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ところが「勉強の苦手な子」は、体験ネットワークがすっぽり抜けてしまっていることが多い。花をマジマジ見たことがないし、電気のオモチャを分解したりしたことがない。見たことも聞いたこともないことを突然聞かされても面食らうだけだし、何度説明されても体験と結びつかず、理解できない。
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前にも紹介した話だけど。
道に迷っていたのを案内したのがきっかけで仲良くなった、韓国からの留学生。日本語も達者で、私より年上だとはいえ、日本語の本の読書量でも私よりずっと上で、全然太刀打ちできなかった。英語も達者で、苦手な私は教えてもらうことに。
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「文句あったら食べんでいい」と言えるのも、同じ対等な市民であるボランティアだから言える。その人、食ってかかってきたけれど、私の父が「お前と同じ市民や!」と言ったら、「なんや、公務員や思たわ」と言い訳。公務員ならどんな文句を言ってもよい、と思っていたらしい。
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歴史って面白いなあ。
口分田を与えて小規模農家の権利を明確にし、勤労意欲を高めようとしたら、数十年で制度にほころび。墾田永年私財法がきっかけで荘園という名の大規模農業が発達。戦国時代の終わりまで荘園の名残は続いたけれど。
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「日本の農業はGDPの1%しかない」、だから補助金を出すなど保護を行うのはおかしい、という日本の政治家がいた。なるほど、だとしたら、世界最強の農業国、アメリカだったら、きっと農業はGDPの割合も大きいだろうし、農家は補助金ももらわずに独力でやっているのだろう、と想像したくなる。
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奥さんから買い物を頼まれた男性。「牛乳一つ買ってきて。もし卵があったら6つ買ってきて」。男性が買ってきたのは牛乳7本。「なんで7つも牛乳ばっかり買ってくるのよ!」「だって、卵があったから・・・」
このエピソード、YouMeさんは女性側、私は男性側に同情した。
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公務員は市民からどんなに文句を言われても言い返してはいけない、という不文律があって、かわいそう。市民からの矢面に立たせたら、そりゃ過剰なまでにトラブルが起きないかとビビるのも無理はない。公務員には裏方に回ってもらい、表にはボランティアが対応したほうがやりやすい場合がある。
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私は高校卒業時に「大学には行かしてやれんかもしれん」と父に告げられた。当時、母が大病し、死に病と宣告されていた。しかも借金だらけ、父は事情あって無職、アルバイトでくいつないでいる状態。経済的にも最悪で、進学どころではなかった。家賃も滞納、食べるのがやっと。
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私は、知識とは、知の織物「知織」だと考えている。他の知識と断絶した知識はない。たとえば「鉄」を理解するには、真夏の太陽に照らされた鉄は火傷するほど熱いといった体験や、逆に冬には凍てつくほど冷たかったり、電気が通ったり、フライパンを熱して湯気が出たり、磁石がくっついたり。
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竹中平蔵氏はひどく賢い人だと思う。「頑張る人間には報い、そうでない人は淘汰される、それが競争社会、これからそれがますます加速する」と主張。この論理は実に巧み。高給をもらっている人は「自分が頑張っているからだ」と自信を深める。貧困にあえぐ人は自分に力がないからだと自らを責める。
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日本人女性初の宇宙飛行士となった山崎さんの夫の手記を読んだことがある。山崎さんが宇宙飛行士になれるよう、専業主夫になったけど、自分の名前を呼んでもらえず、「山崎さんのダンナさん」「○○ちゃん(娘)のお父さん」としか呼んでもらえなくなったという。すると。
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まとめました。
単純作業は創意工夫の小宇宙|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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だから、大切なことは教えるよりも体験させること。不思議な思いに浸ること。不思議に思えば興味関心が湧き、観察し、その仕組みを知ろうとする。体験し尽くし、体験ネットワークができあがった時にそれぞれの結節点の名前を聞くと、一度で覚えてしまう。「ああ、あれはそんな名前だったのか!」
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若い頃、日本酒が苦手だった。大学入学時に洗礼受けたのは日本酒一気飲み。当然吐いた。頭がグルグルする。変に甘ったるくてベタベタする。誰が好き好んでこんなもの飲むんだろう?と不思議だった。ポン酒と呼んで遠ざかっていた。
変わったのは阪神大震災がきっかけ。
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左官職の若者が導入した「物資ごとの山」は、私も京大生の同級生も思いつかなかった。管理の容易さ、誰もが自発的に物資管理を行える機能性、何をとってもこちらの方が仕組みとして優れている。「頭がいい」というのは、なるべくシンプルな答えを出す力なのだな、と痛感した。
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「勉強の苦手な子」が、説明を一度されただけでは理解できなかったり、場合によっては何度説明されても理解できないのは、その言葉を受けとめるべき体験ネットワーク、知識ネットワークが欠如してるから。何も受け手のないところに投げても落ちるだけ。大切なのは、受けるネットワークの構築。
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教職免許取ろうとしたことがある人は知ってるだろうけど、高校が一番簡単で私も取った。中学は必修単位多くて取れなかった。小学校は夢のまた夢。小学校がいちばん教えるの難しい。判決下した裁判所の人、子育てしとらんやろ。五分で授業準備済むはずないやろが!
dot.asahi.com/aera/202111240…
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働きの悪い会社や個人は退場してもらい、優秀な企業、個人に活躍してもらった方が製造業もサービス業も生産性が向上し、消費者に安く良質なサービスが提供できる、これは経済的にもよいことだ、と私は信じさせられている。実はこの考え方、現代だけでなく、戦前に強く信じられていた。
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日本の若者は自己肯定感が低い、というけれど、実は「自分は社会の中ですごいことをやり遂げるはずの人間だ」「特別な人間なんだ」という、脳内世間様に拍手喝采されるはずの高い自己評価に追いつかない自分の現実を目の当たりにして、自己肯定感が低いんじゃないか、という説。ああ、これ、納得。
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新しい物資担当は、左官の若者(その京大生と同じ年)。
「とてもじゃないけどあの人のマネはできません。僕のやり方でやらせてもらっていいですか?」
人がいなくて代わりはいない。みんな、彼にお任せすることにした。その「やり方」は。
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まとめました。
「驚く」ことが体験ネットワークを構築する|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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で、その後どうなったかと言うと、嫁さんは「ついつい赤ん坊に、より快適な形を、と最善を追求しすぎて自分でやることを増やしすぎ、余裕を失い、笑顔が消えかけていたな」と反省し、「生きていればそれでよし」と、手を抜くことも大切だと考え、余裕をこじ開けるようになったという。
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品物ごとに山を作った。服の山、毛布の山、ラーメンの山、ミネラルウォーターの山。面積が必要になるけれど、ざっくり山の大きさを見れば物資の在庫量が一目でわかる。「あの物資は3日もたないな、じゃあ今度はあの物資を確保してこよう」と、各ボランティアが自発的に動くようになった。
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まとめました。
「どうせ」を「どうせなら」へ|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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二人でそのことを話し合い、互いに「面白い」となった。嫁さんは、「そうか、男の人、と一般化しちゃいけないかもしれないけれど、「より快適に」を子どもに対して目指さない世話って形をとるのか、そしてそうした形がこの世にあり得たのか」と衝撃を受けていた。