1926
邦人らを救出するための自衛隊機派遣はもう数日早ければと思わざるを得ない。大使館員は英軍機でさっさと逃げたが、やはり残って邦人らを国外に脱出させてから退避すべきだった。在外邦人の命を守るのは外交官の最も重要な任務のはず。
1927
高市早苗氏が「憲法9条を改正して自衛隊を『国防軍』に」「中国や北朝鮮は国防上のリスク」「敵国の基地を攻撃する法律が必要」「中国など海外への技術流出を防ぐ法整備を」。何か安倍前首相を彷彿とさせるなあ。やはり高市しかない。
1928
高市早苗氏が「中国政府によるウイグルでの人権侵害について国会で非難決議を行うべきだ。ミャンマーに対してできて、中国に対して行わないのは、国際社会から日本は人権侵害に全く関心がないのかと見られかねない」。その通り!ついでに二階幹事長を更迭しよう!
1929
新潟県湯沢町で開かれていた「フジロック」に経産省が1億5000万円もの補助金を出すと聞いて、ちょっと驚いた。額もそうだが、このフジロック、日本を愚弄する内容のフェスタだったらしい。そもそもロックを気取る者が政府からカネをもらうなんて、ちょっとダサくないか?
1930
門田隆将氏が高市早苗氏の「日本では特許を取ると公開されることになるので、日本の技術が海外の軍に使われることもある。一定の分野に関しては“秘密特許”を作りたい。“スパイ防止法”というよりは“経済安全保障包括法”を作らないといけない」発言に注目。中国に毅然と対峙する稀有な政治家の登場と評価
1931
医療逼迫に関して上昌広氏が「尾見氏よ、自身の天下り病院の3000床を直ちにコロナ患者に開放せよ」。尾見氏が理事長をしている地域医療機能推進機構は社会保険病院や厚生年金病院の後継機関で、発足時に土地・建物が無償提供されるなど、巨額の税金を投入され「今こそ世の役に立つべきだ」と主張。
1932
立憲・福山幹事長がアフガンからの帰還、「なぜ1人なのか。ロシア、韓国、EUは数百人規模」。正確には「邦人1人とアフガン人10数人」。では聞くが、共産のように自衛隊派遣反対を言わなかったか?行った自衛隊員には何の瑕疵もない。問題はいち早く逃げ出した大使館員。文句は外務省に言ってくれ。
1933
坂東忠信氏によると、23日から3日間官房長官会見に出ていたTBSの記者が26日午前、「俺味覚なくなったんだけども薬飲んだら治った」と口走った事から発覚。その後姿を消してPCRで陽性と判明。当時、会見室と記者クラブにいた全員と官房長官と秘書官の検査が必要。TBSは会見して詳細報告すべし。
1934
立憲・福山幹事長がアフガンでの退避作戦について「なぜわずか1人なのか」と語ったことが大きな波紋を呼んでいる。そもそも事実関係が間違っている。27日までに自衛隊機が運んだのは邦人1人とアフガン人14人の計15人。しかも当時6人いた邦人の残りは残留を強く望んだと言われている。
1935
竹内久美子氏が「女性宮家が危険なのは、例えば眞子内親王が宮家の当主となり、お相手のK氏が殿下に、生まれたお子さんが天皇になる可能性を秘めた危険な制度。その天皇は皇室の方ではなくK家の方。女系天皇です。こうして皇室が滅び、K王朝が始まります」。つまり日本の終わりです。
1936
「街中に増えているハングルどう思う?」とあったが、駅や電車の中も韓国語や中国語の表示が溢れ、肝心の日本語が非常に分かりづらい。その点、東海道新幹線は日本語と英語(ローマ字)だけですっきりしている。これで困る人がいるとは聞いたことがない。
1937
立憲・福山氏はアフガンの退避作戦について「なぜわずか1人なのか」と自衛隊を貶めるが、実際には数百人のJICA職員ら数百人が空港へ向かう直前だった。テロで足止めされたのが誠に残念。福山さん、自衛隊員が空港以外でも活動できるよう自衛隊法改正に尽力してくれたら今回の失言はなしにしてももいい
1938
