*h(@carouselambra00)さんの人気ツイート(リツイート順)

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ベルセルクの最終回を知ってるとか、人類史の重大な秘密を世界で唯ひとり知ってしまった主人公の葛藤をリアルで味わったんやな森恒二先生
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昭和のガンダム好きな人が割と混乱する、確か「地球の重力に魂を引かれた人間たち」という言葉はガンダムにおいて侮蔑の表現だったはずなのに、平成以降の作品は「やっぱり人類は地球でしか生きられん!みんな大地に立とうな!」みたいになってて、作品に通底するルールがいつの間にか逆になってる問題
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たぶん富野監督は「世界を呪う心」を幾ら集めてもひとつになりにくいと思っている(後のVガンダムを観てると逆説的によく伝わってくる)ひとで、逆に「今から産まれてくる子らが幸せに暮らせたらいい」くらいの素朴な気持ちは容易くひとつになれるもので、それが逆襲のシャアのラストだったんだと思う
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当時は「善き子の母になれたら救われる」という錯覚をするルペ・シノさんが解らなかったけど、30年後には「今の子は旧世代の悪習を克服して新しい世界に生きている、そう彼らを讃えれば自分もそちら側に回れる」と善い子に群がって清められようとする大人はSNSで普通に見かけるしVガンダムすげえなって
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映画館の廊下で俺の前を歩いていた、高校生くらいの男の子と女の子が手を繋いでGレコが上映されるホールに入って行ったので、心の中でキア隊長の遺影を掲げながら「Gレコがデートムービーになっています…!キア隊長、これが長年、夢に描いてきた光景ですよね…?」と涙ぐんでいた
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Gレコが放送された2014年の段階では「地球人が身の回りの暮らしを成り立たせているエネルギーが何かも知らず、そういう自分たちを自覚することもなく生きてるなど、いくらなんでもあり得ない、あまりに幼稚でガバガバ過ぎる設定を出してくるなんて富野もボケたな」と非難されまくっていたものですが… twitter.com/dreamconductor…
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新作ガンダムが発表されるたびに聞こえてくる「期待してたのと違う。もっと、これこれこういうのが観たかった」という声、その「これこれこう」を拾い集めていくと、1stガンダムでもなければオリジンでもなく「絵柄が今風の機動戦士Zガンダム」が組み上がってしまいがちなのがZの強いとこではないかと
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劇場版のフォトントルピードはモビルスーツも人もロウソクの火を吹き消すみたいな演出で怪談じみてるんだけど、意味が解ると次は「あの人たちはエネルギーに変換されてGセルフのバッテリーにチャージされました。みんなここにいます」っていう違う次元の怖さが追いついて来るのでGレコはよくできた怪談
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富野アニメみたいと言うなら、「世界の間違いを正せ」と叫ぶ少女(16歳)が居たら、ちゃんと「急ぎ過ぎですよ!世界は次の世代がきっと何とかしてくれます!」と、自分たちは既に古い世代であると思ってる年下(13歳)の男の子が横から煽ってきてくれないと富野アニメという気がしない
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逆シャアのアムロは別に世直しをインテリの戯言と切り捨てたわけではなく急ぎ過ぎを警告しただけで、むしろ「何代もかけて変わっていこう。俺たちは何も得られず終わる世代だけど、それでいいと思えるようになろう」というアムロの立ち位置こそ「俺が救われないなら意味ない」と憤る人が多そうではある
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謎の光でアクシズを押し返したことに対する反省があるので、Vガンダムで「人生は無意味で、世界は無価値だ!違うか富野由悠季!」と問いかけるカテジナに答えを用意できず、とりあえず謎のニュータイプ空間を展開して済ませようとするウッソを「まやかすな!」と罵り、自分を罰する富野(まじめすぎる
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富野監督は物事が自然な流れでエスカレートしていくのを描いているうちに、そらそうなるよ的な結果として酷いシーンに辿り着いちゃうだけなので、先に「これでも喰らえ」と叩き付けたい衝撃シーンがあって、そこに辿り着くように逆算して話を組み立ててると思われる大河内先生は方向性が異なるのでは…
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Gレコで記憶喪失を扱うにあたり富野監督はその種の文献に当たったそうです。記憶の回復は過去の部分から始まり、直近の記憶まで整理されるのは最後だということで、劇中のラライヤの描写もそうなっています。放送当時、誰かが「超人墓場から帰って来たウォーズマン」とか言ってたのを思い出しました。
