shinshinohara(@ShinShinohara)さんの人気ツイート(いいね順)

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全国の農業研究者が参加するメーリングリストに質問したことがある。「江戸時代より進んだ技術が何かありますか?ただし石油に頼らないという前提で。」 議論がしばらく続いた結果、「ない」という話に落ち着いた。現代農業の技術のほとんどは、石油などの化石エネルギーに頼っている。
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しかし1500人もの人たちを支える救援物資の膨大さ、しかも全国から送られる救援物資は、ダンボール箱を開けてみないと入数と種類も分からない。種類ごとに分別もしなきゃいけない。あまりの過労でぶっ倒れてしまった。
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品物ごとに山を作った。服の山、毛布の山、ラーメンの山、ミネラルウォーターの山。面積が必要になるけれど、ざっくり山の大きさを見れば物資の在庫量が一目でわかる。「あの物資は3日もたないな、じゃあ今度はあの物資を確保してこよう」と、各ボランティアが自発的に動くようになった。
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この事例から、「頭がいい」って何だろう?と思うようになった。学業に関してなら、その京大生は卓抜していて、同級生の私なんかはるかに及ばなかった。すべての物資の種類と量を把握し、消費スピードまで計算に入れるなんて芸当、私にはムリ。他方。
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つまり、頭の良し悪しではない。新たな知識を受けとめるべき体験ネットワークが欠如してると、受けとめようがない。素通りしてしまう。勉強できる子も勉強の苦手な子も、新知識を受けとめられる体験ネットワークが欠如していれば、さっぱり理解できない。何度聞いても首を傾げることになる。
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「勉強できる子」でも、体験ネットワークが欠如してると理解できない。旧帝大の学生で一人、遠心力を理解できない子がいた。「小さい頃、水の入ったバケツを振り回したことない?」と聞くと、ないという。これでは理解は無理だと思い、水入りバケツを振り回させた。こぼれなくて驚いてた。
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すると、「京大に受かるかもしれない子」という目でチヤホヤしていた大人たちが、スーッと引いていったのが分かった。まあ、仕方ない。私としては、受験生でも家事から逃げなかったことに誇りを持ち、第二志望の大学に行くことにそれなりに納得していた。しかし両親は明らかに落胆。つらかった。
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大切なのは、知識の量ではない。興味関心の強さ。興味関心が湧けば、無意識は自然に体験ネットワークを形成してくれる。そのネットワークさえできてしまえば、「なんだ、あの体験はこんな風に呼ばれてるのか」と、名前を結節点にあてはめていくだけ。大切なのは、知識を受けとめる体験ネットワーク。
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まとめました。 もめ事を収めるコツ|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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中古の汚い毛布を送ってきた人は「どうせ被災者の人たちは寒くて仕方ないんだろう、だったら捨てようと思っていたこの毛布でもいいか」となったのだろう。手紙を入れて送った人は「どうせなら日に干して少しでも気持ちよく眠れますように」と願いを込めたのだろう。「どうせ」と「どうせなら」の違い。
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塾を主宰していた10年間、私は「教え魔」だった。私は非常に物分りが悪く、中学までは成績も悪かったので、勉強のできない子でも理解できるよう分かりやすく教える自信があった。実際、私が説明すると「よく分かった!何で今まで、こういう教え方してもらえなかったんだろう」と、生徒は感動した。
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まとめました。 全体を見渡し、欠落を見つけ、それを補おうする力|shinshinohara #note note.com/shinshinohara/…
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新しい物資担当は、左官の若者(その京大生と同じ年)。 「とてもじゃないけどあの人のマネはできません。僕のやり方でやらせてもらっていいですか?」 人がいなくて代わりはいない。みんな、彼にお任せすることにした。その「やり方」は。
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「これは新品ではありませんが、気持ちよく使ってもらえるよう、3日間日に干したものです。こんなものでよろしければお使いください」その心遣いが、中古の毛布を「ケガレ」から「ぬくもり」へと変えたらしい。人の心がけ次第で、印象がガラリと変わる。
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若い頃、日本酒が苦手だった。大学入学時に洗礼受けたのは日本酒一気飲み。当然吐いた。頭がグルグルする。変に甘ったるくてベタベタする。誰が好き好んでこんなもの飲むんだろう?と不思議だった。ポン酒と呼んで遠ざかっていた。 変わったのは阪神大震災がきっかけ。
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来る物資は片っ端からそれぞれの商品の山に積んでおく、というルールだけ承知すれば、誰でも物資管理ができた。左官職の若者が物資管理の担当になってから、物資管理をする必要がなくなった。
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ドラッカーの「マネジメント」、確かエッセンシャル版だったと思うけど、日本型経営で面白い指摘が有った。 欧米企業はトップの決断が速く、すぐに契約に至れる。ところが日本企業はなかなか契約に至らず、イライラするという。いろんな部局の人間が話を聞きに来、「持ち帰って検討します」ばかり。
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その後、市役所職員の方は、ボランティアが「これが足りない」というと「わかりました!」と言って市に即電話、物資をかき集める業務に専念してくれた。結構助かった。他方、物資を配り、それで不平を言う人への対応はボランティアが担うことにした。お互い強みを生かして棲み分けられた。
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そしたら、かなり高得点に。幸い母親は死に病から脱出できたのだが、そのあまりの高得点でみんな勘違いした。しかし私は、二次試験の勉強にまで手が回っていなかったので、京大は無理だと感じていた。ところが誰も反対しないどころか、京大受けないのおかしいというので、結局受けた。案の定落ちた。
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阪神大震災の時、避難所に神戸市の公務員が一人派遣された。ボランティアと口論になっているのでどうしたのだろうと事情を聴いてみると、救援物資のラーメンを被災者の人に配るのを、公務員の人がダメだというのだという。公務員の方のおっしゃる理由に、私はずっこけた。
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阪神大震災では、それぞれの「個性」が大切なのだな、ということがよくわかった。左官職の若者は暴走族のボスを束ねるボスで、みんなやかましいバイクを乗り回す中、自分はチャリンコ(自転車)という実にコミカルなことをやっていた人物。コワモテおじさんが現れても圧倒可能。
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その学生は、なんと言っても「無気力」だった。返事も「はい・・・」「わかりません」と、気の抜けた感じ。指導を私に託した先生によると、卒論を書く時期になると大学に来なくなり、もう二回も卒業し損ねているという。 こりゃ、無理やりやらせても言ったことの半分もできないのは目に見えていた。
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ボランティアは無私の人間でなければならない、という変な縛り、「思枠」があるけれど、そんなの要らんと思う。ボランティアは神様じゃない。人間。ただ、同じ人間として、ほっとけないから何かできることをするというだけ。嫌になったらやめていい。それがボランティアだと思う。
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熱が下がり、京大生が現場に戻って来たときには、もう物資管理の必要はなくなっていた。彼は驚いていた。物資の種類と数は自分しか把握しておらず、どの物資がどれだけ不足しそうかということも京大生に聞かないと分からなかったのに、その必要がないシステムに変わっていたことに。
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被災地の現場では、公務員には不足する物資の要求をする仕事を担当してもらい、ボランティアが分配に携わる方が円滑に進む場合が多いように思う。自分の苦手な食べ物が当たってしまった時は、被災者同士で交換してもらうようにお願いするのも、ボランティアがやった方が文句が出にくいように思う。