岸辺露伴の愛犬「バキン」の名は曲亭馬琴からか。『南総里見八犬伝』の作者だものね。ちなみに岸辺露伴の名の元とされる幸田露伴は、幼い頃から曲亭馬琴を耽読していて、作家として名を成してからは馬琴の作品を評論し、あるいは校訂して世に送り出すなどしている。 #岸辺露伴は動かない
#鎌倉殿の13人 で阿野全成が作った木製人形のモデルはこちらの出土品のようですね。両腕を後ろ手に縛られた形を丸彫りにして表しています。目や髪、髭、冠は墨で塗って表現し、胸から腹にかけて呪詛する相手の名を記しています。 kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/2…
この逸話を義時(何かありそうと伝える)と泰時(腹巻=鎧をつけてください)、それぞれに割り振ったんだな。そして #鎌倉殿の13人 の広元は「予感」で進言などしない、現実主義者でしたね。
オコゼには背ビレに毒針があり、刺されると強い痛みとともにその部位がパンパンに腫れ上がる。刺された場合は針を抜き、傷口をしっかりと洗い、温水につける(オコゼの毒は熱で分解されるため)。そしてすぐに病院へ行くこと。これは生きている個体でも死んでいても同じように注意が必要。 #舞いあがれ
万寿が成人し頼家となり、我が世の春を迎えた能員の抑えがたき欲望の渦に巻き込まれ、鎌倉殿の一族は崩壊してゆくのだから。今、仕留めよと天は示していたのよ。(実際は藍沢原にいたであろう能員を、ケガを理由に鎌倉に帰し、そこで訃報を聞き蒲殿を焚きつける役回りにする脚本の妙!) #鎌倉殿の13人
次郎三郎が今川氏真を倒したあの寝技は、信長仕込みなのね。信長の中の人(岡田准一さん)から仕込まれたなら、それは一級品の技よ!きっと。 #どうする家康
これはセクシャルマイノリティであってもなくても言えることなんだよね。 「私の人生に、何か言っていいのは私だけ。私の人生のしあわせを決めていいのは私だけ。」 #恋せぬふたり
源義高逃亡の手引きをしたのは大姫であったとされる。義高側近の海野幸氏を義高の身代わりとし、義高には女房の扮装をさせて、自らの侍女に取り囲ませて屋敷から抜け出させた。しかしその夜に事は露見、頼朝が追手をかけ、5日後に入間河原で捕まった。討ったのは堀親家の郎党・藤内光澄。#鎌倉殿の13人
1846年にオランダから将軍家へガラス製の花瓶が献上された。その時、割れないように緩衝材として乾燥させたクローバーの花が詰められていたことから「詰め草」、そして白い花であることから「シロツメクサ」と呼ばれるようになった。その後も輸入品とともに送られ、日本に帰化した。 #朝ドラらんまん
土屋長吉が一揆側に加担しながら、家康の危機には身を挺してこれを助ける。これは家康が勝鬘寺攻めで被弾した話と、『徳川実紀』に見える、上和田砦に攻め込んだ一揆方に属していた長吉(重治)が、主君である松平方の危機に意を翻して、一揆方と戦い討死した逸話を合わせたんだね。 #どうする家康
#拾われた男 最終回は泣いて、泣いて、笑って、泣いて、泣いて、泣いて。もう、どれくらい泣かされたか分からない。泣きすぎて語彙力がもうゼロ。とにかく面白かった。
舞ちゃんが入学まで1年待機していたのは、航空大学校では合格者を年4回に分けて入学させるため。合格後、6月、9月、12月、翌年の3月に入学することになるが、これは入学者の希望などを聞いた上で決定される。また訓練の進み具合により、あとからの入学時期が変更されることもある。 #舞いあがれ
今川氏真が人質交換に対して、狭い了見で使者である石川数正を斬るとか、人質を斬るといった「暗君」として描く一方、今川から家臣たちの心が離れることを食い止め、且つ氏真の面目も立つ選択を関口氏純夫婦に諭されそれを受け入れるというのも、氏真がただの暗君ではないことを示す。 #どうする家康
深津絵里さんの出演したCMは、1988年のJR東海「ホームタウン・エクスプレス Xmas篇」遠距離恋愛のカップルがクリスマスの夜に新幹線に乗って再会するストーリー(当時15歳)。よく「クリスマス・エクスプレス」と言われますが、そのシリーズは翌年の牧瀬里穂さんの出演したCMからですね。#カムカム
豊臣秀吉:勝新太郎 おね:八千草薫 淀殿:樋口可南子 徳川家康:津川雅彦 徳川秀忠:勝野洋 柳生宗矩:石橋蓮司 豊臣秀次:陣内孝則 石田三成:奥田瑛二 真田幸村:若林豪 大野治長:榎木孝明 浅野長政:林与一 松平忠輝:真田広之 大久保長安:金田龍之介 #独眼竜政宗 名優揃い!
