1301
すると、嫁さんが部屋に入ってきて「赤ちゃんが泣いてるのに何でほったらかすの!」私は必要なチェックをし、健康に問題なく、危険もないことを確認したうえで、「泣くのは肺を鍛えるというし、ほっとこうと判断した」と答えた。
嫁さんはこのことが、とても衝撃的だったという。
1302
必要項目のチェックを始めた。さっきミルクを飲ませたばかりだから腹は減っていない。ゲップもさせた。オムツは、濡れてない。熱は、ない。手先足先がポカポカ。あ、これ眠いんだな。眠りに陥る前のむずかりか。じゃあ泣き疲れて眠るまで放っておこう。
赤ん坊を視野におさめながら、本を読み続けた。
1303
嫁さんがいまだに衝撃だった、というエピソード。
息子が赤ん坊のころ、嫁さんに世話を頼まれた。ミルクを飲ませ、ゲップさせ、寝転ばせておいた。すると、赤ん坊が泣き出した。
1304
ワクチン接種が始まった国は色塗りされてる地図。
これを見ると、日本はもう先進国ではないな、と感じる。自国でワクチンを迅速に作る力を失っている。
先進国でワクチン接種が始まっていないのは日本だけ。
vdata.nikkei.com/newsgraphics/c…
1305
インフルで起きる肺炎は免疫が落ちることによる細菌性。ということは、抗生物質がそれなりに有効。
新型コロナはウイルスが直接肺炎を起こす。だから有効な治療法がない。この点も厄介な違い。
buzzfeed.com/jp/naokoiwanag…
1306
キャンペーンを利用すればするほど感染者が減らせるような補助の出し方を工夫する必要がある。キャンペーンのデザインが、利用者が出れば出るほど感染者が増えるリスクを高める制度設計になってる。始めた当初は、夏になればコロナは消えるという淡い期待があったものの、もう違うのだから要変更。
1307
旅行業や飲食業、航空業も重要な産業だから救出しなければならない。しかし医療崩壊させては、それらの産業も成り立たなくなる事を忘れてはいけないと思う。
にしても、GoToは筋の悪い対策。既存のやり方を踏襲することでしか利益が得られないのでは、どうしても感染が広まる。
1308
医療は、経済システムに欠かせないものの一つだ。人体にたとえるなら、医療崩壊しながら経済活動をすることは、免疫や腎臓を欠いて仕事しろと行ってるようなもの。たちまち活動できなくなる。医療崩壊は経済システムの危機でもある。
1309
私たちは、病気になっても病院にさえ行けば治ると安心するからこそ経済活動を維持できる。もし大切な身内が十分な治療を受けられないとなれば、家族で看護する必要が出てくる。もうそれで経済活動はできなくなる。治る者も治らなければ、その人は経済活動ができなくなる。
1310
もしかしたら、「医療崩壊しても構わない、経済の再建こそが最優先」と考えている人がいるかもしれない。経済最優先の立場から見ても、医療崩壊は経済システムの破綻につながる恐れがあると考える冷静さが必要。
1311
こういう場合、「現場が感じてることを端的に表現する数字がまだ明らかにされてないから」と仮説を立てるのが妥当。既存の数字だけで論を立て、現場からの声を否定するのは、既存の科学で新理論の登場を否定するのに似る。現場の声が強いときは、安易に否定してはいけない。
1312
臨床の現場を知らない医学研究者が、数値だけを見て楽観論を振りまいている気がする。なるほど、「集中治療室の滞在期間の違い」は、まだ統計データが出ておらず、明確に論ずることは難しい。しかしそれにしても、臨床の現場がこれだけ悲痛な声を出してるのに、それを聞き流すのは解せない。
1313
しかし、医療現場もこのあたりの事情を言語化できていないため、「インフルとなにが違うねん」という怪訝な声を、うまく打破できていない。「新型コロナはインフルと違い、集中治療室の資源を長期間食い尽くしてしまう」ということを数値的に示せば、いまだに消えない楽観論の一つを消せると思う。
1314
どうやら、「重症化患者の集中治療室滞在期間」がとても長いのが原因のようだ。新型コロナで重症化すると、集中治療室の治療は一ヶ月にも及ぶほど長引くらしい。他方、インフルは快方に向かえば数日で集中治療室から出られるようだ。新型コロナは、こじれると長引く。
covid19-jma-medical-expert-meeting.jp/topic/1121
1315
「インフルエンザはもっと大量の感染者と死亡者を出したことがあるのに医療崩壊は起きなかった。新型コロナはそこまで死んでない。騒ぎ過ぎ」との論説は、医学研究者からも出てたりする。一見、合理的。しかし医療現場各地の悲痛な訴えと、その論説は全く一致しない。なぜか?
