写真付きのメニュー表って立派な視覚支援だよね。見通しが立つから安心して注文できる。大人や子供に関係なく、そして発達特性の有無にも関係なく全員にわかりやすい。合理的配慮は一部の人のものじゃなくて、すべての人に優しいということがよくわかる例。
息子を車に乗せる時に「よっこらせっと」と言ったら、目をキラキラさせながら 👦🏻なにセット!? と聞いてきた。おそらくハッピーセット的な何かだと勘違いしてるんだろうけれど、そんなワクワクするものじゃありません。かぁちゃんの腰と背中は限界です。
ASDはネガティブ体験が脳に強く残りやすい。毎晩寝る前は息子にその日あったこと・食べた物なんかを振り返って話してもらっているのだけど、真っ先に怖かったことや嫌だったことを話すことが多い。例えばエスカレーターで躓いて転びかけたとか、風船が割れたとか。その様子を見たり話を聞いていると→
「お母さんもっと頼って」って簡単に言うけどさ… ①頼り先が見つけづらい ②頼ろうと思ったら手続き煩雑 ③頼りたいその日に利用できない これらのハードルが当たり前のように設定されていて。不眠で回らない頭とホルモンバランスで乱れた心でそれらをこなすことの方が辛いと感じたことならある。
息子は2歳で発達障害の診断がついた。診断を受けるのは怖くなかった?と聞かれることがあるけれど。診断を受けることよりも、特性に応じた支援を受ける機会を逃すことの方が怖かった。だから診断を受けられた時はホッとした。診断はレッテルではなくて、支援を受けるためのパスポートだと思ってる。
幼保無償化の所得制限の先にあるのは、最終的には無償化自体の撤廃だよ。本当はどの家庭も他人事じゃない。所得制限を設けるやり方は、同じ子育て世帯の中で分断が起こること狙ってるんだよ…分断されてる場合じゃないんだよ…
所得制限「最初は年収700万円と言っておいて、最終的には1000万あたりにするんだろうね」と夫が言っていて、それはあるだろうなぁと思った。世間の声を聞いた“風”を演出できるし、制限から外れた世帯からは反対の声が消える。そして声にならないくらい少ない世帯だけ切られる。 #所得制限反対
「発達障害の人にわかりやすい環境は、発達障害以外の人にもわかりやすい」 ほんとこれだよね。発達特性がある子は特別な配慮・支援が必要だけど、そうじゃない子には不要なわけじゃない。わかりやすいことはみんなにとってわかりやすい。
大学の社会福祉の初回授業で『劇場版フランダースの犬』を観た。授業時間をめいいっぱい使って映画を観たあと、鼻を啜る音が響く教室の中で先生が一言。「こういうことを防ぐのが福祉です」不幸な少年の悲しい話として切り捨てない、ましてや美談にしない。社会福祉の導入として完璧な授業だった。
貧困と闘いながら心正しく暮らす少年が、唯一の肉親である祖父を亡くし、最後は窃盗の濡れ衣を着せられたまま犬と共に飢え死にするなんて美談にしちゃダメだよな。と気付かされた授業。先生は社会福祉士だった。
おすすめ書籍置いておきます。日本の社会保障制度は「申請主義」など、社会福祉に関わる基礎知識から、発達障害の子ども・大人がそれぞれ利用できるサービスまで詳しく書かれてます。 room.rakuten.co.jp/room_tsugu3xpo… 発達障害に関わる人が知っておきたいサービスの基本と利用のしかた【浜内彩乃】
私は特段真面目な生徒ではなかったけれど(むしろ再試験の常習者)、うん十年経った今でも覚えているから本当にいい授業だったんだろうな。気づきを与えてもらえた。奇しくも今は社会福祉ど真ん中の障害児育児をしているわけだけど、あの頃学んだ知識に助けられている実感はある。
子供に話しかけられたら笑顔で「どうしたの?」って聞き返す的な子育てアドバイス、子供に話しかけられるの30分に1回とか想定してない?今日みたいに10秒に1回こっちきて!こっちみて!だっこして!って叫ばれたら真顔で「イヤです」って言いたくなっちゃうんだが。すまんが母の笑顔は売り切れです。
