徐正雨氏が「私が入れられたのは、ここです。この室番B102とあるこの部屋です。今見ると戦後、炭坑の診療所の病室になったんでしょうねぇ」と証言していますが、端島病院は昭和32年4月1日に火災で全焼して建て替えられています。室番まで覚えているかのように証言していますが、病棟は戦後の建物です。
19号棟の1階の他、家族のいる朝鮮人は日本人と同じように30号棟など社宅で暮らしていたという証言もあります。また木造の寄宿舎で独身の朝鮮人が共同生活していたという証言もありますが、正確な場所や人数がわかりません。誰もが、そんなに多くの朝鮮人が暮らしていただろうか?と首を傾げています。
日給社宅19号棟1階に朝鮮人が集団生活し、時々太鼓を叩いて楽しそうに踊っているのを見たという証言が複数あります。「端島炭鉱 坑外建家平面之図」を紐解いてみると30人ぐらいが生活したかもしれない場所がありました。しかし五百人以上の朝鮮人が狭い端島のどこで暮らしていたのか見当がつきません。
「軍艦島の真実」で戦時中の端島を知る島民の証言映像が公開されています。ぜひウェブサイトもしくはYouTubeチャンネルでご覧下さい。 山口 勇さん youtu.be/mSnFOMhDEUA 矢持 邦穂さん youtu.be/7JsnJeVg9k4 相良 侯秀さん youtu.be/3LxGlCP97II 尾崎 英さん youtu.be/wn4OrVpYXrM
端島炭坑の「拂採炭成績表」という一次史料があります。これを見ると「採炭夫」は出来高賃金です。炭鉱のド素人の「朝鮮人徴用工」をいきなり「採炭夫」に投入すれば、チームで採炭している端島では「効率が下がる=賃金が減る」ため、先山が猛反発したのではないかと田中實夫さんは指摘しています。
しつこいようですが、端島炭坑では戦時中も戦後も、「うつ伏せ・腹這い・屈んで採炭」「背中にゃ石炭かつぐ」という作業は「絶対にありえない」と田中さんは断言しています。これは技術的に明確な根拠をもって説明できることです。朝鮮人だけが危険な箇所に従事したことも「考えられない」そうです。
本日は端島炭坑の記録を紐解き、高島砿業所で副所長をされた田中實夫さんに詳しく解説いただきました。端島炭坑では昭和17年には急傾斜の採炭技術が最終形として完成しており、戦時中も戦後も同じ採炭方法で作業を行っていたことがよくわかりました。戦時中から高度な採炭技術が用いられていたのです。
「受け入れられない」という方もいらっしゃいますが、実際に戦時中に端島坑内で仕事をされた方々の証言であり、この証言に何らかの矛盾を感じられますでしょうか?現場を何もご存じない方から、ただ感情的に「受け入れられない」と言われても理解に苦しみます。賃金の差が生じる理由も明白です。 twitter.com/noharra/status…
戦時中の端島坑内を知る島民によれば、応徴士として半島から来た人は初心者なので危険な仕事にはつけられない。事故が起きれば日本人・朝鮮人に関わらず坑内で多くの人々が犠牲になる。そのため最前線の採炭ではなくトロッコを押す運搬等の後方業務に従事したとのこと。賃金差は能力や職種の違いです。 twitter.com/gunkantruth/st…
高給の「奴隷」なんてありえませんよ。それは「奴隷」とは言いません。当時から端島で働いていた島民は、自分たちが「奴隷」だと思ったことなどありません。端島の炭鉱マンはプライドを持って働いてきました。三菱鉱業が「金さえ払えば どう扱ってもいい」と考えていた根拠をきちんと示して下さい。 twitter.com/nogawam/status…
むしろ端島炭坑で日本人と朝鮮人で賃金に差別があったと主張される方は、しっかりその根拠を一次史料で提示すべきではないでしょうか。根拠もなく差別があったと言われても、首を傾げざるをえません。当時を知る多くの島民(複数の朝鮮半島出身者を含む)も、差別はなかったという証言をしています。
端島炭坑で日本人と朝鮮人で賃金に差別があったことを前提に考える方がいらっしゃいますが、根拠がわかりません。当時は皆「日本人」でしたが、内地出身者と朝鮮半島出身者を差別する「賃金規程」が存在するという考えなのでしょうか?少なくとも、無給で奴隷労働させる制度でないことは明らかですね。 twitter.com/TakenoGishi/st…