1316
世の中に全然役に立たない、趣味としか思えない研究が、とてつもなく人類に貢献する技術体系を育てることになった事例を紹介。
それは、ミミイカという光るイカの研究。これがやがて、アレルギーや心の病にも深く関係する、腸内細菌などの研究にも波及していった。
1317
「素」の自分を見、受け入れてくれる人に、たった一人でも出会えたら。私たちは救われる。ありがとう。そう心から言いたくなる。私が尊敬する人物の一人は、お向かいのおばあちゃん。そして高知のご夫婦。そんな人たちに、私はなりたい。
1318
成功者は、外面的な飾りで周囲から評価される。称賛される。か弱く傷つきやすい、柔らかな心を、外側の外骨格で守り、なんとか立てようとする。まるでカブトムシ。けれど、やはり中身は柔らかく、傷つきやすい。本当はそんな殻を脱ぎたいという衝動が隠れている。
1319
その外面的なことで大人たちに評価され、断罪され、ダメな子の烙印を押されていた。誰一人、「素」を見てくれる大人がいない、孤独。けれどどの子も、「素」と「素」で付き合うと、子どもによって時間のかかり方は違うが、心を開いてくれた。
1320
塾では、学習障害の子や不登校の子、不良の子などがたくさん来た。しかしどの子に接するにも、最も大切なのはその子の「素」を見ること。勉強ができないとか、学校にいけないとか、シンナーやタバコを吸ってるとか、バイクを盗んで乗り回すとか、すべて外面的なこと。
1321
昨今語られる「コミュニケーション能力」に薄っぺらさを感じるのは、こうした原体験があるためだろう。今のコミュニケーション能力は、表面的に人に合わせ、盛り上がって見せる能力でしかない。しかも、ノリについていけない人間を排除する傾向がある。そんな排除的なものって、評価に値するだろうか。
1322
素の自分を見てくれる人がいて、素の自分をそのまま受け入れてくれて、素の自分を好きでいてくれる。向かいのおばあちゃんが教えてくれた、人間にとって一番大切な関係を、高知のこのご夫婦は再び教えてくれた。素でつきあえるって、本当に大切だ。
1323
「京大なんかに行くんじゃなかった」という鬱に近い状態が、3年近く続いた。外側しか見ない評価にうんざり。多くはないのだけれど、京大生であることを鼻にかけている同級生の存在も鼻持ちならない。お向かいのおばあちゃんが教えてくれた、「素」を見ることの大事さが忘れられなかった。
1324
その翌年、京大に合格した。みんな、チヤホヤしてくれた。けれど、その称賛の言葉は、全然響かなかった。それは私ではない、外側の殻、装飾をほめているだけのこと。お向かいのおばあちゃんのように、素の私を見てはいない。私は逆に、ものすごい空虚感を感じるようになった。
1325
お向かいのおばあちゃんだけは、「京大に合格するかもしれない子」などという、世間体的な、表面的なことで私を見ていなかった。母が倒れても、家事で手を抜かず、できる範囲で受験勉強を頑張った、素の私を見てくれていた。そのおばあちゃんのおかげで、私の心は救われた。