TBS官房長官番のコロナ感染はその後、TBSから詳細の報告および謝罪がない。仲間内にだけ謝罪のメールがいっているようだが、首相官邸という政権中枢の部署ということを考えれば、それだけでは済むはずがない。責任者がきちんと正式に記者会見すべきだ。
1939
一色正春氏が「今になってアフガンから邦人がスムーズに避難できないと苦言を呈しておられる方々の多くが、政府が海外邦人救出のための法整備を行おうとした時に大反対していたことを私は知っている」。立憲と共産。
1940
「(高市早苗推しの)最大のものは国家観。中国と毅然と対峙しなければ日本人の未来が無惨なものになる事は明らか。総裁候補の中で本気で中国と向き合い、更に人権問題で対峙できるのは氏だけ。ネットでの圧倒的人気がそれを物語る」と門田隆将氏。菅首相はもちろん、岸田氏でも無理。
1941
小泉進次郎氏が「これは戦争だ。首相を支え切って、負けたら蟄居だ」と菅首相の再選に全力を尽くす構え。こういうイチかバチかというところは父親そっくり。はっきりしない河野太郎氏より分かりやすい。しかし国家の基本のエネ問題であれだけ間違うと、首相とともに沈んでもらうのが日本のため。
1942
カブールが陥落した直後、日本大使館員は現地職員を置き去りにしてさっさと逃げ出し、救出作戦にも失敗。韓国紙が「カブールの恥辱」と批判した。英国大使は留まってアフガン人協力者のビザを出し続けたというのに。イラクで凶弾に倒れた外交官・奥克彦はふがいのない後輩に涙しているはずと産経抄。
1943
「日本国憲法は自衛隊は軍隊ではないから、アフガン救出で空港外にいる邦人を退避させられない」。信じられないがこれが現実。これでは自衛隊は日本国民の命を守れない。この際、憲法を改正し、正式な国軍にしよう!それができるリーダーを総理にしなければならない。
1944
タリバンが人気歌手を殺害。「イスラムにおいて音楽や楽器は禁止。鳥の鳴き声も違法」とか。これで女性の人権など守られる訳がない。それにしても、「鳥の鳴き声」が何で違法なんだ?
1945
石平氏が「石垣市の尖閣標柱に日本政府が弱腰。上陸申請めぐり“中国に屈した”発言も。中国の反応など考慮する必要はない」。これまた外務省。なぜ固有の領土に標柱を立てるのに、他国に遠慮しなければならないのか?総理、外相、官房長官、何とか言え!
1946
共産党が「なにより、いのち。ぶれずに、つらぬく、日本共産党」が総選挙のキャッチフレーズとか。ならどうしてアフガンに残された邦人らを救出に行った自衛隊に反対したの?人の命なんかどうでもいいんでしょ?またパラアスリートの文字通り“命を懸けた舞台”をどうして奪おうとするの?理解不能。
1947
朝日がどうしても自衛隊を貶めたいらしく「アフガン派遣の自衛隊撤収へ。退避できたのは日本人1人」。他に14人のアフガン人もいたし、空港直前のテロでたどり着けなかった現地スタッフも大勢いた。それもこれも大使館員がさっさと逃げ出したのが原因。派遣された自衛隊には何の瑕疵ももない。
1948
岸田氏が総裁選出馬の最大の目玉とした「二階切り」のインパクトを菅首相が奪う形となった。これが総裁選のダイナミズムというものだろう。菅氏を推している安倍、麻生両氏も二階氏交代を求めていた。後任の幹事長には既に甘利明氏(麻生派)の名前が上がっているという。
1949
東京・望月いそこ氏が「なぜ撤収なのか。日本政府と関係のあるアフガン人は皆殺されかねない。救うべきだ」。今頃、よくそんなこと言えるね。お仲間の立憲と共産は自衛隊派遣に反対していたぞ。東京新聞も「一刻も早く自衛隊を派遣せよ」と書いたか?あと1日早く現地に入っていたら皆救えた。
1950
「外務省の失態は本当に情けない。カブール制圧時に日本の岡田隆大使は現地に不在。残る日本大使館員は英軍機で国外脱出。アフガン人職員らを伴わずに。日本政府はしっかり事実関係を調べ公表すべき」。英国の大使はビザにサインするため、防弾チョッキを着て現地に残っていた。