麻布競馬場(@63cities)さんの人気ツイート(新しい順)

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イナダシュンスケさんの「スープカレー椀盛論」面白すぎる こういう知的体系を持った人間になりたい
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独身男性がスパイスカレーみたいな手間のかかる料理をやり始めるのは結婚や転勤で遊んでくれる友達が続々と減ってゆくので時間のかかる趣味で孤独な時間を潰さないと気が狂いそうになるためで彼らにとって料理は「赤ちゃん」「子育て」と同義だし本音としては「助けて」ということなんだよな
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神保町のワインバーで隣の女の子に絡んでた男が酔っ払って赤ワインのグラス倒して女の子にビチャビチャに赤ワインぶっかけた直後に「アッ僕丸紅なんですけど…」って名刺出したのかなりよかったな おれはこういうのが見たくて東京に家賃払ってんだよ
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「私がなんで怒ってるか分かる?」「怒ることで相手に申し訳無さを感じさせて優位に立ちたいから…?」
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地方から東京の大学に出てきて東京の会社に就職するもメンタルやってしまい県人会で仲良くなったおじさんに紹介された後継ぎのいない地元の名産屋かなんかを継いだ友達がFacebookでロクにいいねのつかない地元アゲ投稿を続けてるのを見ると「正しい選択肢だったと自分に言い聞かせてる感」が出てて辛い
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Tinderの「顔は仲良くなってから」ってやつ平安時代と同じ仕組みで風情があるな
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ネモフィラ見に行ってる人がインスタで「モルヒネきれい!」って書いててよかった
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「作品に罪はない論」は「昔自分をいじめていた人が大人になって地元のテレビ局のアナウンサーとして家のテレビに映ったのを見て過呼吸になった」という友達の話を聞いてからあんまり乗っかれなくなった 論と事象との間に直接的なつながりはないかもだけど人の罪とその被害の苦しみは消えないって話
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私?変わりましたよ。自分のありのままを肯定してあげられるようになったんですよ。他人なんて羨ましくないし、這い上がろうとする人を、必死だなぁ、って笑えるんですよ。地価がじわじわと下がるこの街で、彼女がじわじわと破滅してゆくのを、汚い水たまりの中に立って、楽しく眺めているんですよ。
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昔、ウユニ塩湖に行ったんですよ。高校のとき「ウユニ塩湖行ったら人生変わった」って、クラスの子が夏休み明け、興奮気味に言ってて、それで、バイト代こつこつ貯めて、どうにか辿り着いたウユニ塩湖は、大きな水たまりみたいで、二分も経たずに飽きちゃったんです。人生は、何も変わらないままです。
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家を買ったんです。自由が丘の、目黒通り沿いの中古マンション。築年は古いけど、中はオシャレにリノベしてるんですよ。僕の人生みたいでしょう?表面だけピカピカに見えて、白い外壁は黒ずみ、鉄骨はじゅくじゅくと朽ちてゆく。瞬きする蛍光灯。妙に明るくて薄ら寒い、共用廊下みたいな僕の人生。
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昔は寿司屋やるってなると職人さんがお金貯めて自前開業が多かったけど最近はお金持ってるおじさんがお気に入りの職人さん捕まえて2,000万ポンと出してお店作って握らせる経営と執行の分離みたいなのが流行ってるおかげで若い職人さんの独立が増えたらしい(それを独立と呼ぶのか怪しいけど)
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かわいい顔に生まれて小中高常時スクールカースト上位にいて指定校で慶應商学部に入ってアメフト部やNY高生と遊んでミスコンにも出てアナウンサーになった女の子が出した「女の生きづらさ」に関する本を早稲田卒リクルートでビジネスゴリラとして生きるアラサー喪女が朗読する現代アート
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みんなで生きましょう。死なず、死なせないようにしましょう。苦しみの中でこそ、他人の苦しみを思い、助け合いましょう。先生も、これから努力してゆきますから。お話は以上です。卒業おめでとう。
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人を思うことを恐れないでください。自分なんて、と思わないでください。年収何千万とか、フェラーリに乗っているとか、偉そうな人にも必ずその人だけの地獄の苦しみがあります。だからこそ強がっているのです。そんな人たちにも恐れず優しくしてあげてください。もちろん、明らかに弱っている人にも。
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誰もが苦しみながら生きています。死なないでください。そして同じように苦しむ人たちを思い、ビートルズを聴かせてあげてください。私の母は父からモラハラを受けていました。短大卒のお前が何を偉そうに子供を教育しているのかと、よく馬鹿にされ、それでも彼女は、車でビートルズを流しました。
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人の不幸を想像できる人になってください。先生はこんなこと言える立場にありません。先生にはそれができなくて、自分だけが苦しい人生を歩んでいて、人を見下す権利があると思っていたクソ野郎だからです。でも、それでも言いたいのです。母が母なりに私の未来を思い、ビートルズを聴かせたように。
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東京に出た先生に不幸があったように、地元に残り、駅前のマックで怪盗ロワイヤルの話をしながら氷を噛んでいた同級生たちにも不幸があったかもしれません。もしかすると袴を履いたヤンキーたちにも。もしかすると君たち自身にも。すべての人には、その人だけの見えない地獄があるものです。
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人生のあらゆるところに、あらゆる街に、不幸はみんなを殴るための棒を持って潜んでいますし、不幸に殴られたとき、だいたいの場合それは自分のせいだったりします。自分で招いた不幸に殴られ傷つくなんて!耐えられなくなって、死にたくなることもあると思います。それでも生きてゆくしかないのです。
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そして先生は東京から転落しました。先生には特別な価値なんてものはなくて、ただ人を見下し、それでいて見下し続けるだけの努力も能力もなく、すぐにその薄っぺらい自信をひっくり返されて、今度は地面に這いつくばった自分が見下され笑われることの繰り返しで構成される惨めな人生だけが残りました。
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たぶん先生は、自分は特別な人間だと思っていたのです。東京で生まれた人が東京で何となく生きるのとは難易度の違う人生を、先生は自分の力で生き抜き、そして自分の力で東京に辿り着いたのだと思っていたのです。先生にとって東京は特別な場所でした。自分の特別な価値を証明してくれる、特別な場所。
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研修を一通りやって、先生は本社のグローバルマーケティング部門を希望していました。配属は僻地の工場の総務人事。最悪です。縁もゆかりもない北陸のその街は、ゾッとするほどにこの街と似ていました。イオンとドンキ。パチンコと風俗。どこまでも続くように感じられる、長い長い灰色の国道143号線。
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先生は違うと思っていました。先生は先祖代々続いてきた怠惰と無能の鎖をまさしく自分の力で引きちぎり、一族で初めて東京に出て、そこで成功して、二度とこの街に戻ってこないんだと、そう信じていました。帰りの新幹線。東京駅のホームから丸の内の端正な街並みが見えたときの、あのときの気持ち。
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成人式で地元に帰って愕然としました。もうこの街に先生の居場所はないし、いたくもないなと思いました。ヤンキーは相変わらずヤンキーのまま偉そうにしていたし、岡大に通う元同級生たちは、久々に会った僕を駅前のマックに連れて行って、怪盗ロワイヤルなんかの話を延々としていました。
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子供を育てるというのは大変なことです。質量保存の法則みたいなもので、自分が与えられてきたものしか子供に与えられないものです。親から少女漫画しか与えられてこなかった母は、子供を東京の大学に入れる方法なんて知らなかったのです。そこで母が苦し紛れに買ったのがビートルズのCDだったのです。