「統計表 端島坑務課」に記載されている昭和18年4月~昭和22年5月の端島炭坑の「坑内夫平均賃金」を公表します。これらの賃金は日給です。ご覧の通り職種別に賃金が違います。戦時中で最も高かったのは昭和20年2月の「採炭夫」平均日給5円55銭でした。内地出身、半島出身という区別は見当たりません。 twitter.com/gunkantruth/st…
【超重要一次史料発見!】 これもスクープかもしれません。超重要な一次史料を発見!「統計表 端島坑務課」とあります。今まで見たことのないものです。昭和18年4月からの数値が手書きで細かく記されています。盤下別出炭量や坑内作業の人員数、そして平均賃金や事故による死傷者数の記載もあります。
三菱重工広島の寮母 米田澄子さんの手記をわかりやすく動画にしました。米田さんは当時28歳。昭和19年10月~昭和20年9月30日まで半島応徴士の世話をするため勤務し198人を担当。病人が出た時も懸命に看病し、日本語の話せる半島応徴士のリーダーが寮母さんに惚れて一緒に半島へ帰ろうと誘われたとか。
戦時中、朝鮮半島出身者を差別して、内地出身者よりも不当に賃金を安くしたり、そもそも給与を支払わずに奴隷労働をさせたことがわかる一次史料って事例があるんでしょうか?差別的な「賃金規程」とか。記録を紐解く限り、三菱重工にも三菱鉱業にもそのような痕跡は全く見当たらず、首を傾げるばかり。
一次史料を提示すると、1つの例をもってそれをすべてと証明できないという意見をいただきます。それなら、朝鮮人が全員差別されたかのようない方はやめるべきですね。軍艦島で給料もなく奴隷のように働かされたという人は、証明できる一次史料が1つでもありますか?何を根拠に地獄島と言うのですか? twitter.com/noharra/status…
月給200円以上というとかなりの好待遇です。「名古屋陸軍造兵廠史・陸軍航空工廠史」に記載されている昭和20年の軍人諸給与では、少佐の月額俸給170円~220円と同じレベルということになります。朝鮮人は差別されたとか、無給で奴隷のように働かされたとか、この給与明細からは全く想像もつきません。
「国民徴用令」によって播磨造船所の全従業員は、徴用に応じた「応徴士」として働きました。元在日2世の清本清一さんのお父様の給与袋を拝見すると、賃金から控除金を差し引いた手取り額は、多い時で月給200円以上。終戦時の20年8月でも54円18銭の手取りがあり「徴用満期慰労金」も支払われています。
元在日2世で令和元年に日本に帰化された清本清一さんのお父様が、兵庫県の播磨造船所で働いていた時の給与袋(昭和17年1月~昭和20年10月)や当時のメモなどを拝見しました。当たり前ですが、朝鮮半島から来られた労働者の方々にもきちんと給与が支払われていたことを証明する貴重な一次史料ですね。
そういえば、最近グ・ヨンチョル氏を見かけません。ついに韓国メディアからも姿を消したように思いますが、ご健在なのでしょうか?結局こちらが望んだ直接の対話はまだ実現できていませんが、韓国JTBCの番組を通して間接的な対話はできたように思います。我々の強い意志が彼に少しは伝わったはずです。 twitter.com/gunkantruth/st…
【緊急速報】ついに発見しましたぁ! 端島炭坑の「保安日誌」超ド級の一次史料です。 昭和16年11月15日~昭和19年11月20日の毎日の端島炭坑の保安状況が詳細に綴られた極めて貴重な日誌です。よくぞ朽ち果てずに眠っていてくれました(涙)詳しく検証してから、後日あらためて皆様にご報告いたします。
韓国の「国立日帝強制動員歴史館」では、徐正雨氏や「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が主張してきた「腹バイ」説を信じて、端島炭坑の採炭現場の様子をCGで解説展示しています。あまりに無理すぎるCGに思わず失笑。無理やり「腹バイ」で採炭している様は、もはや異次元の妄想。これが韓国の国立施設。
軍艦島の徴用工らの証言も、それを伝える報道も、重要な内容がほぼすべてデタラメで、妄言虚言のオンパレードです。何か一つでも一次史料なり、端島で奴隷のように働いたという証拠を出してみろ。KBS、MBC、そしてNHKよ。長崎新聞よ。
これが実際の端島の炭層(図は昭和28年)です。 傾斜になっている炭層の中を採炭していきます。KBSやMBCの図のように、モグラの穴みたいに掘って本当に石炭が採れると思っているのでしょうか?あまりに幼稚な発想というか、無知すぎて呆れます。KBSやMBCの記者もこの投稿を見てるはずだから勉強せよ。