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「成田さんが嫌がっているのに、成田さんのデザインに何か付け足すなんて、俺くらいしかやらないだろう」との事でした。
一回り以上年が離れていて、経歴も段違いなのに、父は「円谷時代はとにかく成田さんと合わなくて、顔を合わせるとぶつかってばかりだった」とよく言っていました。(続)
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デザインしたか解っていない事」が書いてあったので、誰がデザインしたか知っているかを聞きました。その時の答えは「あー、だったら俺だな」でした。
理由を聞くと、「ウルトラマンが始まる前や初期なら、機械関係のデザインをしていたのは自分か成田さんしかいない」(続)
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55年前。
円谷プロの社員だった23歳の父は、『ウルトラマン』の制作のための人手が足りないため、大規模のアルバイト募集をかけた。
その募集を受け、当時20歳の母は美センを訪れた。
やがて二人は結婚し、私が生まれた。
ありがとう『ウルトラマン』!そしておめでとう!
#ウルトラマンの日
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私にとって成田亨さんは巨匠であり、父の言葉には「何言ってんだ」とずっと思っていました。
ただ、最近当時の事を、父と一緒に円谷プロで働いていた母に聞くと、美術部の事務所の端と端にお互いの机があり、二人が同時に居る時の空気の悪さを感じていた事、(続)
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白石雅彦さんの『「怪奇大作戦」の挑戦』のP.41に、成田さんとの衝突が円谷英二氏の日記に残っているのが収録されていて、まあ事実だったのだろうと。
なので、「成田さんが嫌がる事を、俺以外に頼める人もいないし、恐らく金ちゃんあたりに頼まれて書いたんじゃないか」というのも、(続)
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興味が無く、「あー、確かにこんなんだったな」という感じでした。
そこに書かれたウルトラマンにカラータイマーが無いので、それも聞きましたが、「そうだったっけな?」と記憶には無いようでした。
その更に数年後、他の本に「成田亨がカラータイマーを嫌っていた事」「誰がカラータイマーを(続)
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初めは80年代末か90年代の始め。『ウルトラマン研究序説』や『不滅のヒーローウルトラマン白書』などが出版されていて、ガッパからレッドマン、そしてウルトラマンにデザインが変遷している設定が何かの本に書いてあって、父に「こういうの知ってる」と聞きました。父はウルトラマンや怪獣に元々(続)
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まあまあ信憑性のある話かなと。
父は、メインメカ以外の一回くらいしか使われないものばかりを、とにかく枚数を書いたので、どれが自分で書いたかは殆ど覚えていないとの事でした。
(続)
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その時に、特撮シーンを観ては悔しがっていたとの事。
「金は好きなだけかけた。技術だって海外に負けてないと思っていた。畜生、もっと時間があったらなぁ…。時間だけが本当に足りなかったんだ…」
(了)
写真は円谷プロ退社後に携わったNHKの『空中都市008』の撮影時のスナップです。
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コケたと言われると、父にとっては物凄く思い入れがあった作品なので哀しい気持ちになるが、この作品が大当たりしていたら、自分がこの世に生まれて来なかった可能性が大なので、物凄く複雑な、気持ちになります…。
MJドッグは父の自信作になります。今年55周年なんで盛り上がったりしないすかね。 twitter.com/flandre0525/st…
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最近気づいたが、大学時代から円谷プロに入って、辞めた後は生涯フリーだった父にとって、成田亨という人は、最初で最後、人生でたった一人の“上司”だったんだよなぁと。
天国で再会して和解しているか、またケンカを再開しているか…。
そんな事を考えながら、週末の『特撮のDNA展』に行ってきます。
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今年はシン・ウルトラマンが公開され、アマプラで配信も始まりました。
「親父がやったメフィラス星人の回のあのシーン、あれ長澤まさみでリメイクされたぜ。長澤まさみだぜ、長澤まさみ」
と報告しようかと思います。
#シンウルトラマン
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あげるのも良いのではないか…と思う反面、やはりアレは、当時の人達が戦って付いた傷跡で、それを消してしまうと、戦った記録や記憶も消えてしまうのではないか…という気もします。
恐らくこれには正解はないでしょう。
『4kウルトラセブン』は“ピアノ線”は消されていないと教えてもらいました。
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“ピアノ線”が見えた時、二十代の若き男女が現場で、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、どうしたら観てる人を裏切らないか、と思い格闘しながらも、出来てしまった傷跡だと思うようになりました。
父が死ぬ直前に、夫婦で携わった『ウルトラセブン』の再放送を二人で観てたそうです。
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字数を費やさないと誤解を産むかも知れないので、いずれブログとかで詳しく書こうと思いますが、簡単に書くと、
「本当の中に嘘を描くか」
「嘘の中に本当を描くか」
というデザインアプローチの相違との事。
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成田さんと父の関係は、両者を知っている母に言わせると、「寡黙とまで言わないけど、口数も少なく真面目で職人肌の成田さんと、金持ちのボンボンで、おしゃべりで、お調子者で遊び人のお父さんが合うわけないじゃない」と一刀両断でした。
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実は結構重大な作業だったわけよ。色塗ったり、ライトの当て方を考えてセットを設計したりな。
“ピアノ線”が見えるってことは、特撮を好きな人を悲しませ、特撮を馬鹿にしたい人を喜ばせることになるからな。オヤジ(円谷英二)の顔に泥を塗らないようにって、当時はそう思ってた」
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②
でも最近、当時の事を書いた本や資料、証言を聞くたびに、そうでは無かったのではないかと思うようになりました。
ここからは、身内贔屓の話になりますので、鼻で笑いながら読んでください。