476
地位だとか学歴だとかいう外側の飾りで自分を飾り立て、それをない人を馬鹿にする人を見ると、「お前の素はどこや!」とひっぺ返したくなるのは、そのためだろう。そんなものは飾りでしかない、本物のお前を見せろ!と。
477
私は今も、高卒のまま働いていたかもしれない自分と伴走している。そして、君はえらい、よく逃げなかった、立ち向かっていて素晴らしい、と声をかける。そして、今の自分をもう一度引き締める。私はまだまだだ、と。
478
市井には、そうした人たちがたくさんいる。だからこの社会は回っている。私は、そうした人たちに心から敬意を示したいと考えている。なのに、どうしたわけか見下そうとする人たちがいる。貧しいというだけで。学歴とか地位がないというだけで。私は正直、憤りを隠せない。
479
「あら、こんなことで泣いたりして。はずかしい。お釈迦様が空で笑っているよ、こんなことで泣くのか、って」と言って、再び笑った。
私はテレビを見ながら、心底驚いた。私はこの女性のようになれるだろうか。運命を恨むことなく、笑顔で優しさを失わない人間に。
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そうしたものがなくても、人への優しさ、誠実さ、まじめさを失わないことは、そうたやすいことではない。不満を持ち、人に攻撃的になるのが普通。けれど、つらい道を歩んでも笑顔を失わず、人への優しさを失わない人がいる。これはすごい偉業ではなかろうか。
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世の中には、学歴も社会的地位も、事情があって得る機会がなかった人がたくさんいる。しかし、家族の危機に逃げずに、まじめにコツコツ働いてきた人がたくさんいる。私はそうした人たちに強い尊敬の気持ちを持つ。学歴や地位でいい気になるのは容易だが。
482
その時頂いた合格祝いは、今も手を付けずに大切に残してある。もしかしたら大学に行けなかったかもしれない「私」を誇りに思う気持ちに光を差してくれたのは、そのおばあさんだった。私はこのおばあさんのような人間になりたいと思った。その思いは今も続いている。
483
その人だけだった。京大落ちて残念だったね、ではなく、大学の名前なんかどうでもよく、私が家事から逃げなかったこと、母が倒れた後、家族の危機を支えようとしたことを見てくれていた。そしてそのことを何より認めてくれた。家族も含めて、そうした反応を示してくれたのはその人だけ。嬉しかった。
484
第二志望の大学の合格通知が来た翌朝、正面に住むおばあさんが訪ねてきた。「あんた、お母さんが倒れて、それでも毎日買い物に行って料理して洗濯して。本当に偉かったね。このたびは、本当におめでとう」と、合格祝いを渡してくれた。
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残念ながら勉強不足がたたり、京都大学の受験は失敗し、第二志望の大学に進むことに。それでも私は誇りに思っていた。家族の危機の時に逃げなかった。それを誇りにしていた。が、周囲はそうは見ない。京大受かるかも、と思ってチヤホヤしていた人たちが、落ちるとサーッといなくなった。まあ仕方ない。
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それでも、家族の危機の時に逃げたくはなかった。大学に行かせてやれんかもしれん、と告げられた時も、その運命を甘受しよう、と腹をくくった当時の自分を、私は今でも誇りに思う。愚痴も言わずに、家事を引き受けた自分をほめたい思い。
487
学歴のないことを理由に見下したり、社会的地位がないことを理由に見下したりする言動を見ると、私は「もう一人の私」が見下されたような気がして、気分が悪くなる。私は、もしかしたらそうだったかもしれない「私」を見下すようなことはしたくない。
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大学に行けず、高卒で勤め始めたらどうだったろう?しかも高校卒業してからの就職だと、あまり条件が良くない。きっと仕事探しも苦労していただろう。しかしそうであっても、私は私。どんな仕事をしているかは外側の話。今の私と高卒のままの私、どちらも私。
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たまたま母は手術してみると死に病ではなく(しかし2,3日手術せずに放置していたら危なかった状態)、助かった。それで大学に進学することを再び真剣に考えたのだけれど、その時以来、「もし大学にあのまま行けなかったら」を常に考えて生きている。
490
私は高校卒業時に「大学には行かしてやれんかもしれん」と父に告げられた。当時、母が大病し、死に病と宣告されていた。しかも借金だらけ、父は事情あって無職、アルバイトでくいつないでいる状態。経済的にも最悪で、進学どころではなかった。家賃も滞納、食べるのがやっと。
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まとめました。
「米10キロ」という歴史的転換点|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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米10キロは、逆説的だが、政策担当者が格差是正に取り組む真剣さを失った象徴的出来事として歴史に記録されることになる恐れがある。日本はいずれ、新たな共産主義が吹き荒れる社会になるのだろうか。そうなる前に修正資本主義にシフトする道があるというのに。
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金持ちが貧困家庭に現物支給をして慈善活動している気になっているうちに、貧困層の怒りのマグマがたまり、一気に共産主義に世界が傾いていった。あるいはナチズムが台頭した。共産主義とナチズムは金持ちの全財産を奪い、あるいは殺した。金持ちは恐怖した。
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大阪の政策は、ついに金持ちたちの陰に陽にのロビー活動に負けて現物支給でお茶を濁すようになった、貧困対策に真剣などころか格差固定に平気になったことを象徴する、歴史的背景転換点の指標とみなせるように思う。
なお、ナイチンゲールが活躍した時代からしばらくして共産主義が吹き荒れる。
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大阪の米の現物支給は、ついに戦前の社会状況に逆戻りしたことをうかがわせる。戦前の金持ちは雇用を増やし給与を増やすというお金のかかる政策を嫌がり、現物支給するという金のかからない、それでいて慈善活動をしている気になれる方向に熱心になっていたが、どうやら現代日本もそうなりつつある。
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だからナイチンゲールが本気で「苦しんでいる人達を助ける看護師になりたい」と言ったとき、ナイチンゲールの実家は猛反対した。貧困対策は実物支給でお茶を濁せばよいだけなのに、真剣に取り組むなんて!ナイチンゲールの姉などは昏倒してしまうほど。
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パンを配ることで自分は慈善をやってる有徳者のような気分を味わえる。それでいて、困窮家庭を真に自立させるのに必要なお金を支払わずに済み、安上がり。金持ちの虚栄心を満たしつつお金をあまり使わずに済む、そして貧富の格差を固定する実に好都合な対策が、食事の現物支給だった。
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いま、子ども食堂やフードバンクを充実させようとしている。しかし私には、「比較的お金がかからずに済む政策」を政治家がしているだけのように思えて仕方ない。
ナイチンゲールの実家は裕福で、貧困家庭にパンを渡す支援活動をしていた。これらの活動は当時、金持ちに人気だった。
500
米10キロの政策は、現場の声を聞いていないようにしか思えない。想像の産物でしかない困窮家庭への勝手なレッテルを貼って(親が放蕩してるなど)決めてかかった政策に思われてならない。
電気ガス水道家賃の確保に必要な現金よりも米10キロの方が安く済み、ニュース性があるから選んだのでは。