息子が発達障害の診断を受けていることを伝えるた時に「そんな風に見えない」と言われることはよくある。一見わかりづらいからこそ困りやすい障害でもあるんだよ。発達障害特性の強さと困り感は比例しない。特性が薄くても本人の困難感が強い場合もあるのが、発達障害。
2歳までほとんど発語がなかった息子は、3歳6ヶ月になった今溢れるように喋ってる。とても饒舌。でも実は喋れることとコミュニケーション能力って必ずしもイコールじゃない。自分の言いたいことだけを言う・相手のセリフを指定する場面も多くて、相互的コミュニケーションではないなぁと実感する。
子供は育て方でなんとかなると思ってる人は、単純に子供のことを一個人として見てないんだと思う。目の前にいるのは性格も好みも感性も誰とも一緒じゃない「ひとりの人」なんだけど。
統合失調症の患者さんが「常に盗聴されてるんです」と訴える時に「それは大変!一緒に盗聴器を探しましょう!」は治療的には悪手。苦しい妄想の世界をより深めてしまうことになる。じゃあどうするのかと言ったら「常に誰かに聴かれている・見られていると感じる苦しさ」に共感する。
共感するけど肯定しない。肯定しないけど、受け入れる。その姿勢は精神科で看護師をする中で培ったなぁと思う。そしてそれが発達特性を持つ子の育児に生きている気がする。彼らのこだわりや偏りの世界を否定せず、でもそこから現実世界に少しずつ焦点を移す作業を一緒にしてる。
エレベーターで一緒になった上品マダムが「かわいいわね、何歳?」と聞いてくれたのだけど息子が真顔で私を指差して「このこ34さい」と答えてしまい、思いがけず私の年齢を聞き出してしまったマダムは焦り謝り、私もその空気に居た堪れなくて大人2人の冷や汗でエレベーター内の湿度が120%になった。
検診で「大丈夫」って言うのやめて欲しい。1歳9ヶ月で受けた検診で発達の不安を伝えた時、保健師さんに「大丈夫」と言われたけれど全く救われなかった。ほんの短時間見ただけで判断できることじゃないし、その大丈夫に根拠がないと感じたから。安心どころか「相談しても無駄なんだ」と小さく絶望した。
傾聴って簡単そうに聞こえるけれど、実は難しい技術。よく「発達の遅れが不安で相談したのに傾聴だけで終わった」という不満を見聞きするけれど、相手にそう思わせてしまってる時点で傾聴失敗してるよね。実はただ話を聞くだけでは傾聴じゃない。目的や方向性のない傾聴も傾聴じゃない。
これは自他境界のことを表す金言だと思う。幼い子供は自分と親の境界線がなく、自分と親は同じだと考える。そこから成長(分化)して「自分と他人は別ものなのだ」の感覚を得ていく。だから「自分のせいで」に囚われすぎてしまうのは、自他境界が育っていない幼児性ということなのかな。 twitter.com/KashiiMaya/sta…
子供の障害を理由に働けなくなる理由は、親(主に母親)のマンパワーが労働力としてすでに駆り出されるからだと思う。一般就労と同等かそれ以上の負担がかかる。その前提で成り立ってる障害児福祉の世界。それって手当(現金給付)で埋まるものではない。保障があれば働きに出られるわけでもない。
自己肯定感の高い友達ができ婚して「親に反対されなかったの?」と聞かれた時「なんで?私が幸せなら親も幸せでしょ?」と答えていてそのメンタリティまじ見習いたいなって思ったし、親になった今は子供がそんな風に言ってくれる子育てができたらいいなと心底思う。
エレベーターブームの息子がハマってるアプリ『レッツ・エレベーター』。エレベーター操作が好きなだけできるし、普段押せない非常呼び出しボタンを押せるから喜んでる。1000種類のボタンを押しまくれるモードもあるよ。本当は本家の島田電機製作所さん@shimax_hachioji に行きたいんだけどね。