「そもそも在留資格がないのだから…」。そう考える人は安田菜津紀さんのこのテクストを読んでください。これは「人として」の問題です。遺族の前でも表情を変えずに淡々と話す入管職員の冷め切った目に、僕は表現し難い恐ろしさを感じます。 #日経COMEMO comemo.nikkei.com/n/nc5aaa8a95c68
ついこの前までの東京オリパラへの反対論調が沈静化しつつある。ついその流れに乗ってしまいそうになるが、ここで諦めムードに流されてはならない。反五輪のアクティビストたちは、これまでずっと辛抱強く活動してきた。彼らに敬意を示すためにも、めげずに声を上げ続けたい。
佐々木朗希選手、完全試合か。13者連続三振ってまるで漫画やん。高校時代に将来を見越して酷使させなかった指導者の慧眼には頭が下がる。当時は物議を醸したもんなあ。
「喧嘩腰」な人がいることは否定しないけど、反対する人たちのほとんどは「コロナ禍の今」は開催すべきでないと主張しているだけです。そして、五輪がこれまで社会に「災害規模の負担」をかけ続けてきたことを直視し、五輪そのものの再考を促している。ただそれだけです。 twitter.com/ysk_okada/stat…
ペダルを漕ぐ脚の筋肉を鍛えるのではなく、空気抵抗を抑える体勢を作ることでパフォーマンスが飛躍的に上がる。爽快!この発想の転換こそが「脱・筋トレ思考」です。 twitter.com/st_phys_bot/st…
中日を迎えたいまは、”楽しもうにも楽しめない“、“楽しみたくても楽しめない”というツラさが心を覆っている。人生のほとんどをスポーツに費やしてきた過去が無意味に思えるほどやるせない。僕にとってスポーツとはなんだったのか。それすらも不明瞭になった感がある。→
コメントさせていだたきました。私の周りでは「よくぞ書いてくれた」という関係者が多いことも、申し添えておきます。 日本ラグビー協会に谷口真由美・元理事が猛反論「彼らは常に内輪の論理で動いている」(NEWSポストセブン) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/ed4ad…
今や高校球児もインタビューなどで「感動を与える」という表現を使うようになった。感動なんて与えなくてもいいし、本物の感動なんて与えることなどできやしない。一所懸命に白球を追う姿を観た者が、あくまでも結果として感動するのであって、あらかじめパッケージされた感動なんて幻想に過ぎない。→
コロナ禍という緊急事態が、はしなくも五輪の矛盾をありありと露呈している。大手メディアがこれまで取り繕ってきたベールがものの見事に引き剥がされつつあり、多くの人がようやくそれに気づき始めた。今こそ五輪を、スポーツの本質を、あらためて再考すべきときだと僕は思う。
大坂なおみ選手の大会ボイコットを支持します。トップアスリートが社会的な発言に踏み切るためには、スポンサー離れなど今後の競技生活に支障をきたす恐れを払拭しなければなりません。とても勇気ある行動で、想像を絶します。僕もこの勇気に倣い、元アスリートの立場からこれからも発言を続けます。
五輪ってなんだったのか。自分にとって、社会にとってスポーツってなんなのかを、この機会にじっくり考えて欲しい。今、当事者としての責任を果たさないと、大変な事態を招きかねません。
「稼げる大学」って、ほんまええ加減にしてほしい。経済の論理で教育を考えることがいかに愚かか。こんな簡単なことがなんでわからへんねん。と、朝から憤りながら仕事しております。 jiji.com/sp/article?k=2…
10代の頃から競技に集中してきた選手のほとんどは、僕もそうだったけど、社会の仕組みを知るための基礎知識が欠如している。だから五輪をめぐる今の現状をどう判断したらいいのかわからない。スポーツしかしてこなかったら、畢竟そうなる。
「地獄に続く道は善意で敷き詰められている」。社会正義の実現、あるいは正論の主張は、その思惑とは反対の結果をもたらすことは歴史が証明している。それをわかりながらもなお、声を上げている切なさは、わかっていただきたいと思う。
「スポーツには人命を救う力はない」医師が五輪礼賛ムードに抱く底知れぬ怒り 医療現場からはまるで異次元の世界 #プレジデントオンライン president.jp/articles/-/484…
この現実を知ってもなお東京五輪は成功だったといえるのでしょうか。僕は決してそう思えません。 東京五輪 映画は何を検証すべきか… 霞ヶ丘アパート住民の強制退去と地域の分断描いた青山真也監督に聞く:東京新聞 TOKYO Web tokyo-np.co.jp/article/158457…
でもね、今は知識がないからどうしていいかわからないなどと言っている場合ではありません。わからないながらも、ふと感じることや考えたことを大切に、自分がどうしたいかどうすべきを発信すべきだと僕は思います。
僕も引退後しばらくはラグビーを観るのが苦痛でした。益子さんのように嫌いになっていた。この引き裂かれた胸の内は、学問をすることでなんとかやり過ごしていたような気がします。競争がもたらすプレッシャーは想像以上に心身を蝕む。それを見据えたスポーツ教育がこれからの課題だと思います。 twitter.com/fujinkoron/sta…
昨日、東京五輪の中止のみならず五輪そのものを廃止すべきだと考える研究者同士で座談会を行ったのですが(近日中に公開予定)、そこでも主張し続ける大切さについて話をしました。「どうせ」をとことん忌避する姿勢が、いま求められていると思います。 twitter.com/mu0283/status/…
教育への介入はすでに始まっています。かなりのところまで踏み込まれている。斉加尚代監督の映画『教育と愛国』がそれを鮮やかに可視化しているので、ぜひ観て欲しい。あちら側の人たちに共通する「軽薄さ」には背筋が凍りますよ、ホントに。この危機感を1人でも多くの人と共有したいと思っています。 twitter.com/hsgw4423/statu…
「五輪汚職」アスリートはなぜ沈黙? 元ラグビー日本代表が指摘する「当事者意識の欠如」のワケ dot.asahi.com/aera/202209280… @dot_asahi_pubより
お手隙のときに読んでいただければと。 元ラグビー日本代表・平尾剛氏が語ったオリンピック報道への違和感 | FRIDAYデジタル friday.kodansha.co.jp/article/199971 #アスリート #テレビ
今の私たちにはもう純粋に五輪を楽しめない。いやむしろ興醒めしているといってもいい。およそ8割が開催に否定的な世論の、この「興醒め」を、スポーツ関係者は真摯にとらえるべきだと思う。このままだとスポーツは終わる。僕は大真面目にそう感じている。
日本でもここにきてようやく現役アスリートの声が聞こえ始めた。彼らの切実な訴えからは「ためらい」がみてとれる。これは、五輪が「平和の祭典」ではなく政争の具に、あるいは単なる商業イベントに過ぎなかった事実に気づいたがゆえの、素直な心持ちだと思う。