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ぼくは自分で言いたくないけれど80代の世間的には老人だよ。なんで香取慎吾なんだよー。30万人のフォロワー全員が香取ファンのミーチャン、ハーチャンなの。やっておれんねえ。
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この数日のツイートは香取慎吾君のことばかり。これって一体何?ぼくのツイッターは香取君のファンクラブじゃないよ。そーか、ぼくのツイッターのフォロワーはこんなに若い人達ばかりなの?80代のフォロワーはいるの?
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ぼくのY字路は分岐点だと言う人がいるが、ぼくに言わせれば煉獄だろうなあ。片方が天国、片方が地獄。ぼくのY字路では両方共暗い道。どっちに行っても地獄だと思っておいた方が期待が裏切られなくていいですよ。
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桜が咲いていないのに、どこからか桜の花びらがアトリエのバルコニーに飛んでくる。そのひとひら、ひとひらがこのところ何人も死んでいった友人、知人に思える。
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オノ・ヨーコさんが嵐のようにやってきて、トルネードのように突然京都からロスに発った。何の前ぶれもない彼女自身も彼女に振り廻されているように。そんな彼女はいたって物静かで、何も起こらない、起こそうとしないそんな雰囲気だ。でも振り廻す自分も振り廻される自分も、あってないような感じだ。
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2人共、耳が遠くて、話が通じないので、テレパシー会話だ。それで十分通じるんだよね。ニューヨークに行けないよ、と言うと、「私、行ったげる」みたいにやってきてくれる。こういう無邪気で子供っぽいところが好きだなあ。
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おとといオノ・ヨーコさんがアトリエに遊びに来た。おしのびだけれど、彼女は近くのコンビニに行く感じで、会いましょう、と言ってやってくる人だ。この気軽さはちょっと真似できない。東京とニューヨークの差などない人だ。
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裕也さんとぼくは同じメーカーの赤い靴下を履いていたら、「交換してくれませんか」と言うので交換したけれど、ちびて薄くなっていた。最近も赤い靴下を履いていた。
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内田裕也さんが亡くなった。仲のいい夫婦は、間を空けないで後を追うというけれど、この二人のネジレというかズレは向こうで修復するのか、どうか? 樹木さんは直感的で、感覚的だった。裕也さんは、コンセプチュアルでスジを通すところがあった。
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政治的行為は毎日やってますよ。と答える。創作で毎日意識を新たにしています。これはぼくの革命です。芸術は社会を変える力があるから。
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フェデリコ・フェリーニも50才になるまで本を読まない人だった。だから、あんな凄い映画が作れるんだよね。ぼくはフェリーニには負けるけれど45才頃まで、本はあまり読まなかったなあ。知性(本)に対して本能(肉体)ですよね。
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絵を早く沢山描くコツは上手になまけることだ。ただただ描くだけじゃダメで、如何になまけるかだ。よく仕事をする人は、よくなまける人だと思う。bit.ly/1Xgurj
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ドナルド・キーンさんが亡くなった。生前、肖像画の依頼を受けていたけれど、「横尾さんは死んだ人ばっかり描くので、もう少し先き伸ばしにします」と言われて、いつ描けばいいのかなと待っている間にとうとう亡くなってしまった。
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僕は時々自著「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」を読み返す。ここには133冊の書評が納められている。その全てが書きたくて書いた本で、どの本からも影響を受けた。そしてここには僕の考えの全てが入っている。
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彼の絵に対して、あゝしろ、こうしろという意見をする人が多いらしいが、自分のしたいことをするべきだ。答えは彼の中にあるんだから。
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香取慎吾君がアトリエに。彼は100点の絵を100種類の様式で描く。1000点描けば1000点の様式になるだろう。驚異の多重人格──ではなく多重画格だ。
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絵を描いて疲れて、絵で元気になる。絵は魔力だと思う。
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絵はどの瞬間でも完成している。どの瞬間で筆を置くか、決め手がない。これ以上描くと終りが見えなくなる。その時が引け時かな。
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言葉がどんどん脳から消えていきます。言葉に従っている間は、いくら頑張っても肉体的にはなれません。画家は肉体労働者です。小説家は観念的でいいのです。何故なら肉体的にはなれない言葉の世界に属するからです。
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元々、多様性を持たない人間に多様性になれとか、多様性になろうと思う必要はない。性格は変らない。これが自分の性格やと思うことをやればいい。多様性なんてクソクラえという根性も必要だ。bit.ly/1Xgurj
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この体験はぼくの原点になった。