雨 滴 堂(@Utekido)さんの人気ツイート(新しい順)

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30年くらい前か。家族病理の第一人者を謳う精神科医のサイトで無料相談を受け付けていたのを見て、《死にたいのに介護があるから死なせてもらえない、逃げられない、殴られる毎日つらい》みたいなことを真夜中にこっそり書いて送った。翌日《ご相談ありがとうございます》から始まる返信があった。
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有り金かき集めて子どもに目一杯美味しいもの食べさせて、日がな一日楽しく過ごさせて車に乗って膝枕して、練炭炊く親の気持ちがちょっとでも“わかってしまった”気がしたので、多分疲れている。4時間ばかりの自由を買おう。一時保育受付にもしもしだ
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疲れがピークなので一時保育を頼もうとした; わたし「もしもし、今週末の一時保育を予約したいのですが」 やくば「緊急事態宣言中なので緊急のご事情に限りご予約いただけます」 わたし「疲れて具合が悪く…」 やくば「ご体調の悪い方がご家庭にいる場合ご利用を見合わせていただいております」[終]
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以前、公園で幼児と保護者が遊ぶありふれた光景の中で、ひとり「パパー!パパー!」と遊具の上から泣いて訴える子どもがいた。その子の視線の先にはベンチに座して泰然と本を捲る男性がいた。彼はイヤフォンを装着していて子の涕泣に気づく素振りもなかった。本は『AIに負けない子どもを育てる』だった
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生理になること、毎月何日間も痛みでのたうち回ること、ナプキンを生涯買い続けること、吐き気と不安とままならなさに耐えること、苦痛緩和のピルを飲む行為さえ詰られること、それらの濁流に否応なく取り込まれる女性の、状況が改善されますように。知識は人を救い、情報は社会を成熟させると信じて。
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でも最近、《生理の貧困》という言葉を耳にすることが増えた。言い出した人たちは無数の毀誉褒貶に曝されたことと思うから、その勇気と努力を称えたい。だれかの問題提起によって語り部が増えるのはいいことだ、具体的な情報が広まれば、無駄に尊厳を踏み躙られる少女が減る。
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その重さを、その苦しみを語ろうとすれば封じ込まれるのが社会の常で、年上の女たちは往々にして「自己管理しろ」と嘯き「忍耐が女の美徳」みたいなくだらない価値観を押し付けてきた。いやな時代だなと思ったが、歴史を繙けば女が人間扱いされないのは別に今に始まったことではないらしかった。
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内心不満タラタラで同級生にそっとナプキンを渡した。それもなんだか変だと思った。何も悪いことをしていない、汚いこともしていない、自分自身にすら制御し得ない、自我に帰属するだけの肉体の気まぐれな出血のせいで、こんなに遠慮し額に脂汗を浮かべなくてはいけない女の十字架は重いと思った。
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生理がいつ来るか、血がどのくらい出るかなんて高校生くらいじゃまだ安定してないし、ナプキンに対して「そんなもん要らない」と予算を割いてもらえない子だって少なくない。そこで思春期の子たちの尊厳を守り、無駄に傷付かないよう導くのが《先生》ってものじゃないの?と疑問がぐるぐる渦巻いた。
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学校のナプキンを生徒が使うことで損をするというなら、トイレに自販機を置いてくれたらいいじゃないかと思った。そして「生理になっても保健室に頼るな、血染めのスカートも下着も密やかに自分でなんとかしろ」と公言し、「学校は子どもを管理する場であって守る場ではない」と突き放したらいいのに。
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1枚差し出してきた。ありがとうございます、と部屋を出ようとしたら、「もう高校生なんだから、そのくらい自分で管理なさいね。持ってないのは恥ずかしいよ」と偉そうに冷たく言い放った。わたしは言葉もなくドアをぴしゃりと閉めた。嫌な奴だな。同級生が自分で来なくて本当によかったと思った。
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高校のときに隣の席の子が、休み時間に机に突っ伏し、苦悶の表情でこちらを見やり「ナプキン…ある…?」と絞り出した。わたしは血だらけが常な生理貧困型だったので、当然持っていなかった。保健室でもらってくるねと走った。保健の先生に「すみません、ナプキン頂けますか」ときくと、先生は黙って
