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『有職装束大全』の重版分は、来週16日から配本が始まり、18日にはお手元に届き始めるそうです。ご予約頂いた皆さまお待たせいたしました。平凡社が超特急で増刷してくださったそうです。
すべての皆さまに大感謝です!!
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こちらのほうが客観的な報道でした。
j-cast.com/2019/09/263685…
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まもなく、「即位礼当日賢所大前の儀」が行われます。
この祭儀に際して天皇陛下は「帛御袍」という、純白の御束帯をお召しになります。これは嵯峨天皇が802年、天皇の重儀の装束の色を「黄櫨染」と定めたとき、神事には白、と合わせて決められましたことからの伝統です。
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皇后陛下は「白色帛御五衣御唐衣御裳」という、純白の(いわゆる)十二単です。ただしこの御装束は昭和天皇の即位礼からです。大正の御大礼では色物の十二単。明治以前は、即位礼に皇后が出ることはありませんでした。
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「即位礼当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」
「帛御袍(はくのごほう)」
「黄櫨染(こうろぜん)」
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本日、天皇陛下が帛御袍でも黄櫨染御袍でも、頭にかぶられる御冠は「立纓(りゅうえい)」という、うしろの纓が直立したタイプの御冠です。立纓は江戸時代に考案されたもので、緩やかに後ろになびく形でしたが、明治天皇御元服に際して、誤った認識から直立させてしまったものです。
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同じ御立纓の御冠でも、神事の際の「帛御袍(はくのごほう)」の場合、「御立纓黒絹張固地塗甲透無文(おんりゅうえいくろきぬばりかたじぬりこうすきむもん)」と呼ばれる、文の無い神事用です。
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黄櫨染の袍のときの御冠は「菊御紋附黒羅張御立纓(きくごもんつきくろらばりおんりゅうえい)」で、菊の御紋が刺繍されています。明治天皇までは冠親の関白が用いている文様を用いましたが、大正天皇の時代に「冠親」はなくなりましたので、菊花御紋章を用いました。
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ふくら(モチノキ科ソヨゴ)の御笏。
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束帯の着付け、ぱっと画面で見た範囲では、陛下は山科流、侍従さんたちは高倉流のようですね。うしろの「石帯(せきたい)」の石が見えるか見えないかで判断。
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皇后陛下の「白色帛御五衣御唐衣御裳」(純白の十二単)装束では、「平額(ひらびたい)」(髪飾り)が金色ではなく銀色であることが、特徴です。
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興奮して打ち間違えました。
黄櫨染になったのは弘仁十一(820)年のことです。来年でちょうど1200年です。
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まもなく「即位礼正殿の儀」。
このとき天皇陛下が着用されるのは御束帯黄櫨染御袍です。天皇が重儀に黄櫨染を着用するのは、嵯峨天皇の御代からです。
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『日本後紀』
「弘仁十一(820)年二月甲戌朔。詔曰。云々。其朕大小諸神事、及冬奉幣諸陵、則用帛衣。正受朝則用袞冕十二章。朔日受朝、日聴政、受蕃国使、奉幣及び大小諸会、則用黄櫨染衣。皇后以帛衣為助祭之服、以擣衣為元正受朝之服、以鈿釵礼衣為大小諸会之服。」
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この色彩は中国皇帝の「赭黄」に倣ったものと考えられ、中国の皇帝の衣の色は「五行」の中心、そして中国中原の土地の色である「黄」を用いました。黄櫨はハゼノキを用いた染色で、『延喜式』によれば、綾一疋を染めるのに「櫨十四斤、蘇芳十一斤、酢二升、灰三斛、薪八荷」を用いました。
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文様の「桐竹鳳凰麒麟(きりたけほうおうきりん)」は、平安中期頃に考案されたとされます。
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『権記』(藤原行成)
「長保二(1000)年七月四日己卯。参院并左府。召采女正巨瀬広貴。仰図五霊鳳桐。画様可給織部司之由。一昨織部正忠範令奏事由、仍随勅所仰也。」
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当初は麒麟がない、桐と鳳凰の連続文様で、これが筥(箱)形の飛び文となり、さらに鎌倉時代頃に竹と麒麟が加えられたとも考えられています
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『餝抄』(中院通方・鎌倉前期)
「天子常着御。称黄櫨染。文竹桐鳳凰麒麟。天養二(1145)十一朔旦旬。主上黄櫨染御袍。躑躅御下襲。黒御半臂。縮線綾表袴御袴。」