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そこで、ボランティアが配分に関しては責任を持ち、公務員の方には、救援物資の調達に専念してもらった。このすみわけは互いに強みを生かせるので、非常にうまくいった。こういう協調は、いろんな場面で活かしてほしいと思う。
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公務員は、公平性に神経質になりすぎることが多い。市民から「なんであいつは味噌ラーメンなのに俺は塩ラーメンなんだ!」とかみつかれるのを極端に恐れ、味噌ラーメンも塩ラーメンも、全員に等しく配分できないくらいなら配らない、という判断をしてしまいがち。
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救援物資はすべて神戸市からの支給だと勘違いしていた公務員の方は私の話に驚き、配分作業をボランティアに任せることに同意してもらった。その方には、神戸市に電話しまくって救援物資を少しでも多く支給してもらうことに専念してもらった。けっこう、頑張ってくれた。
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「配ってしまったらもう後がない、ということは、ご存じの通り。そこで、神戸職員の立場をフル活用して、物資を入手することに専念してもらえませんか。物資の配分は、私たちボランティアに任せてください。強みを生かした役割分担をしましょう」
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「違います。神戸市からは1個たりともインスタントラーメンの支給は受けていません。インスタントラーメンは、私たちボランティアが手分けして集めてきたものです。ですので、ラーメンの配分は私たちボランティアに任せてください。その代わり。」
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ボランティアたちに、私に任せてほしいといって引き取った。公務員の方の話をまず聞いた後、「公平に配りたいというそのお気持ち、素晴らしいと思います。ところで、インスタントラーメンはどこから来たか、ご存じですか?」と尋ねた。すると、神戸市から、という答え。
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塩ラーメンと味噌ラーメンなど、ラーメンの種類は違うけれども、ぜんぶかき集めたら被災者全員に配れるだけの数があるのだが、公務員のその人は「同じ種類のものを全員公平に配れるのでなければ、配ってはいけない」という。しかしそれでは被災者が飢えてしまう。ボランティアはそれで怒っていた。
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阪神大震災の時、避難所に神戸市の公務員が一人派遣された。ボランティアと口論になっているのでどうしたのだろうと事情を聴いてみると、救援物資のラーメンを被災者の人に配るのを、公務員の人がダメだというのだという。公務員の方のおっしゃる理由に、私はずっこけた。
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・肥料あげるのめんどくさい
・農薬まくのもめんどくさい
・なんなら雑草もあんまり抜きたくない
そんな究極の面倒臭がりでも育つ野菜を紹介。
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嫁さんは、このエピソードを披露すれば、(一般化できないけれど)男女差のゆえに「努力が足りない」「気にしすぎ」と誤解が生じ、すれ違いが生まれているケースを、少しでも減らせるのでは、という。違いをうまく理解するきっかけになれば幸い。
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嫁さんは、この経験で、一般化できないかもしれないが、女性である自分と、男性である夫と、物事の捉え方、向き合い方がこんなにも違うものなのか、と痛感したという。ならば同じことを求めるより、その違いをうまく組み合わせることを意識したほうがよい、と。
賢い嫁さん。ほんまに。
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元気て生きていて、安全が保たれているなら、そんなに世話をしなくても構わない。それくらいの開き直りも、育児には必要な視点かもしれない。そのことを、「衝撃的な出来事」から学んだという。私の手抜き育児で学ぶ嫁さん、すごいと思う。とても前向き…。
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ついお母さんたちは、赤ん坊に最良の世話を施そうとして頑張りすぎ、あれもこれもと頑張りすぎ、それで疲れ切ってしまうパターンが多いのではないか、と嫁さんは懸念する。しかしそれで疲れすぎ、笑顔を失うと、かえってよくないこともあるのでは、と。
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一般化はできないが、男性は「健康で危険がない、安全であることさえ担保できたら放っておく」というスタンスの育児観を持っている人が多いような気がする、というのが嫁さんの感想。そして、そうした手抜き育児も、つい頑張りすぎるお母さんたちの、参考になる面があるという。
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ところで冒頭の、泣いている赤ん坊をほったらかして本を読んでいる話は、ほかの女性に話すとまず間違いなく驚愕されるという。そして、「えー!男の人ってそうなんだ!だからかあ!面倒見てね、って言ったら、一緒にテレビ見たりしてるの。そうじゃないでしょ、って言うんだけど、そうなのかあ・・・」
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これにも嫁さんは若干呆れ気味に、だけど感心していた。「私だったら危険なことを少しでも避けようと思うけれど、男の人は(と一般化しちゃいけないのだろうけれど)、安全性をギリギリ確保した冒険するのねえ」
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まだ意識して足の動かし方を知らなかった赤ん坊が、どうにかしてバウンサーが揺れ、父親が「お!」と驚く現象を再現したいと願うようになったのだろう。次第に足を伸ばす動作が出る確率が増え、次第に意識的に足を伸ばせるようになり、そのうち、ビュンビュンとバウンサーが大揺れするように。
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赤ん坊をバウンサーに載せて、揺らした。とはいえ、ただ大人の私が揺らすのでは面白くない。赤ん坊の足の裏に腕を押し当て、赤ん坊が偶然足を伸ばすとバウンサーが揺れるようにした。そしてそのとき、「お!」と驚きの声を上げるようにした。すると。
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他方、私は、女性は赤ん坊に対して努力をしない存在に預けることに不安を覚えるのだな、ということに気がつき、少しだけ赤ん坊にサービスをするように努力した。ただ、どうせなら自分も楽しいように、と少し工夫して。
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で、その後どうなったかと言うと、嫁さんは「ついつい赤ん坊に、より快適な形を、と最善を追求しすぎて自分でやることを増やしすぎ、余裕を失い、笑顔が消えかけていたな」と反省し、「生きていればそれでよし」と、手を抜くことも大切だと考え、余裕をこじ開けるようになったという。
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他方、私は、「女性、って一般化したらいけないかもしれないけれど、赤ん坊のためにどこまでも最善を尽くそうとするなんて、すごいなあ。生きてりゃいい、じゃないんだ」と感心した。赤ん坊に対するとらえ方が全然違って興味深かった。
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二人でそのことを話し合い、互いに「面白い」となった。嫁さんは、「そうか、男の人、と一般化しちゃいけないかもしれないけれど、「より快適に」を子どもに対して目指さない世話って形をとるのか、そしてそうした形がこの世にあり得たのか」と衝撃を受けていた。
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嫁さんが私に「赤ん坊の面倒を見てね」と言ったのは、「赤ん坊に最大限のサービスをしてね」というつもりだったという。他方、私は、「健康で危険がないなら、あとはお前も好きにしていいぞ」と、赤ん坊に最低限の安全性を確保するだけの世話。考え方が全然違っていた。
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ところが私は、「泣きたいことだってあるだろう、泣き疲れて眠った方が深く眠れて気持ちよかろう、大声で泣けば肺活量も鍛えられてなおよかろう」と考え、健康に問題がなく、危険がないことを確認する最低限のことをやったらほっとくやり方。これが嫁さんには衝撃。
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嫁さんがのちに解説してくれたところによると、嫁さんは赤ん坊と一緒にいるとき、より快適に(more confortable)を目指すのだという。赤ちゃんが泣いたら抱き上げ、できるだけ気持ちよく眠りに就けるように、というように。起きていたら起きていたで、楽しませようと努力するのだという。