さかいとしゆき (Sakai Toshiyuki)(@SakaiToshiyuki0)さんの人気ツイート(リツイート順)

人権を侵されている人に向かって「逃げたら駄目だ」、「まず自分を変えよう」などと言うならば、人権侵害の維持に加担していると見られてもおかしくはありません。人権が侵害されている現状を維持しろ、と言っているのと同じだからです。(続)
学生の頃は日本が素晴らしいと聞くたびに嬉しかった。尊敬されたのは経済だけでなく精神的なものもあった。ある日、黒塗りの文書をメディアで見て言葉を失った。文書の改ざん、廃棄、隠蔽のニュースが止まらなくなった。心の支えが崩れるようで辛かった。その時はまだ何が起こったのか分からなかった…
アメリカだけの話ではないですね、これも。 「労働者が不足しているんじゃないんです。 普通に生活できるだけの賃金(リビング・ウェイジ)を払う仕事が不足しているんです。」 ロバート・ライシュ教授
繰り返すが、国民主権や個人の尊重そして基本的人権の保障が「押し付けられたものだから変えたい」という理屈に国民はもっと怒って然るべきだと思う…。
普段から感じることなんですが、話し合いの席で黙っていたら勝手に「賛成」したことにされる状況というのが多々ありますね。必要な時にいつでも自分の意思を明確に説明できる能力というのは欠かせませんね。教育システムでたっぷり時間を割いて伝えても十分価値のある大切なスキルだと強く思います…。
先日、大坂選手が全仏オープンを棄権したのを知ってるいるかと同僚が聞いてきました。凄く勇気があるね。ここ(北米)ではとてもポジティブに受け入れられている。やっぱりインタビューをする側が変わらないとね、と言う同僚。大坂選手を誇りに思っているんだなというのが自然と伝わってきました。
戦争に行ける準備をすべきかどうか大人たちがしきりに議論しているが、将来戦争に行くと決定したら実際に戦地に向かういまの子供達や若者達にもっと意見を聞くべきではないか。命をかけて戦地に向かうことになる人達の声を十分聞かずに議論を進めて行くのはあまりに残酷ではないか…。
何度も繰り返すが、お金に物を言わせ、たえず政治に直接圧力をかけ、社会のルールそのものを変えてしまう富裕層や大企業の影響力に対抗できるのは、この国の主権者である国民自身による地道な市民運動や労働者運動であることには一切触れず、(続)
最低限の生活をするのに必要な賃金(リビング・ウェイジ)を得るというのは人間としての権利だと訴えるターナー氏。そう、これは人権問題。”自己責任”で片付けていい問題ではない。飢えるほど低い賃金*で生活している多くの市民を当たり前のように放置するような政治こそ変えなくてはいけない…。
生きていく上で大切なもののために、声を上げるというのは人としてごく自然な行為だと思います。私達一人一人が今いる場所から、今日からでも声を上げ始めることができます。声を上げてもすぐには何も変わらないかもしれません。しかし声を上げなければ変わる可能性はゼロです。
世界唯一の戦争被爆国として各国から参加を高く期待された核兵器禁止条約を拒絶した理由の一つが、核保有国との”橋渡し的”な役割を果たしながら核兵器廃絶を目指すという説明であったはず。なのに他国の核兵器を国内に持ち込むことを真剣に議論し始めるというのは一体どうなっているんだ。(続)
繰り返すようですが、私達が若かった頃もひどかったからあなた達も我慢しなさい、ではないんです。私達の頃からひどかったからこそ、他の人が同じ思いをしなくていいように、私達一人一人が今いる場所から変えていかなければいけないんです。でなければ、現状なんていつまでたっても変わりません。
真逆 「メキシコ、人材派遣を原則禁止に」 「法律が定める福利厚生や社会保険が提供されていないことを問題視」 上院議員「人材派遣の過度な利用で、労働者の権利や経済活動が侵されている」 日本経済新聞 2021年4月21日 nikkei.com/article/DGXZQO…
人の価値や人間関係の価値を「生産性」で測ろうとするあの思考は本当に危ないですね。そこで止まらないからですよ。生産性がない、価値がないから不平等に扱っても致し方ないという結論に達し得るからです。理由さえあれば人を不当に扱ってもいいという結論に至る可能性があるからですよね、それは。
ついにオーストラリアが核兵器禁止条約第一回締約国会議(ウィーン)にオブザーバー参加決定。日本と同様米核傘下国であるオーストラリアの同会議参加の可能性が注目されていたが、同条約を支持する新首相の思いがそのまま実現する形に。もし批准を実現すれば国際世論が一気に動く可能性もある…。
コロナ危機が起きてから、誰も取りこぼさないようできる限り人道的な対策を取った国もあれば、ここぞとばかりに権限を強め、権力者のお友達に莫大なお金を儲けさせ、反論する者を容赦無く弾圧した国々もある。危機に直面したリーダーたちの人としての本質がこれ以上ないほどむき出しになっていますね…
繰り返すが、国民主権や個人の尊重、そして基本的人権は永久に侵してはいけないという考え方が外から「押し付けられたもの」だから変えたいという理屈に国民はもっと本気で怒っていい…。
安全だ、安全だと言いながら、いったん船が沈み始めると特権層の人間は当然のように救命ボートに飛び移り、他人事のように船上の人々を眺める……まるでタイタニックだと言う人もいますが、あれは100年以上前の話。100年以上前の状況を思い浮かべてしまうようなことがいま起きているんです…。
子供達の身体の一部である髪を強制的に染めさせる身体的虐待を「頭髪指導」と言い換えて続行してもいいと考えてしまうその価値観、もう本当に終わらせないといけない…。
笑っているからといって、必ずしも楽しんでいるわけではない。反論しないからといって賛成したわけじゃない。黙っているからといって気づいていないわけじゃない。抵抗しないからといって同意したわけじゃない。声に出さなかったからといってもちろん傷つかなかったわけじゃない…(続)。
北米の大学ではクリティカル・シンキング(批判的考察)を徹底的に教えます。物事を考える際に、まず自分の立場を思考から外します。様々な事実を客観的に吟味し、その上で可能な限り論理的な結論を導く。単純なように聞こえるかもしれませんが、実践するのは決して容易なことではありません(続)。
多くの国民が。リーダーの方々には、経済政策を決める際に、今日生きるのが精一杯の多くの市民の存在をどうか忘れないで頂きたいですね…。
暴走しがちな政治リーダー達から発せられる「もう支持率に一喜一憂するのはやめました」というセリフ、簡単に聞き過ごしたら駄目なやつではないだろうか…。
繰り返しますが、人を黙らせるために「権力」を使うのではなく、どうか声を上げられない人達が生きやすくなるよう「権力」を使ってほしい…。
同じく第十章に記されている憲法第98条「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。② 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」