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粘土はコネコネしてるだけで気持ちいいですよね。何かを作らなくてもいい。ただコネコネしてるだけでいい。そんな時間をもっと作りたい。
でも学校には「評価圧力」があって、例えば数少ない図画工作の時間で評価するためには「作品」を作らせないといけない。すべての活動が評価するための素材になる
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「今日の給食に出てくるマーガリンは毒なので食べません」と申し出た子どもがいた。嫌いな食べ物を無理矢理に食べさせる指導は元々していないので、その子は食べなかったのだが、周りの子はその言葉に動揺していた。
僕は学校給食の高い安全性を信用している。そして食に関する指導の主戦場は家庭だ。
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昨日、僕が書いた本が発売されました!
「居心地の悪くないクラスづくり」という本です。
子どもたちの登校ハードルを少しでも下げたいとね考えたら僕の実践です!
「まえがき」載せます!
もし良ければ読んでください!
note.com/megane654321/n…
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「叱らない」先生になるためには必要な素地がある。それは子どもたちに「好かれている」ことである。なぜなら、子どもは「自分が好きな先生」の前で「良くないこと」をしたくないものだからだ。自然と「叱る」場面は少なくなる。ちなみに、子どもたちに好かれる一番大切なことは「丁寧に関わる」だ。
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一人一台パソコンで授業中に「鬼滅の刃」を調べている子がいたので、そっと近づくと「何もしてないよ!」と学習アプリを開いて、画面を切り替えたので、これは慣れてるなと思ったので「うんうん、実はブラウザには履歴というものがあってだな」と【履歴の消し方】まで教えておいた!これでバレないね!
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ちなみに、ここまで親切に教えると、次の授業からは「先生を裏切りたく無い」という思いが子ども側で勝手に起動してくれるから、二度としなくなる。
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「教育実践」をできていない先生が多い。そういう先生は「先生ごっこ」をしてる。「先生ってこんな感じだよね」「隣のクラスはこんな感じだよね」「私の子供の頃はこんな授業だったよね」。これらは全部「おままごと」の延長線上である。「自分の言葉で語れるか」。教育実践はここに尽きると思う。
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「叱る」という行為を「子どもが泣くまで」をワンセットだと考えている教員の思考が怖い。大の大人が、小さな子どもを「泣かせようとしている」なんて虐待だろう。「泣く」が反省の表出だと思っているならそれは大間違いで、当然、泣かなくても人は反省はできる。その先生も泣かされてきたのかな。
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民間の人は驚くかもしれないが、学校には年度末に教職員に対して「次年度の希望学年」を調査して、それを「人事に反映させる」という文化がある。そして「人気のない学年」が出てきたときに「異動してきた教員」をそこに当てはめるということもよくなされる。異動予定のワイはガクガク震えている。
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「良くないことは友達同士で注意しよう」というのはよくある指導だけど、「相手の気分を害することの無い注意」というのは非常に高度なスキルであり、それは大人でもできない人が多い。結局「相手に良くなってもらいたい」よりも「私が注意したい」思いが先行して、相手を責め立てるという構図になる
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「一致団結」とか「One for all , All for one」とかを目標にしちゃってるクラスの方が、いじめは多い。だって、その目標を阻害しているマイノリティへの圧力が強まるのだから。たまたま、同じ年度に生まれた子どもたちが「ひとつ」になんてなれないし、無理矢理にしたら、歪みが生じるのである。
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卒業式は小学校で行われる行事の中でも特に「式典」という要素が強い行事である。「冠婚葬祭での振る舞い方」を学ぶ機会は人生では少ないので、しっかりと学ばせたい。
しかし、このことを分かっていない先生の指導では子どものたちの「緩みや弛み」が目立つ。式典は「普段の生活の延長線上」では無い
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「どうして勉強するの?」という質問に対して「子どもでも納得できる答え」を用意するのは良くない、という考えを知って、教育への見え方が変わった。教育とは「それを学ぶまでその価値には気づけない」という構造を持っている。間違っても「いい大学へ行くためよ」なんて学校の先生は言ってはいけない
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忘れ物を執拗に叱る教員だって、あれを「子どもの自己責任」だと思っているからだよね。でも果たして「子どもの忘れ物」は「自己責任」なのでしょうか。「保護者」とか「家庭」とか「環境」とか、子どもでは「どうしようもない要因」に忘れ物が誘発されていると少しでも考えられたら、あれだけ叱れない
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僕の学級経営のコツは「自分がご機嫌である」ということに尽きる。だって担任の先生が「不機嫌」だと、子どもたちだって嫌でしょ。「人が不機嫌なときにする選択はほとんど間違える」という言葉も大好き。つまりは、そういうことなんだよね。でも、学校の先生って自分に厳しいから、割と不機嫌なんだ。
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めがね旦那の妻が作った「新年度やることリスト」を大公開!
僕とは性格が真逆のキッチリした性格の妻が「新年度が不安な小学校教員」に送ります!
#新年度に向けて
#Twitter新任研
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新任の頃は、新人指導担当の厳しい指導が辛すぎて毎日「仕事の辞め方」を調べていた僕。「なんでこうなるまで言わなかったの?!」とすごい剣幕で言われても「どの程度で相談したらいいか」なんてわからないんです。毎日23時過ぎまで残業しても終わる気がしない仕事量の中で、心を麻痺させるしかなかった
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僕は子どもを「あだ名」では決して呼ばない。それは「あだ名で呼ぶ子」と「呼ばれない子」の線引きが持つ意味を知っているからだ。そもそも先生が子どもを「あだ名で呼ぶ」ということには「人権侵害である」という認識もある。その辺の感覚は鈍感になりたくない。
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これは何度でも言うけども、「教育目標」という言葉自体が、工場における「生産目標」からの造語である。「子ども全員が達成できるような目標」という考え方自体が、かなりの「工場的な」考えなのだ。
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小学校教員のみなさま
【5分以上の生活指導はロジカル・ハラスメント】ですよ
「伝えたいことは30秒あれば伝えられる」とは過去の偉大なる教育実践家である斎藤喜博の言葉です。
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先日ドッジボールをしたときに「得意グループ」と「苦手グループ」に分けて行った。分けた基準は子どもたちの自己申告である。すると、双方のグループで満足度が高かったように見えた。男女で分けることは多いかもしれないが、ドッジボールの技能に性差はないはずだ。
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「注意ができない保護者」は増えたと感じる。同時に「他人の子供には不干渉」というマナーも社会に浸透した。結果的に、その差額をすべて学校が払う構造になっている。それを「教育ニーズの増大」と言い換えてもいい。学校の問題を学校だけで語っても答えなんてでないのだ。
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「先生だけ毎日、給食大盛りはおかしいと思います。先生だけ特別多くの給食費を払っているわけではないはずです。子どもたちと同じ適正量にしてください。」という保護者は、心が狭いのか正論なのか。この保護者が言うとおり、教員の給食費は子どもと同額なのだ。どう思いますか?