神主になったアライさん(@araarafene)さんの人気ツイート(リツイート順)

地鎮祭帰りの車内 アライ「先輩……」 先輩「お前も…気付いたか…」 ア&先「現場に神様置いてきた」 to be continued #本当にあったアライさんの怖い話なのだ
なんでメスのイチョウも植わってるんですかねと上司に聞いてみたら 「いざという時の非常食だぞ。どんぐりとか銀杏は乾燥させれば日持ちするから、災害とか、飢饉の時でもストックしておいて神社に避難すれば何かしら食えるようにしといた名残だよ」 と言っていたので本当に古の知恵だったのだ。
ちなみに神饌に纏わるトラブルは結構あって、今まで聞いた中で一番ヤバいなと思ったのは川辺の神社で奉納された鯉を神饌としてあげたら、例大祭中に息を吹き返して他のお供え物をなぎ倒しながら鯉がご神前を暴れまくった話なのだ…。
人が来てもらうこと自体が神社存続のために必要なことなのに、なぜダメだと思うのだ………
突然「穢れ」という概念について語り始めるのだ。内容が内容なので突然不快な表現が出てきてもご容赦して欲しいのだ。
神前式は勿論、神様の前で行うものだけれど、それだけではなく様々な儀式や道具に夫婦が仲良くしてほしいとか、子孫繁栄の願いが込められているのだ。それを全部同性婚用に誂えるというのは土台無理な話だし、かと言って宗教性を捨てるのは論外なのだ。
じゃあ神社でやらなきゃいいじゃん、とかお金儲けの為に悩んでるんだろとか言われるかもなのだけど、アライさんとしては、愛によって出来ることと出来ないことが産まれてしまうのが一番悲しいと思うのだ。 誰でも白無垢を着ていいと思うし、誰でも紋付袴を着ければ良いのだ。そういう風にしたいのだ。
もしこれから同性カップルの養子制度や子供を設けることが出来るのであれば、何の問題もなくなるのだ! やりたいって思う神社も増えてくると思うのだ。これからに期待しつつ、アライさん達も早々に整備できるよう頑張るのだ。
現代の結婚式は家の繁栄の為というより、個人の儀礼として行われている場合が多いのだ。同性愛も認められつつあるし、パートナーとして親族知人に普通に紹介できるような社会が近付いているのだ。その中で好きな人の晴れ姿をみたい。結婚式を挙げて社会的にも認められたいと思う気持ちは当たり前なのだ
そこでまた本題に戻ってくるのだ。アライさん達は頭を抱えるのだ。「子孫繁栄…神様にどう説明しよう…」と。
古代日本で同性婚という文化はアライさんが見た限り無かったように思うのだ。それは同性愛が公然と認められていて、誰かに周知する必要がなかったのかもしれないし、そもそも子孫繁栄を願う神事だから必要無いと思われていたのかもなのだ。
アライ「お祭り用のお塩買ってきて欲しいのだ!」 後輩「なんでも良いですか?」 アライ「なんでも良いのだ!」 数分後 後輩「はい!」(さらさら食卓ソルト) アライ「…」 翌日早朝 アライ「盛り塩が…盛り塩が作れないのだ……さらさらなのだ……」
神幸祭の進行速度を決めるのは宮司じゃなくて馬のイラつき具合なのだ。「今年は行列凄く早くなかった??」って言われた年は、御神馬のご機嫌がすこぶる悪くて、アライさんの背後でアスファルトに蹄をガンガンやってせっついてきたのだ。死ぬかと思ったのだ。
先日の境内摂末社前 偉そうな女性「これで神界への門が正常に開かれました」 若い女性「ほんとだ…雰囲気全然違う…」 若い女性2「すごい…」 影で見ていたアライさん「(物騒なもん開かんどいて…)」
狛犬が家まで着いてきて困る #実際に言われたクレーム晒す
堂々の第1位なのだ。 簡易祭壇(かんいさいだん) これはもうバカなのだ!!!何しに行ったのだ!!!お散歩なのだ!?!?神主やめた方がいいのだ!?!? 折畳式でいつも車に入ってるから、油断してるのだ。それにしてもあり得ないのだ。 ……反省なのだ。
宗教を信仰するということは「なにか」見られていると意識する事なのだ。だから海外(何処を指すかは場合による)では宗教を信仰していないというということは「何にも見られていない人」として扱われる場合もあるのだ。つまり、罪を犯すことに抵抗がない人ある意味で「無敵の人」と思われちゃうのだ。
参拝者「最近天井から子供の悲鳴が聞こえて…」 アライ「こわい」 参拝者「飛び跳ねるような足音とかもして…」 アライ「………すごくこわい」 参拝者「天井から茶色いシミが…」 アライ「アッ!それハクビシンなのだ!!」
除夜の鐘が話題だけれど、神社も開門と同時に鳴らす報鼓という太鼓があるのだ。早朝に鳴らすので「うるさい」というクレーム電話があったので小さめに叩くと今度は別の人から「目覚ましがわりにしてるのに聞こえない」というクレームが来たのだ。 #世の中だいたいそんなかんじ
地鎮祭で降神の儀をやったのに昇神の儀をやらずに帰ってきちゃったのだ。
神社の社殿を立てようと思ったら、街中にポツンとあるようなお宮でも3億はかかるのだ。宮大工さんは専門職だし、多くいらっしゃるわけではないから、これが相場なのだ。木造社殿は大体二百年くらいで改修したり建て替えを行うのだ。台風地震でどっかしらやられるので、いざと言う時の貯金も必要なのだ
上司に「知らない方に神界への門を開かれたっぽいのだ…」って言ったら「閉じとけ」とだけ言われたので、末社の前で「閉じてください」って手を合わせておいたのだ…
神社を存続するのにお金がかからないと思っている方は多いのだ。昔からそのままあるのだから、何もしなくてもそのままあると思っているのかもなのだ。 実際は維持管理する人間やお金があるから残っているわけで…
ちなみに扇風機にも紙垂をつけると清めの風発生装置になるし、首振り機能を使えばきちんと左右左で祓ってくれる全自動お祓いマシーンになるのだ…!
ちなみに今まで一番トンチキだったのが、自称卑弥呼の生まれ変わりを名乗る方が信者を引き連れて「ここに神はいない!!!!真の神を信じるものは私について来るがいい!!!」というようなことを叫びながら参道で凱旋していたことなのだ。