1951
渡邊哲也氏によると、朝日新聞と高野連が呼び掛けた1億円のクラウドファンディングは達成率わずか13・9%。朝日の社員も支援しなかったらしい。
1952
「眞子さま、年内にも結婚の方向で調整」の報に小野寺まさはる氏が「『借金を踏み倒した逃亡者』と書かれる人間が将来、天皇陛下の義理の兄になる可能性が極めて高い。情けないにも程がある」。恐れながら父である秋篠宮殿下の責任は重大。皇室に対する国民の尊崇の念を大きく損なう可能性あり。
1953
アエラ・ドットコムによると、尾見茂氏が理事長を務める公的病院のコロナ病床は30〜50%も空いている。なのに132億円もの補助金を受け取っている。丸っ切りぼったくり。いつも偉そうなことばかり言って、国民に説教垂れているが、実態はこんなもの。分科会会長など辞めさせるべき。
1954
篠原常一郎氏によると、今日の菅首相と二階幹事長の会談で、石破茂氏を後任の幹事長に起用する方向が確認されたという。条件は総裁選に出ないこと。また官房長官には萩生田氏と河野太郎氏の名前が上がっているという。
1955
河野大臣が自分の部下でもないエネ庁次長に「日本語分かる奴出せ」と怒鳴ったというが、公務員の働き方改革担当相の資格なし。そんなパワハラ政治家を菅首相は内閣改造でさらに重要ポストに起用しようとしているらしい。小泉進次郎氏といい、菅氏の人を見る目には大いに疑問がある。
1956
中国専門家が「日本には台湾海峡に介入する力も勇気もない」。これに台湾軍事ニュースネットが「分かりやすい人たちだ。よほど日本の台湾防衛が気になるらしい。何しろ人民解放軍は建軍以来1度も海戦をやったことがないから、太平洋で米軍と戦った日本が怖いということだ」。その通り。怖いぞー。
1957
米下院のペロシ議長がアフガンで自爆テロに巻き込まれ死亡した13人の兵士の名前の読み上げを拒否。軍人にリスペクトしないペロシ議長に共和党は激怒。兵士のご遺体を空港で出迎えたバイデン大統領もしきりと時計を見るなど気もそぞろだったらしい。こんな政権のために死ぬ兵士が可哀想。
1958
小室親子には借金踏み倒しのほか、遺族年金不正受給や休職傷病手当詐取などの疑惑があります。また家系には反社の人間が含まれます。一般人でもこんなヤバい家に娘を嫁には出しません。これでは国民の心は皇室からどんどん離れていくでしょう。まさに皇統の危機です。宮内庁長官は万死に値する。
1959
西浦博氏が「オリパラが感染拡大につながっていないと発言している人は恥ずかしくないのでしょうか?」。五輪期間中、人流は減っていることが確認されている。実効再生産数も減少に転じて、パラ中の今も減り続けている。データに基づかず主観的な感想を言うだけなら、今すぐ学者など辞めた方がいい。
1960
菅首相がクビにすると通告したはずの二階幹事長とまた会談。辞める人と何を相談するの?小泉進次郎氏と4日も連続して会うなんて、他に相談相手すらいないの?切羽詰まってどうしていいのか分からないんだろう。なら惨敗必至の総裁選などに出ず、潔く退陣表明すれば。見苦しいし、情けない。
1961
総裁選には岸田氏のほか高市早苗氏も出る。石破氏は分からない。いずれにしても、高市氏は党員・党友対象の1回目投票で圧勝しない限り、同氏が決選投票で勝つ可能性はない。岸田氏の当選で事実上決まりだろう。
1962
元々、安倍前首相の急病に伴う1年間のピンチヒッターだったのだから、辞めることに違和感はない。というより、実力以上のことを望むのは酷というもの。コロナ禍の下でよく頑張ったというべきだろう。本当にお疲れ様でした。
1963
私は個人的には高市氏推しであることは以前にも書いている。ただ客観情勢は、派閥の締め付けが再び強まっている現状を見れば、岸田氏有利の情勢は動かない。まして高市氏以外にも河野、石破、小泉各氏も出馬となると票がばらけて、高市氏唯一の勝機である1回目投票での圧勝の可能性はもうない。
