八條忠基(@EeoduLzbYVjTprk)さんの人気ツイート(新しい順)

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ハゼノキ染めをしてみました。 草木染めの材料の多くは市販されていますが、ハゼノキはかぶれる可能性があるためか、染料としては一般には市販されていません。そこで材木で入手してカンナで削ってチップを作り、それで染めました。 簡単に見事な櫨色になりました。優れた染料です。
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刈安染めをしてみました。 こんなススキの切れ端のような葉っぱで、きれいな黄色に染め上がるのは不思議です。黄色は持統天皇の時代から無位・庶民の色とされましたが、染料が容易に入手でき、染色も容易であることから、大納得でございます。
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束帯の表袴に多用される「霰」文様。 江戸中期の歌舞伎役者・佐野川市松が「心中万年草高野山心中」の小姓に扮した際、白と紺の霰文様の袴を履いて人気に。浮世絵にも描かれたことから「市松模様」の名称が定着。その伝で言えば今後「炭治郎模様」という名称になってもおかしくは無いというお話し。
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染め液を作るために煮込んだ茜の根。黄色味が抜けて、まさに「赤根」になっています。
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貴重な日本茜の根を入手できましたので染色を試みました。『有職の色彩図鑑』の当該ページの色票と似た色に仕上がりまして、安堵いたしました。
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日本橋三越本店にて「有職工芸・林 美木子 王朝のかたち展」が開催中でございます。とてもとても手が出るお値段ではございませんが拝見するのは無料。本日伺って参りました。見ているだけで寿命が延びるような気持ちになれる、素晴らしき有職の御品たちでございました。 mitsukoshi.mistore.jp/nihombashi/sho…
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本年は監修のぬり絵2冊、そして新刊の著作3冊を無事に出版できました。これもひとえにご愛顧くださいました皆様方の御蔭様でございます。本当に有り難うございました。わたくしが「素敵だな」と思うことを、これほどたくさんの皆さまも「素敵だな」と思って下さったことが、何よりの喜びでございます。
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来春に刊行される予定の、有職故実に関連した本のために、さまざまなものを撮影中。これは「貝覆い」の貝です。こうした江戸時代の御品は繊細で優美で雅やか。実にフォトジェニックです。
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お若い着物愛好家の皆さまがお読みになる「KIMONO BIJIN」で、『有職の色彩図鑑』(淡交社)をご紹介いただきました。まことに有り難いことでございます。 kimonobijin.jp/contents/detai…
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秋深し。 見上げれば武蔵野の高き空に、雁がねが渡って参りました。まもなく師走でございます。
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淡交社の編集さんが、『有職の色彩図鑑』の刷り立てほやほやの重版を持ってきて下さいました。色味も良い仕上がりです。ただいまamazonで品切れ状態になっているとのことでございますが、まもなく重版出来、各書店に納品されるそうですので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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今日の夕方の、東京は中野の空です。 昔の人々はこういうのを見て「朱雀」などを想起したのでしょうね。
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白菊が急な寒さに遭うと「しもやけ」を起こして紫色になります。平安の人々はこれを「移ろい菊」と呼んで賞美しました。昨年の今日、これを撮影できたときは感激。今年の『有職の色彩図鑑』に載せることが出来たのでした。
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ちょっと色味を調整してみました。絹糸は日当たりにより光るので、実際に目の前にしないと正確な色はつかめませんが。 また、裏地の青と、中陪(なかべ)の薄青も表現しました。正式な発表を聞かないと何とも言えませんが、表白裏青、いまでいうと「菊」の重ねでしょうか。今日は旧暦では9月23日です。
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皇后陛下の御小袿を謹写してみました。 速報値?なので完成度にはいささか難がありますが、だいたいのイメージでお考えいただければ、と。 ……我ながら仕事が早いです(笑)
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何はともあれ、立皇嗣宣明の儀、無事に終わりまして何よりでございます。わたくしが「次」の機会を見ることが出来るかどうか、年齢的には難しいかもしれませんので、たいへん良きものを拝見させていただきました。有り難いことでございます。
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新型コロナの影響で、饗宴はなくなりましたし、ソーシャルディスタンス、両陛下・皇嗣殿下同妃殿下以外は装束姿にマスク着用という特異な事態でしたが、これもまた一つの「故実」となり、今後の範となるでしょう。二度とあって欲しくはありませんが……。
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「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」の服装は「皇嗣:束帯(黄丹袍)、皇嗣妃:小袿・長袴、皇嗣職宮務官:衣冠単・袿袴、掌典長・掌典次長・掌典及び楽長:祭服、内掌典:衣袴・袿袴、掌典補及び楽師:祭服、出仕:麻浄衣」となります。
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このあと12:35から、宮中三殿で皇嗣による「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」が行われます。これは壺切御剣が無事に伝進されたことを皇嗣が神前に奉告する儀式です。
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壺切御剣の拵えはどうかと言いますと、後鳥羽上皇の『世俗浅深秘抄』によれば、「東宮護劒壺斬蒔絵海浦有如龍摺貝。装束青滑革。」とあります。しかし『壺切御剣図』(勧修寺家文書・京都大学総合博物館蔵)の図では、帯取革は『世俗浅深秘抄』の記述とは異なって紫革となっておりますね。
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壺切御剣はもともと藤原氏の重宝であり「藤原氏出身の母を持つ皇太子」のシンボルであったため、母が藤原氏でない後三条天皇は授けられなかった、と『江談抄』にあります。「そんなものは私には不要、欲しくはない」と後三条天皇は言い、即位後に献上を受けたという伝説があるのです。
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壺切御剣は元々は藤原氏の重宝でした。『扶桑略記』には「光彩電燿、目驚霜刃」と書かれています。これが藤原基経から献上され、宇多天皇から敦仁親王(醍醐天皇)に授けられました。壺切御剣は「藤原氏出身の母を持つ皇太子」のシンボルとして、さらに醍醐天皇から保明親王に受け継がれました。
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「壺切御剣」というのは、皇太子のシンボルです。『西宮記』(源高明)によれば、寛平五(893)年四月十四日、敦仁親王(のちの醍醐天皇)の立太子に際して、宇多天皇から剣を授けたことに始まります。
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しかし立皇嗣の礼ではこれを佩用されず、立皇嗣宣明の儀のあと、11:25からの「皇嗣に壺切御剣親授」において、皇太子のシンボル「壺切御剣」が天皇から授けられます。服装は「天皇:御束帯(黄櫨染御袍)、皇嗣:束帯(黄丹袍)、侍従長・侍従・皇嗣職大夫・皇嗣職宮務官:衣冠単」です。
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昨年の即位の礼で皇嗣殿下が佩用された細身の太刀は「豊後国行平御太刀(ぶんごのくにゆきひらおんたち)」と呼ばれる皇太子の太刀。これは令和元年9月26日、天皇陛下が「行平御剣(ゆきひらぎょけん)伝進の儀」を執り行われ、皇嗣殿下へ受け継がれたものです。