畠山重忠を武蔵守に。秩父氏(畠山氏は支流)の惣領が代々受け継いできた武蔵国留守所惣検校職を召し上げる。武蔵守はあくまでも形ばかりの官職。惣検校職は在庁官人の長として、また武蔵国の国人たちを取りまとめる役目があり、国司の代官的役割といえど、その影響力は比べるべくもない。 #鎌倉殿の13人
陳和卿は山師的なところがあって、大仏再建には貢献したんだけど、褒美に貰った土地を巡って東大寺や重源と仲違いして京を飛び出し、あれほど嫌った頼朝の息子・実朝に「あなたは前世の師匠でした!」とかおべんちゃらで取り入って、宋渡りを進言して大船建造してるし。 #鎌倉殿の13人
『吾妻鏡』には、実朝が庭の梅を眺め 出でいなば主なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春をわするな と詠んだ。この歌は菅原道真の こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな を思わせることから、(主=実朝が戻らない)「不吉な歌」と記されている。そういえば共に右大臣… #鎌倉殿の13人
後鳥羽上皇は承久元年の内裏焼失によって累代の御物を失ってしまったことはかなりショックだったようで、事件後ひと月あまり寝込んでしまう。平家滅亡のおりに失われた神剣(草薙剣)のこともあり、内裏と御物・霊物の焼失は上皇にさらなる劣等感をもたせたのではないだろうか。 #鎌倉殿の13人
世間の声をきけ 視聴率に頼るな 目を離すな 何をして欲しいか 世間が教えてくれる 視聴者の幸せそうな顔を思い浮かべ 面白うなれ 面白うなれ 面白うなれ その気持ちは脚本にのりうつる うんと面白うなってくれる 面白え作品ができあがる ハッ!
やはり犯行に使用された自作銃を図解してくるマスコミが出てきた。確かに調べればネットには作り方が出てくる時代。でもそれは積極的に探さなせれば目にすることはない。テレビなど誰でも触れられるメディアで略図であれ見せるものではない。取材したからといって何でも出せばいいってもんではない。
公暁は通称「悪別当」。「悪」は「悪い」ではなく「強い」の意味があったことは、ご存知の通り。公暁が自ら「悪僧」と言っていたが、相当強かったのね。 #鎌倉殿の13人
「お方様。茄子が採れました!」 「卵がたくさんに取れましたので」 「お方様、こんな丸い石は珍しゅうございます」 家康家臣団はドーラ一家の面々か! (と、いうことは瀬名はシータか!) #どうする家康
大窪さんの口から「勝海舟」の名がさらりと出てくる。大窪のモデル・大久保三郎の父は、最後まで幕府を支え続け、明治に入ってから東京府知事などを務めた大久保一翁。勝海舟の恩人とも言うべき人物。実は息子・三郎の身の振り方を勝に相談して、就職先を斡旋してもらっている。 #朝ドラらんまん
この「はちきん」を地でいく楠野喜江、モデルは「民権おばさん」こと楠瀬喜多。夫の楠瀬実が明治7年に死亡、子がなかったので喜多が戸主となり税金を納めていた。ところが明治11年の選挙で納税者にもかかわらず、女性を理由に選挙権が与えられなかったことから民権運動をはじめる。 #朝ドラらんまん twitter.com/asadora_nhk/st…