そして、これ。韓国の報道は「うつ伏せで掘る」「横たわって掘る」坑夫の写真に固執しています。写真が筑豊の小ヤマの写真だと私たちが事実を突き止めても、私たちの声はなかなか世界に届きません。そりゃ韓国政府と韓国の公共放送が一緒になり、日本の公共放送も「負の遺産」と報道するわけですから。
NHKには他にも端島炭坑の坑内を撮影した映像が残っていることから「緑なき島」でも坑内撮影は可能だったと国会で主張されました。画像はNHKが保管している日本ニュース(昭和22年撮影)の端島坑内の映像。場所はおそらく「二坑底坑道」。竪坑ケージを降りてすぐの所です。鉱員は褌一丁じゃないですよ?
戦時中から端島で暮らし、戦後も閉山まで炭坑で働き、島で生活してきた人々が、根拠を明確にしながら「ありえない」と証言しているものを、端島に行ったことさえない者が、なぜ否定できるのか本当に理解に苦しみます。私たちはイデオロギー論争をしているのではなく事実に基づいた話をしているのです。
まずは「強制連行」という戦後に作られた定義もあいまいな造語を封印すべきです。何でもかんでも「強制」「強制」と繰り返し、罪悪感を恣意的に醸し出すような主観的な言葉では、まともな議論になりません。「犠牲者」という言葉も同じ。誰が加害者で、誰が何の犠牲を被ったのか証明していくべきです。
論点をすり替えていると指摘される方がいますが、何もすり替えていません。私たちのNHKへの不信は「実感ドドド!追憶の島~揺れる”歴史継承”~」の”負の遺産”という明らかな偏向報道から始まり「緑なき島」の坑内映像の捏造判明によって一気に高まりました。何が「負の遺産」なのか具体的に示すべき。 twitter.com/noharra/status…
私たちは「真実を追求する」という信念で、事実は何であるかを明らかにすることに力を尽くしてきました。それにより、今まで事実とされてきたことが誤りであると判明し、またひとつの誤りが、誤りの連鎖を生んでいることも見えてきました。そんな連鎖を生んだ「報道」の責任を私たちは問うていきます。
「主婦の友」が昭和31年3月号で端島を取材し、記者が切羽にまで入っています。取材を記憶する島民もいます。「そこでは、ピック(手持ちの石炭掘り機)を手にオートバイのように、すさまじいうなりを立て、炭層を切り崩している」との描写があり、NHK「緑なき島」とは違う実際の端島の様子が伺えます。
私ども「真実の歴史を追求する端島島民の会」では、メンバーの高齢化が進み、活動継続にも課題が山積しております。独自の調査を継続したり、映像制作の資金も底を尽きてきました。そこで再びクラウドファンディングに挑戦します。どうか皆様の温かいご支援をお願い致します。 readyfor.jp/projects/100989
元端島島民の松本栄さんは昭和3年生まれ。少年時代は端島で豆腐店を営む両親を手伝い、戦時中は端島炭坑の坑内で測量の仕事に従事しました。当時、内地・朝鮮など出身地で差別されたり待遇が違ったことは無かったと話します。差別を主張するなら、何が違ったのか根拠と合わせて具体的に示すべきです。
巨大組織NHKは様々なルートを使って「真実の歴史を追求する端島島民の会は、一体どこまでやるつもりなのか?」と探りを入れてきます。どこまでもやりますよ。NHKがおかしいことをおかしいと認め、しっかりした調査・公表、訂正報道、映像の回収を行うまで。自分のやったことの責任を取るのは当然です。
4月3日の参議院決算委員会で和田政宗議員がNHKの稲葉新会長に対し「緑なき島」について「島民と会う事も含めて、しっかり対応して頂きたい」と訴えて下さいました。NHKは我々の指摘に耳を傾けることもなく、形式的な調査報告書だけで強引に幕引きを図ろうとしています。それでも本当に公共放送なのか?
2020年6月24日にもKBSは「軍艦島として知られている日本の端島には1943年から45年まで韓国人500人~800人が強制労働を強いられ、その中122人が死亡した」と報道しています。この期間中に、実際に端島炭坑で事故で亡くなった可能性のある朝鮮人は14名。日本人は27名です。KBSこそ歴史歪曲をやめるべき。
【NHK「緑なき島」情報捜索中!】 私どもが探しているのは、昭和30年にNHK「緑なき島」の撮影に関係したスタッフや「坑夫」として出演された方、またNHKの映像が筑豊周辺の小さい炭鉱で撮影された可能性があることから、小規模炭鉱の写真や昔NHKが取材に来たという情報がありましたらお寄せください!