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アドラーか誰かの本で「未来は教育でしか変えられない」みたいなせりふがあったっけ。わたしはせめて子どもには、社会が野蛮を許しても、人たるあなたは野蛮な振る舞いを許容してはいけないんだよと説いていくくらいしかできなくて、後に続く人たちが生きやすくなった社会の夢を見る。
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『ぶつかり男』は実在する人間なのに、ある種の特権階級の人たちにとってはずっと眉唾な都市伝説のままで、それを話題にする方が笑い物にされてしまう。 悔しいね、悲しいね。嫌な思いをせず電車やバスに乗りたいだけなのに、そんな自由も保障されないアンバランスなこの社会。
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他の多くの国では肌の色や人種や使う言語で差別が繰り広げられる中、《暮らす人みんな》の人種と言語がほぼ均一の日本では、女が、赤子が、こんなに舌打ちされて蹴られてモノみたいに扱われているという、そのことすらまだ大して理解が進んでいない。
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どれだけ頑張ってもわたしひとりでは彼の《普通》を手に入れることができないのに、ほんとうに、見えている景色が男女では違うんだなあとの考えを強めるに至った。別に周囲の人に席を譲ってとか降りろとか言っているのではない、わたしは侵害されず静かに目的地まで揺られていたい、それだけなのに。
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わたしにも彼のような逞しく大きな身体か、肩から手首までを覆うように刻み込まれた鮮やかなタトゥーか、あるいは単に男性という属性のいずれかでもあれば、子どもをより守りやすかっただろうし暮らしやすかったんだろうなと思ったら、そんなことを考えなければいけない事実に泣けてきて、
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子どもを連れた状態で男の人と出掛けたのは後にも先にもその一回で、わたしには検証のしようがない。ただ、その日は、都内の混雑電車に乗っているというのに、ぶつかられることがなかった。蹴られもしなかった。耳元に息を吹きかけられもしなかった。人間で在れた。「普通のことでしょ」と彼は笑った。
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ショックだったのを覚えている。女でママで子連れで弱そうで容易に反撃もできないくらい荷物が多いから、邪険にされていたんだ、ずっと。 子連れで出かける時はいつも旦那さんが一緒、というママ友にそう話しても「そんな嫌な目には遭わない」と首を傾げられたのは、こういうことだったんだ、きっと。
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数年前に同窓生の南米人(ガタイいい)が東京に遊びに来て、互いに子連れだったので一緒にベビーカーで渋谷に出たのだが、井の頭線渋谷発吉祥寺行き最後尾に乗ろうとするから「そこは混む。ベビーカーではいくら並んでも乗れない。先頭車両に行こう」と言ったが「そんなことないでしょ」と笑い飛ばされ
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仕方ないので電車が来るまでホームに整列していたところ、誰にも順番追い越されないわ乗る時にぶつかられないわ乗ってから座席に座れるわ蹴られないわと快適で、外出時に毎度蹴られないようぶつかられないよう気を張っていたのなんだったんだと思うくらい遠慮が要らなくて、わたしは吐き気に襲われた。
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☆ご覧いただきありがとうございます。noteに転記しました。 差別的世界の歩き方|雨滴堂=Utekido= @Utekido #note note.com/utekido2019/n/…
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わたしたちはいつだって自由で、世界をまるごといっぺんに変えることはできなくても、自分の在りようを決める力は持っている。だからわたしは思い続けるだろう、"孤独に歩め。悪をなさず、求めるところは少なく。林の中の象のように”。そして静かに抗うだろう、ヘイトと差別と侵害に。
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あの手紙は独善的で断定的で気色悪くてすぐに生ゴミを砕く装置に突っ込んでしまったが、彼のように未熟な《正しい思想》を掲げる人による攻撃は今日もどこかで炸裂していて、その事実はわたしを奮い立たせると同時に、半径50cmのスペースにわたしを敢えて踏み止ませる。
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生命が遺伝子の乗り物に過ぎないように、人間は思想の体現者に過ぎないとも言える。正しき迫害の体現者となるのか、差別に抗う戦士となるのか、わたしたちは誰でも選ぶことができ、選択は委ねられている。傍観者を選ぶことだってできる。差別に気づくことを拒み、なにも変えたくないならば。