが、成田さんが「ウルトラホーク1号は実際に飛びますよ」と飛行機の設計者に言われて喜んだという話がありましたが、「ああ、気にされてたんだぁ…」と申し訳ない気持ちになりましたね。
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父が亡くなる数年前に「成田さんねぇ、まあ怪獣は確かに良くあんなの思いつくよなって感じでスゴいよな。メカはなぁ…まあ絵は上手かったよ確かに、彫刻家にしてはさ…」
と成田さんを褒めるようなことを言ったので、母と「人って本当に年をとると丸くなるんだなぁ」と感心しましたね。
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⑧
一番驚いたのは、成田亨さんが、父の仕事を評価していたという話だった。
以前にもツイートしたが、父と成田さんは衝突ばかりしていたと聞いていたからだ。
twitter.com/fukafuka_9/sta…
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④
当時の人たちはみな「予算が厳しかった」という。
だが、父は「円谷プロ時代は、好きなだけ金使ったなぁ。人生であれくらい何も考えずに金使ったこと無いな。本当に好き勝手やらせてもらったよ」と言っていた。
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私「じゃあ、今は良いね。線なんてエフェクトで消せるし、そもそも今って吊ってないんじゃない」
父「だけど今は大変だよ。全世界の人間がビルに飛行機が突っ込んだらどうなるか、ビルがどうなるかの正解を知ってるんだ。昔、ビルに飛行機突っ込ませた事あるけど、
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俺もこの前初めて正解を『見た』んだからな。俺らは手探りだったってのはあるけど、観る方もそんなに目が肥えていたわけじゃないからな」
911の後くらいに話した感じですね。
で、“ピアノ線”。当時の人がそれほどまでに消すことにこだわったのあれば、今の技術で消してあげて、理想に近づけて
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③
私には60年代の円谷プロの話を読むのが苦痛の時代がありました。
必ず「製作費を掛け過ぎて会社が困窮し、1968年に大量の人員整理が行われた」という一文が入るからです。
この「製作費の掛け過ぎ」の一因は父にあると思っていました。特撮美術は一番予算がかかる部門だと思われたので。
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本当にそりが合わず、衝突ばかりしていた。
円谷プロを辞めた後、当時の話を聞くと、まず成田さんへの愚痴がでてくるのだ。
決まってその時に出てくる言葉が
「あの人のは飛ばねぇ!」だった。
成田さんが亡くなりニュースになった時に、何でそんなに衝突ばかりしていたかを詳しく聞いたことがある。
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⑩
例えばそれらを作る時、父が金を渋る男だったらどうなっていただろうか。
成田さんや、金城哲夫さんが頭に描いたものを、実際の形にする時に「予算が厳しいから、これで妥協してよ」という人だったら、「子供番組だから、これくらいで充分じゃない」という人だったら…。
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父的には、子供が見る番組というが前提なので、前者のスタンスでデザインをするべきという考え方だったが、
成田さんは後者のスタンスだったと。
「彫刻家だからさ、まずは見栄えに走るんだよ」
まあこれはどっちが正解というのもないし、実際成田メカ、カッコ良いしねぇ…。
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⑥
父がどんな人間だったかを端的に言うと、何かを選ぶ時、一番値段の高いものを躊躇なく手に取る人だった。
もちろん限界はあるが、可能であればそうした。こと金銭に関しては、父の頭の中に「計画的」という言葉は全く無かった。
あればあるだけ使う人だった。この資質は、家族を本当に苦しめた。
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私にとって成田さんは憧れのヒーローで、子供の頃、父が成田さんをくさすのを聞いて、「成田さんはスゴいんだぞぉ」と言い返して親子ケンカをしていましたね。
今考えるとなんか不思議な構図ですな。
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⑪
ウルトラマンもウルトラセブンも今観ているのとは違った姿の作品になっていた可能性もある。
まあ勿論、父以外の人がやって、より良い作品になった可能性もありますし、同時代の映画界とはかけている桁が二桁少ないと言われる中での予算ですけどね。
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これだけはみんな知ってる。理解してる。正解を知ってることに関しては、みんな自信満々で人に言うわけよ。それで、線が見えればこれは不正解だって、意気揚々とな。お前もガキの頃言ってたよ」
私「うっ、それはゴメン」
父「だから、“ピアノ線”を消すってことは、大した話じゃなさそうで、
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言い返せちゃうからな。爆発や建物も同じ。本物を見た事ある人なんて殆どいないだろ」
私「まあ、そうかな」
父「ただな、そんな中で、誰もが絶対に言ってくる話があるんだ。何だか解るか?」
私「解らない」
父「“ピアノ線”だ。こいつばかりは、もう本当にうんざりするくらい言われる。
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⑦
父が死んで、当時円谷プロで一緒に働いていた母に尋ねたり、書籍を読んだり、いろいろな人の話を聞くようになった。
その中で、少しずつ円谷プロ時代の父に対しての見方が変わってきました。
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まず言ってこない。爆発がおかしいとか、建物の壊れ方がおかしいとかな。何でだかわかるか?」
私「解らない」
父「誰も正解を見たことがないからだよ。本物のウルトラマンや怪獣を見たことある奴はいない。
おかしいって言ったって、じゃあアンタは本物見たことあるのかい?って
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以下は、父と元アルバイトの人に聞いた話。
特撮perfectbook No.1の鈴木清さんのインタビューにもありますが、『ウルトラマン』の途中から『ウルトラセブン』の途中まで、美術は池谷班と深田班に分れ、お互いの班が相手に負けないように、切磋琢磨して作品に当たっていたという流れがあります。
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当時はアルバイトもラッシュを観せてもらえたらしく、それを観て、別班に「勝った」「負けた」とやっていて、その戦いの中で、最も俎上に上がったのが“ピアノ線”をどっちの班が上手く消したか。という話みたいです。
で、“ピアノ線”について父と話したことがありました。
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老若男女問わず、たくさんの人が凄い言ってくる。何でだと思う?」
私(俺も子どもの頃、「あー線見えてる!」って親父に言ったことあるな)「解らない」
父「まあある程度の歳になればな、飛行機が上から線で吊って飛んでいないことは解るだろ。で、こいつは真理なんだ。正解なんだ。
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