韓国SBSは、日本政府が「佐渡金山」を世界文化遺産候補として推薦する可能性があり、歴史歪曲をした軍艦島の「二の舞」になりかねないと報道。佐渡市は「日本人労働者と同じ待遇で働いた事が把握された。世界遺産登録推薦書案にはこの様な事実も記載した」と回答しています。 n.news.naver.com/article/055/00…
「給料をもらったことがない」などという朝鮮人労務者の証言がどんどん一人歩きし、貨車で連れていかれた、鉄条網で囲われた監視塔のある収容所に入れられた、強制労働だった、などと主張がエスカレートし、主張が裁判で「事実認定」されています。いくら荒唐無稽でも反論しないと事実認定されます。
なお、端島炭坑で当時使用されていた白色のヘルメットは、メーカーにも問い合わせて確認いたしましたが、スターライト工業の国産第一号フェノール樹脂製ヘルメット「KSヘルメット」の炭坑用のもの(昭和29年販売)でした。頭頂部のラインが縦に2本入っているのが特徴です。ご参考までに。
NHKが端島炭坑を「負の遺産」と報道していることについて、父親が小ヤマを経営していた戸田洋さんは、端島が「負の遺産」だったら、炭坑そのものが「負の遺産」になると憤ります。小ヤマは、端島炭坑よりさらに厳しい条件で人々が懸命に働いてきました。日本の産業史を正しく知って欲しいと訴えます。
この写真は「日本現代写真史1945年‐1970」に掲載された写真で、1946年に酒井慎一氏が東京・品川沖第四台場で撮影したものです。狩り込みで少年保護所に収容された浮浪児とキャプションにあります。当時の日本は、街に戦災孤児があふれ、上野駅構内で生活するしかなかったという悲しい記録もあります。
一応、関連する記事もご紹介いたします。 「徴用工」の賃金は共産党に流れていた dailyshincho.jp/article/2018/1… #デイリー新潮
KBS、MBC、JTBCなど、韓国のテレビ局は少なくとも「軍艦島」の報道について、韓国政府の言論統制下で正確な報道ができない状態にあるのではないかと強く感じます。チェックする限り、報道内容は画一的で、根拠も同じ、主張も同じ。各社とも、自ら取材して事実を検証していますか?と問いたくなります。
徴用工被害者・徐正雨(ソ・ジョンウ)氏「高浜へ泳いで逃げようとして溺れ死んだ者など、四、五〇人」 しかし、朝鮮人労務者の「溺死」の実際の記録は以下の通り 昭和20年 0名 昭和19年 1名(22歳) 昭和18年 0名 昭和17年 0名 昭和16年 0名 昭和15年 0名 昭和14年 1名(27歳) 昭和13年 0名
このような報道が出てますが、端島において「強制労働」の事実は確認できておりません。事実に基づき日本政府が毅然と対応することに期待しております。 軍艦島の約束を6年守らない日本…ユネスコが強い遺憾「強制労働を伝えよ」-Chosun online 朝鮮日報 chosunonline.com/site/data/html… @chosunonlineより
三菱重工広島の半島出身応徴士たちが寝泊まりした寮の部屋です。(撮影:昭和19年5月)建物は応徴士を迎えるための新築で、戦後は社員寮として使われ、一部は広島カープの合宿所としても活用されました。大勢での共同生活は窮屈だったとは思いますが、決して奴隷のような扱いではありませんでした。
長崎在日朝鮮人の人権を守る会会長で、岡まさはる記念長崎平和資料館理事長(当時)だった高實康稔氏(故人)が、韓国KBSの番組に出演し、軍艦島の朝鮮人徴用工とされてきた偽写真を示しながら「腹這いで採炭していた」と説明している様子です。このようにして誤った情報が世界へ広がっていきました。
あらためて「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が収集した端島で奴隷労働を強いられた朝鮮人の証言に、私たちは強い疑念を抱いています。それは証言の多くが端島炭坑の作業実態と異なり、まるで筑豊の零細炭鉱での作業(タヌキ掘り)の様子を語っているからです。先行研究者らはこの点を検証し直すべき。