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Gレコ村を通りがかるバンダイの行列に、餓えたGレコ民は「Gレコ完結記念のプラモでは」と歓喜するが、無情にも「触るな!これは水星の魔女のプラモだ!」と蹴散らされ、這いつくばり悔し泣きする村の若者に歩み寄った一人のバンダイのお侍さまが、懐から出した小さなユグドラシルを置いていったという
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富野監督が逆シャア以降Gレコに至るまで延々と捏ねくり回してる「常人が目的の達成まで1000年かかるスケールの改革に取り組める仕組みを探そうプロジェクト」において、閃光のハサウェイは「社会からアカン人間だけピンポイントで摘出して風通しよくするのはどうか」を試行してた過渡期の作品なので…
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人類の大半はハサウェイを乗せたタクシーの運ちゃんと同じ考えだったので、だから言ったじゃねーか!的なノリで、まんまと宇宙世紀は滅びました。スペースコロニーは全て鉄屑になり、太陽系で人類の手が届く範囲内の資源も枯渇して、なんか人が人を食うレベルの地獄の地獄みたいな世の中になりました。
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個人的にはナラティブを観て劇場から出たときGレコよりVガンダムについて考えたので、あのとき思ったVガンを図にしてみた(なぜ図にする)ブレン以降の作品はカテジナの問いに答えようとするものでGレコもその線上にある。ナラティブはVガンと同じ題材を扱うガンダムだがVのラストに強く抗議する内容。
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TV版のGレコに、自分を励ましてくれたつもりでクンタラを見下したようなことを言ったミックに、クリムが少し傷つく場面があるんですが、それも悟られたくなくて変なごまかし方をして、彼の世の中への微妙な距離感というか「這いつくばって生きてるわけでもねえ恵まれた俺が言ってもよ」というのがこう
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ようやく反省した人類は1000年ほど平和でしたが、世代が変われば「宇宙世紀の滅亡は我々のせいではない」「いつまで先祖の罪を反省させられるのか」「我々は歴史を学んでおり先祖とは違う」と不満を持つ人々が現れて、元気に暴れまくる富野監督の最新作「Gのレコンギスタ」をどうぞ宜しくお願いします
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Gレコは登場する組織もキャラも全員が同じシステムを保全する業務に携わっていて、それぞれ担当する部分が違うだけの仲間のはずなんだけど、揃いも揃って「まじめに取り組んでるのはウチだけ」「ウチが苦労を引き受けてるから他の連中は生活が成り立つのだ」と思って見下しあってるとこが面白いんすよ
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Gレコに限らず「行動原理」という言葉を使いたがる人と相性が悪いのが、復讐者のはずのシャアがジオン生活が楽しすぎて青春を謳歌しまくったり、クワトロに悪口言える機会をスルーできず決戦の最中に寄り道して艦隊が壊滅するシロッコとか、人は目の前の出来事に引っ張られるんだよ!というとこがこう
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おそらく富野監督の考えるニュータイプは、このアムロの「何ともならん話は何ともならんのだと受け入れた上で、自分が生きてる時代にしておく仕事をしよう」と、自分は自分の努力の成果を味わうことはできないがそういうものだ、と思える「心のありよう」のことで、それが人間には無理やったんやろなと
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逆シャアからGレコに至るまで「うう〜誰か私を今すぐ幸せにしろぉ」「僕らはもう間に合わないけど次の世代がきっと何とかします」「私が生きてるうちに間に合わないなら意味ねえだろうがクソガキがァー」「んなこと言ったって百年かかるもんは百年かかるんですぅ〜」という戦いを延々やってる気がする
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ミュージィ・ポーと黒騎士の会話。ダンバイン最終話のひと幕ですが、一般に言われる「富野節」とはこのような会話のことでしょうか。会話が噛み合ってないとかドッジボールだとか、言いたいことを喚いているだけだとか色々な説明がされていますが、この場面は判りやすい例なので取り上げてみましょう。
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「Gレコが子供向けのはずがない、子供に解る話ではない」と言う人を目撃してふと思ったんだけど、もしかして今は「子供の頃に観た作品を十何年後に観直して驚く」という体験は余りしないもんだったりするのだろうか?あるいは異常な長期間に渡って再放送しまくってた1stガンダムが頭おかしかっただけ?