片柳弘史(@hiroshisj)さんの人気ツイート(古い順)

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教会の軒先に咲いた「曜白朝顔」。中心部から延びた、白い筋がおしゃれです(^^)
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教会の軒先に咲いた宿根の朝顔「天上の蒼」。うっそうと葉を茂らせ、次々に花を咲かせています(^^)
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教会の庭のヒマワリたち。今年も、さまざまな種類のヒマワリが元気いっぱいに咲きましたが、この「東北八重」が最後になりそうです(^^)
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「あんなにしてあげたのに、裏切られた。何て恩知らずな」と考えるより、「あの人は、もう私の助けが必要ないくらい成長した。役に立ててよかった」と考えましょう。大切な人の成長を助けることは、そのこと自体が大きな喜びなのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の軒先に咲いた宿根の朝顔「天上の蒼」。空の色に吸い込まれてゆくようです(^^)
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教会の花壇に咲いた、アジアン・ハイビスカス。象の鼻のように伸びた雌しべがエキゾチックです(^^)
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青草が生い茂る、夏の秋吉台。朝早い時間に歩くと、とても気持ちがいいです(^^)
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大きな心配事があるときこそ、いつも通りの生活を心がけましょう。生活が乱れれば、心はさらに乱れ、心が乱れれば、生活はさらに乱れるという悪循環が始まります。生活さえ崩さなければ、心は次第に整い、心配事もやがて過ぎ去るでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の軒先の朝顔たち。吸い込まれそうな美しさです(^^)
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教会の庭のハイビスカス。夏の初めから、美しい花を咲かせ続けています(^^)
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公園の花壇に咲いたヒマワリたち。真っ青な空と白い雲がよく似合います(^^)
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「感謝を知らない心は、穴の開いたバケツのようなもの。どれほどたくさんの愛が注がれても、決して満たされることがありません。どんなに小さなことにも感謝し、一滴の愛を大切に集められる人だけが、心を愛で満たすことができるのです。」 『こころの深呼吸~気づきと癒しの言葉366』(教文館刊)
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楽しいことも過ぎ去りますが、苦しいことも過ぎ去ります。楽しいことが過ぎ去るのを惜しんで引き留めようとするなら、それは苦しいことも一緒に残るということ。過ぎ去るからこそすべては変わり、世界は新しくなってゆくのです。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の軒先に咲いた、絞り咲の朝顔「江戸風情」。上品な美しさに癒されます(^^)
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青々と葉を茂らせた教会の庭のイチジク。甘くておいしい実を、つぎつぎと実らせています(^^)
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山口県の名瀑、秋芳白糸の滝。その名の通り白糸のような水が、高低差30mの滝を流れ落ちています。訪れる人がほとんどいない、隠れた名所です(^^)
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体の痛みや心の痛みを感じているときは、痛みに耐えるのに精いっぱいで、他の人を気遣う余裕がなくなります。痛みを感じているときは、できるだけ人と会わないこと。人と会うときは、いつもより言葉遣いや態度に気をつけたらよいでしょう。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の軒先の朝顔たち。そろそろ、夏の終わりが近づいてきました(^^)
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「大きなストレスがのしかかっているときは、ただ普通に暮らしているだけでも疲れます。そんなときには、周りの人を思いやりながら、普通に暮らしているだけで十分に立派なこと。何か特別なことをしようと、あせる必要はありません。」 『やさしさの贈り物~日々に寄り添う言葉366』(教文館刊)
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うっそうと生い茂る木立の中に、突然、現れた赤レンガの古いトンネル。まるで『千と千尋』に出てくる異世界への入り口のようですが、実は、廃線となった船木鉄道のトンネルです(^^)
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自分を信じるとは、今はまだ分からなかったとしても、自分の人生には必ず意味があると信じるということ。あきらめさえしなければ、道は必ず見つかると信じるということ。たとえ誰も信じてくれなくても、自分だけは自分を信じられますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父
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教会の軒先に植えられた宿根の朝顔「天上の蒼」。今日も、夏空に向かって元気いっぱいに咲いています(^^)
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教会の花壇に咲いた大輪のヒマワリ「東北八重」。甲子園の優勝旗が東北に渡ったことを喜んでいるようです。山口県から宇部商業以来37年ぶりに決勝戦に進出した、下関国際の健闘もすばらしかったです(^^)
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夏雲が湧く宇部の空。サルスベリの花が彩りを添えています(^^)
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人を信じるとは、いまは無理でも、この人となら、いつか必ず分かりあえると信じるということ。その人が、自分で選んだ道を行くのをあたたかく見守るということ。たとえすべての人が見放しても、自分だけはその人を信じ続けられますように。今晩も、皆さんの上に神様の祝福がありますように。片柳神父