八條忠基(@EeoduLzbYVjTprk)さんの人気ツイート(古い順)

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国の天然記念物、練馬区の三宝寺池沼沢植物群落のカキツバタ(燕子花、杜若、学名:Iris laevigata)は、いまちょうど満開でございます。
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昨年末から皇居東御苑はずっと閉園中です。例年ですとバラ園でコウシンバラ(庚申薔薇、学名:Rosa chinensis)を見ることができる時期…のはずなのですが。写真は昨年のもの。。 平安時代中期までに、中国から「庚申薔薇」が輸入され愛されたのです。平安時代の「薔薇」が写真のこれになります。
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公園を散歩しておりましたら、クサイチゴ(草苺、学名: Rubus hirsutus)の実が熟しているのを発見。たいへん甘く美味しい野いちごです。平安時代の文献にも「イチゴ」は登場しますが、現在見るオランダイチゴが栽培されるようになったのは明治以降とされ、それ以前のイチゴはこれら野いちごでした。
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うわさの台湾パイナップル。本当に芯まで美味しいですね。 パイナップルの「へた」の部分は、ちょっと捻ると簡単に外れるのですね!拍子抜けするほど簡単に外れます。 ご存じの方は「なにを当然のことを」と仰るのでしょうが、私、つい先日知りました。少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。
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五月五日といえば菖蒲。この日は朝廷・公家社会で菖蒲が様々な形で用いられました。「菖蒲の根合わせ」という対抗ゲームも盛んに行われ、その葉と根の色を組み合わせた重ね色目もあります。表裏の組み合わせは表青・裏濃紅梅、五衣の重ねでは青の濃薄・白・紅梅濃薄、白の生絹の単」などなど。
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五月飾り「檜兜」。これは堂上公家有職の五月飾りでございます。奈良~平安時代、5月5日に「菖蒲蔓」と呼ばれる、菖蒲で作ったかぶり物を頭に付ける風習がありました。やがてこの「菖蒲蔓」の風習は自然消滅してしまったようですが、室町幕府で、形を変えて復活?いたします。それが「菖蒲甲」です。
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本日は立夏。 近現代の装束の世界では冬服から夏服への衣更えの日とされています。旧暦での夏の衣更えは4月1日でした。しかし新暦ではうまく合致しないので、立夏・立冬を衣更えにしたのです。写真は夏の直衣。冬の白固地綾臥蝶丸文から夏の二藍縠織三重襷文に切り替わります。夏の袍はすけすけです。
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端午の節供は粽(ちまき)。粽は3月から5月の通常食でしたが、寛平二年(890)に宇多天皇の指示で、民間の節供の行事食が宮中でも食べられるようになり、5月5日は「五色粽」でした。 『延喜式』(内膳司) 「粽料糯米二石。日別二升五合。大角豆六斗。(中略) 右従三月十日迄五月卅日供料。」
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端午の節供の行事食は、粽(ちまき)とともに柏餅。 東京のスーパーではあまり粽を見かけず、柏餅全盛です。古代中国以来、我が国でも少なくとも平安以来の伝統ある「粽」に対して、柏餅は江戸時代に創成されたようで、しかも江戸だけのものだったようです。
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江戸の柏餅には小豆あんと味噌あんがあります。 『江戸名物詩』(方外道人・江戸後期) 「亀屋柏葉餅〈外神田旅籠町御成道〉 宝生門外暖簾亀、萬歳千秋柏葉粢(カシハモチ)、形小色白何足賞。喰来第一味噌宜。」 やはり「味噌餡」が一番おいしい、とのこと。
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柏は枯れても葉を残し、青葉が出るまでその状態を保ちます。これを見た平安時代の人々は、柏には「葉を守る神様」がおいでになるに違いない、と考えました。 『枕草子』 「柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむもかしこし。兵衛の督、佐、尉など言ふもをかし。」
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今宵は菖蒲湯。 最近の菖蒲は匂いが少なくなったと思いませんか? わたくしの感受性が落ちたのか、菖蒲そのものの香気も薄くなったのか…。『後水尾院当時年中行事』(江戸初期)の記述にあやかって菖蒲を刻むと香気が満ち、大成功でした。
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ヤマグワ(山桑、学名:Morus bombycis)の実が色づき始めています。もう少したつと黒紫色に熟して甘く美味しくなります。 クワはカイコの主食です。「喰う葉」「蚕葉」が語源とも言われています。
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桑の実は北関東では「ドドメ」と呼ばれ、その黒紫色は「ドドメ色」として知られています。
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「楝(おうち)」が美しく咲いております。 「楝」は漢字も見たことがないという方が多いのではないでしょうか。「棟(むね)」ではありません。この「楝」はセンダン(学名: Melia azedarach)の古名なのです。 重色目は今の季節の「楝重ね」。 『雁衣鈔』 「楝。面薄色。裏青。四月五月着之。」
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卯の花、つまりウツギ(空木、学名:Deutzia crenata)の花が咲いていました。奈良時代から愛された木で、重ね色目も勿論あり、多用されました。 『物具装束抄』(花山院忠定・室町前期) 「卯花狩衣<面白、裏青。四五月着之>。」
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佐佐木信綱作詞の『夏は来ぬ』(著作権消滅)。 一番は 「卯の花の 匂う垣根に   時鳥 早も来鳴きて  忍音もらす 夏は来ぬ」 以降、橘と楝が謳われます。 新型コロナ蔓延といえど、いつものように自然は移ろい、今年も初夏を迎えております。
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楝は魔除け厄除けの効果があると信じられていました。平安時代は監獄の門前に植えられ、見せしめとして斬首した首を掛けました。平治の乱では信西の首が掛けられました。これを「獄門に掛ける」と呼びます。
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非常に面白い勘違いがあるのです。 『平治物語絵巻』で、信西入道の首が獄門にかけられる場面。なんと「楝(おうち)」の木ではなく、門の「棟(むね)」に掛けられているのです。詞書きはちゃんと「あふちの木」と書かれていますので、これは絵師の勘違い。「楝」と「棟」は紛らわしいですからね。
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『平治物語絵巻』信西之巻 (国立国会図書館デジタルコレクションより)
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『万葉集』の 「ほととぎす 楝の枝に行きて居ば  花は散らむな 玉と見るまで」(大伴家持) などの「玉」は髪飾説、薬玉説などさまざまありますが、「楝」つまりセンダンの実を見れば、そのことを詠ったものだということが自然に理解できます。
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『宇津保物語』や『源氏物語』にも登場する、最古の和菓子と呼ばれる「椿餅(つばいもち)」を作ってみました。干し飯のプレーンタイプと、文献に登場する丁字(クローブ)を入れて紙で結んだタイプの2種。蹴鞠の会の「もぐもぐタイム」で用いられたスナック食というのも、よく理解できますね。
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いま肉桂(シナモン)入りの椿餅は市販されていますが、はたして丁字(クローブ)はどうかな?と思ったのですが、実にこれ風味絶佳、優雅にして美味しいです!
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『源氏物語』(若菜上) 「次々の殿上人は、簀子に円座召して、わざとなく、椿餅、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。」
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椿の葉のおかげで、餅が手に付きません。スポーツ時のフィンガーフードとしては最適だったのも頷けます。