1964
自民党総裁選で河野太郎氏が当選し、小泉進次郎氏との「河野進次郎政権」と心配する向きがありますが、まずあり得ません。河野氏は派閥長の麻生太郎氏に挨拶に行き、「賛成もしないけど反対もしない」と言われた。これは不快感の表明です。「じゃ出ます」ではほぼ喧嘩別れ。派閥の支援はありません。
1965
小泉環境相が菅首相退任で「こんなに仕事をした政権が、正当な評価を受けていない」と思わず涙。正当な評価を受けていないかどうかは別にして、国のトップリーダーを目指す者がこんな場面で泣いてはいけない、進次郎。
1966
高市早苗氏が「総理になって靖国参拝どうします?」と聞かれ、「1人の日本人として役職に関わらず靖国参拝を続けてきた。決して外交問題ではない」。素晴らしい!高市さんは知名度がイマイチ。どんどんテレビに露出してこういう発言を続けて下さい。“本命”の岸田氏と差別化を図るにはこれが一番有効。
1967
リトアニアの駐北京大使が中国を離れ帰国した。外交姿勢を劇的に変えた同国は中国主導の「17+1」からの離脱を表明、他の国々も中国と距離を置き始めた。直接のきっかけは中国政府のウイグル人弾圧。中国はドミノ現象になることを極度に警戒していると宮崎正弘氏。人口280万人の小国でも存在感。
1968
自民党総裁選が混戦模様。岸田は自派と細田、麻生両派の支援を当てにしていたが、河野の出馬と安倍が高市支援の意向を示したことで、両派の全面支援はなくなった。石破も含め4人の争いになら、1回目投票で2位までに入るのは非常に難しい。候補者討論会などでの発言が勝敗を大きく左右するだろう。
1969
河野は人気は高いがスタンドプレーが目立ち、またエネ問題などの基本政策に反感。世代交代を求める声とどちらが強いか。高市は単独では“泡沫”だが、安倍の支援が強力な“ブースター”になるか。岸田は“二階おろし”までは良かったが、「モリトモ桜」への言及が余計。これで安倍がそっぽを向いた。不用意。
1970
岸田氏がTBSの番組でモリトモ問題で「さらなる説明を」と発言したのは大チョンボ。安倍氏がこれで高市支持を打ち出した可能性がある。岸田氏はもしかしたら“大魚”を逃したかも知れない。いずれにせよ自民党総裁選は大混戦に突入。
1971
立憲・枝野氏が「菅総理が突然、総裁選に出馬しないと発表。自民党の透視能力の欠如を痛感します」。君に透視能力があるのなら、菅続投の工作でもすれば良かったじゃないか?素直に菅総理が辞めて残念。菅さんと戦いたかったと言えば、同乗論も出るのに。全て振り出しに戻った。容共政権はもうない。
1972
自民党総裁選はこの一両日で情勢が激変。トップを走っていた岸田氏が想像以上にリベラルということが分かり、安倍、麻生両氏が岸田支持を外した。逆に安倍氏が高市支持を公言、麻生氏も同氏を高く評価し、現状では高市氏がトップ。高市、岸田両氏による決選投票が予想される。注目の河野氏は反発も多い
1973
ちょっと気が早いかもしれないが、衆院選は菅首相が二階幹事長とともに辞めることで自民党としては最悪の事態を脱した。これは菅氏の大きな功績。もし高市早苗氏が後任として女性初の宰相になれば、同党は現状の276議席くらいまで戻す可能性が出てくる。
1974
夕刊フジによると、細田派幹部は「安倍氏は、今回の総裁選について『派閥で行動は縛らない方がいい』『複数の総裁選とすべきだ』『私は女性でビジョンがしっかりした高市早苗さんを支持するつもりだ』と主張していた」。よし!百万人の力を得た!
1975
闇のクマさんが「著名人たちが一気に高市推しで動き始めた。夢みたいな状況で嬉しい。ホント嬉しい。もう嬉し頭でツイートが読めん」。クマさん、まだ早い。左の連中のしつこさ、周到さは尋常ではない。脇をしっかり固めて頑張ろう!ところで1度番組に来ない?気勢を上げよう。