加害者が、ターゲットが逃げた後に執拗に追いかけるのは「愛」ではなく、「虐待への依存」であることはもっと知られてほしい。 ターゲットを取り戻そうとするのは 「虐待できなくなるのが嫌だから」 morahara-rikon.net/4413
自己愛性パーソナリティ障害は、常に自分が正しいと信じています。 もし反対意見を受けた場合、彼らはそれを意見の不一致だとは思わず、自分への攻撃だと見なします。 彼らは直接的な攻撃への正当な反撃としてモラハラをし始めます。 これが彼らの「モラハラをするのはお前のせい」のからくりです。
自己愛性パーソナリティ障害の人は本当の意味で人を愛することができないと言われています。 ターゲットが自分の人生を理想的なものにしてくれるかもしれないという期待があるとき、彼らは情熱的に人を愛しているように振舞います。 彼らは自分の特別な人生の対価として「愛」を与えます。
モラハラ加害者は、ルールを知った上でそのルールの目をかいくぐることに快感を覚えると言われています。 攻撃的な彼らが身体的暴力を振るわないのは、身体的暴力が罪になることを知った上で、罪にならない精神的暴力を利用するからです。 彼らは、精神的な暴力が罪になることを恐れています。
自己愛性パーソナリティ障害の人の語る愛は「所有欲」だということが分かっています。 被害者になる人は彼らにとって所有したいと思わせる魅力や強みがあった人です。しかし、そのことを知ったとしても被害者は癒されません。 むしろ彼らは被害者の魅力や強みに呪いをかけるような存在です。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、マリーイルゴイエンヌ氏の「モラル・ハラスメント」をはじめ、その他の書籍においてもよく「吸血鬼」に例えられる。 彼らは鏡に映った自分自身の姿を見ることができないので自己愛性パーソナリティ障害を自覚することができないという比喩は秀逸であると思う。
モラハラ加害者は自分が有利でやり返されない保証があるときにだけ「対等」という言葉を使います。 語彙や経験の少ない子どもに向かって 「対等だと思っているからキツイことを言うようにしている」 体格や力の差がある相手に向かって 「対等だと思っているから力の加減をしない」
自己愛性パーソナリティ障害は攻撃の手段に第三者を利用します。 被害者のことを「おかしい」「狂っている」と友人や周囲の人に触れ回り「だから話を聞かないでほしい」「付き合わないでほしい」と言って信頼する人との仲を裂いたり、被害者を孤立させる手口を使用することがあります。
自己愛性パーソナリティ障害を知って分かったことは、稼ぎや地位、ステータスなどで勝負し負けたことで攻撃的になる人は、プライドが高かったり、負けず嫌いのようにみえるけれど、単にあなたに「下の立場にいてほしい」と願っているということです。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、絶えず被害者を第三者と比べることにより嫉妬を煽ったり自分のために競争させようとします。 たとえば義母や前妻、前の彼女と比べること、子どもに対しては兄弟間で比較をすることです。 これを「トライアングレーション」と言います。
自己愛性パーソナリティ障害の人が拒絶されたり、不当に扱われたと感じた場合、恥や屈辱の感情から強い怒りを爆発させることがあります。 これは「自己愛憤怒」と呼ばれ、出来事に対し似つかわしくないほど強い怒りを表出させるのが特徴です。 皿に少し汚れがついていたことに腹を立て、家中の皿を割る
自己愛性パーソナリティ障害の人が使う心理操作に「DARVO戦略」というものがあります。 否定、攻撃、加害者と被害者を入れ替えるの頭文字をとったもので、例えば証拠を押さえた浮気をパートナーに咎めるときに「こっちを疑っていることこそが裏切りだ」「あなたこそ私に謝罪しろ」と言って攻撃します。
モラル・ハラスメントの加害者は<自己愛的な変質者>である。 自分の身を守るために、他人の精神を平気で破壊する。しかも、それを続けていかないと生きていくことができない。 「モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない」マリー=フランス・イルゴイエンヌ著
自己愛性パーソナリティ障害の人は、他人は自分に利益をもたらすか、攻撃をしてくるかのどちらかだと思っています。 思い通りに動かないこと、利益をもたらさないことは、自分に対する攻撃だと思っています。 何もしなくてもいつのまにか彼らの「敵」だと認識されます。
モラハラ加害者と話し合いができないのは、彼らは話し合ってゴールを決めようとするのではなく、自分が決めたゴールを話し合いという脅迫によって強要だけするからです。 被害者はそれが分かっているから"話し合い"を避けようとします。 彼らの言う話し合いはモラハラそのものです。
オレゴン州大学の研究から、自己愛の傾向を持つ人は、自分が間違いをしたことを認めないため、間違いから何も学ばないということが分かりました。 彼らは、他人からのアドバイスを受け入れないこと、将来に活かすために自分が何をすべきだったかという自己批判的な思考をすることがないそうです。
家庭内においては会話がなくなるか、どうしても話をしなければいけないときには、話をする前に間違っているところがないかを事前に何度もシミュレーションして話をするようになります。 被害者は「この人との会話が怖い」という経験を積み重ねます。 「話し合え」は被害者にとって恐怖の言葉です。
自己愛性パーソナリティ障害の人との会話において抱く強烈な違和感は、「共感的応答」がないからです。彼らは相手の言葉を正しいか、正しくないかをただジャッジメントします。 相互理解ではなく、優劣や正誤が会話の主題になります。 相手は疲弊します。会話をする気がなくなり、人は離れていきます。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分の行動を批判されると、その行動の意図をねじまげ正当化します。 たとえば、 ・明らかに機嫌が悪いのに「怒っていない」という ・悪意があるのに「悪気はなかった」という ・聞こえている距離で無視をするが「聞こえなかった」という
面前DVが子どもの脳を委縮させるという記事を見たとき本当に衝撃を受けた。 離婚して良かったと思ったし、もっと早くに知りたかったとも思った。 そしてこのことはもっと多くの人が知るべきだと思う。 これを知っているか知っていないかで、DVがある家庭の取るべき道が変わる。
モラハラが治らない大きな原因は、「自分自身には何の問題もない」と信じてやまない加害者が多いということです。 モラハラが治すことができるのは、自分自身の生きづらさが「生き方の癖にある」と我が身を振り返れる人だけです。
自己愛性パーソナリティ障害の人の自己肯定感をあげるために、褒めたり、要求を叶えたり、愛情を伝えることは残念ながら意味がありません。 彼らの自己肯定感は上がらず、代わりにあなたの価値が下がることになります。 彼らにとってますます攻撃していい相手と見なされ、加害はエスカレートします。
加害者は「お前のせいで」「お前が俺を怒らせる」といって加害の原因を被害者にあるように言います。 しかし、DV加害者カウンセラーであるバンクロフトによれば、加害者はある一定の親しい関係において同じ対人関係パターンを繰り返すことが分かっています。
私はモラハラ被害者が、自己愛性パーソナリティ障害について知っておくことは意味があると思っています。 モラハラ加害者は、常人から見ると異常に見える行動をすることがあります。 話の内容がコロコロ変わる、直前の言動を否定する、自分がやったことを人がやったことにする。⇒
海外では、自己愛性パーソナリティ障害と脳の関係の研究も進んでいて、MRIで島皮質において一貫した構造的欠損があること、前頭前野や腹側線条体を含む特定の脳領域間の結合性が低くなることなど、明らかな脳の異常が証明されている。 自己愛性パーソナリティ障害の親は、子どもの脳を傷つけ、自己愛性