足柄(個人の感想です)(@asigaranyanko)さんの人気ツイート(リツイート順)

私のTLでは、大学のオンライン授業化で親が授業を見てあれこれ言うことが話題だ。親が授業の資料や課題をSNSで晒すことの問題(著作権とか)や、場としての大学の機能の再発見など興味深い。今の親世代は90年代に大学生活を送った人が多いだろうから、大学教育が当時と違ってることを知る機会とも。
オンライン授業が始まっているが、今のところ弊学のサーバーは耐えている。落ちることを懸念して一部教職員が固唾を飲んで見守っていた。むしろ崩れかかっているのは人間をサポートする側。教員からも学生からも、つながりません、ファイル開けません、書き込みできませんの嵐。ほとんどは設定ミス。
これは上部が突っぱねるべきクレームではないか。そういう判断をするのが上部だろうに。 twitter.com/videocleaners/…
私、異例の速さで教授になったけど、あれ実はたまたま学科の教授が相次いで定年退職したため教授の数が学科の設置基準を満たさなくなったので、誰か昇任させなきゃならん状態だったからだよ。ちょうど単著出したところだったし学会賞も取ったから、コイツなら格好がつくべ、みたいな。
ちなみにいま上げたのは現代ではなく20世紀初頭の話。でも今でも形は違えど似たようなことはあるよね。
@petty_bonitas リケジョに40過ぎの研究者は含まれるか問題。
先日、ムスメが「初めてのオンライン授業〜」と部屋に引っ込んでから15分で出てきた。「いつもの年は初回にグダグタ喋っただけで終わってたんだろうね。内容なかったわ。こっちは勉強する気でアクセスしたのに。」とブツブツ。オンライン授業って大学の中身が家族に即時ダダ漏れ。
後期からの授業をどうするか、いま全国の大学が中で熾烈なバトルを繰り広げていると思われる。そんな時に大きな後押し(もしくは障害)になるのが保護者の声。「対面授業を再開して子供が感染したら、大学はどう責任をとるんですか?」この電話一本で神経質な大学は全面オンラインになる可能性が高い。
現代アメリカ社会の肺炎やインフルエンザをめぐる反応を横目で見ながら1920年代のアメリカの公衆衛生対策の史料を読んでいると、隔世の感とはこのことかぁとしみじみする。1920年代はいくら専門家が旗振っても議員は(法律あるけど)予算つけないし、住民は病気はかかって治ればいいんだよ状態。
「河を渡っている途中で馬を変えるな」というアメリカの格言、まさにこれでフランクリン・ローズヴェルトは異例の大統領選4選を果たした。(その後憲法修正で2期までに制限。)3期目はニューディール、4期目は第二次世界大戦という河。分極化する社会を統合するものは危機の実感だ。
実は北海道には「ここはジェンダー圧力が低いんだぜ低いよな低いと言え」という圧力がある。東京に来るたびに子供を抱いたりベビーカーを押したりしている父親がたくさんいて、北海道だとほとんど見ない光景だなと思ってた。(全くいないとは言ってない。) twitter.com/oxomckoe/statu…
その昔、私の師匠は「自分の研究テーマと違っても耳学問のために研究会に出なさい」「そこで必ず一つは質問しなさい」と言った。院生だった私は、いやいや全然関係ないしー質問するにも全くわからんしーと思っていた。でも師匠のアルカイックスマイルが怖いので参加して質問した。
伝染病(あえてこう書くけど)に関してこの100年で一番変わったのは、人々が病気は防げるもの、防ぐのが公共に対する責任、と考えるようになったことだな。この発想は1920年代には公衆衛生専門家にしか見られないもんね。
CNNのリポーターは釈放されたとのこと。拘束中は丁寧に扱われた、拘束の理由説明も謝罪も彼個人にはなかったが、上層部にはあったかもしれない。自分たちの拘束の状況を中継できたことは僥倖だった、これがリアルで起きたということを誰も疑えない、と。 twitter.com/CNN/status/126…
ビスケット王先生解雇の件、内部情報漏洩が原因かと報道されているけど(これだって「モノは言いよう」感が強いが)、学期の途中で授業を担当している教員を解雇するって例外中の例外で、学生の教育を受ける権利をどうすんの感が強い。理事会が丁寧に説明しなきゃならんが、そうでもなさそうだし。
研究時間を捻出するために研究機関(笑)をやめるってアイロニーだな。やめたら研究資源も無くなるからやめられんけど。何が「教員にも汗をかいてもらう」だよもう絞ってもでねーよクソが。
理事長。オンライン授業対応チームに特別手当ください。この1ヶ月半の仕事量はすでに平年の1年分の事務作業量を超えます。しかもこれは新規作業分だけのもので、通常の事務作業はそれとは別に普通にあります。
公衆衛生は、個人を対象とする医療と重なる部分は大きいけど、基本的に「コミュニティの健康」を考えるものだから、コミュニティを優先して個人に不利益を及ぼすこともありうる。だから安全と人権の間でさまざまな緊張がはしる。