教職員共済にある【教職員賠償責任補償】より 教職員個人が負担するのは可哀想だということで【校長教頭で折半して払った】までは管理職本人から直接聞いたことがある kyousyokuin.or.jp/enjoy/column/h…
10代の後半という早い段階で学生を理系と文系に分けてしまうことのリスクとして「自分は文系だから理系はわからん」となってしまうことがある。理系か文系【だけ】でやっていけるほど社会はわかりやすくなってない。どちらにも関心は持つべきだし、ほとんどの人にとって【学問は広く浅く】が望ましい
DaiGoさんの件。みなさんの反論もセットで、人権という意識を高めるという意味では教材になったと思う。学校での人権教育はあくまで「そういうことは言わない方がいい」程度になってしまいがちで「言ったらどうなるか」までは想像が及びにくい。だから実際の若者の会話ではあのレベルの言動は割とある
出勤者の7割削減に一番効果的なのは「全国一斉学校休校」だよね。子どもの居場所がなくなれば、子を持つ保護者は家に残らざるを得なくなる。 何年か前にやってましたよね?いきなり。あのときよりも遥かに危機的状況だと思うのですが。
一斉休校をしないと文科省が判断したみたいです。各地域の実態に合わせて判断してくださいということです。 これは「主体性を尊重した器の大きい判断」では決してありません。「責任逃れ」です。GIGAは「一斉にさせる」くせに、休校など責任が問われそうなことは、「それぞれで判断して」なんてズルい
一斉休校に関して文科省が判断せずに、各教育委員会に休校の判断を任せるというのは間違っています。「各地域によって実態が違う」というのは「感染状況の話」でこれは「教育の話」では無いからです。高度に政治的な判断を各教育委員会に任せるなんておかしいでしょう。
フィンランドみたいに「塾なし、私立なし」にする。 高校までを義務教育にして地域の高校へ選抜なしで進学させる。 大学を高校のような位置づけにして、大学院を「真の高等教育の場」にする 新卒一括採用文化を無くして、就職によって人生が決定してしまうポイントを「遅らせ、かつ増やす」
「マスクは絶対に付けない」という強い思いがある家庭のお子さんが、別の学年の子どもに「ソーシャルディスタンス!」と、からかわれたことが辛くて学校に来れなくなってしまった 「マスクを付けない自由」と「感染拡大防止」 「親の考え」と「子どもの世界」 どこでバランスを取ればいいのか悩む
うちの学校は3年連続で「産休代替講師」が来ていません。だから3年連続で「教務主任」が担任を引き継いでいます これを聞いて「なんだ校内操作でやりくりできる」と思っていたら大間違い 「あと一人」誰かが休めば間違いなく詰みます。つまり「学校崩壊寸前」です そして、こんな学校だらけなのです
「もはや教育現場の実情に適合していないのではないか」と異例の指摘をした。教員の働き方改革や給与体系の見直しの必要性にも言及した。」 これが、教育公務員の働き方改革に一石を投じる動きになるといいな。 asahi.com/articles/ASPB1…
「なにか容れ物に入っていないと流れていってしまうものを【液体】と呼びます」というEテレのピタゴラスイッチの説明が好き。 子育てをしていると、このような「液体って何?」みたいな問をよく投げかけられる。5才児でもわかるように説明するスキルは、子どもたちの語彙力を増やすと信じてる。
保護者「私は、この子を家庭でしっかりと見ることができています。なのに、教育でお金をもらっている先生が私と同じくらいに見れないのはおかしいと思います!」 先生「えっと、お母さん、教室にはあなたのお子さん以外に39人の子どもたちがいましてね‥」
1年生の息子の算数を見ていたら湧いてきた疑問
妻の学校のいじめ案件について話を聞いた。この手の話を聞くと毎回感じるのが、担任の初動が遅すぎるということだ。いじめ行為が発現してからでは担任ができることはかなり限られてくる。その前兆の段階で動き出さないといけない。そのアンテナの感度が低い教員のクラスでは毎年イジメは発生する。
先日「子どもが登校したのに学校へ来ていない」という事案が発生した。両親と空きコマの先生数人で校区内を探して、2時間後に見つかったのだが、これは学校対応案件なのだろうかと疑問に思った。仮に誘拐案件だとしたら「初動捜査」が大切なのに、素人が2時間も捜索をしていていいのだろうか。
思い通りにならない子どもに「社会に出たらきっと困る」なんて言う先生がいるけどさ、学校よりも社会の方が器が大きいんだよね。社会には「様々な人の様々な居場所」はたくさんある。学校なんて「教室」に馴染めないだけで、もうそこには居られない。こんなの博打じゃないか。
九九を覚えていない子に【かけ算の筆算】をどう教えるのか。正解は「九九表を渡す」 算数は積み重ねの勉強なので、過去の「積み残し」があれば、その上に学習を積めなくなってしまう。積み残しには「個別支援」で下駄を履かせてあげないと、その子の学習権を奪うことになる 自己責任論は教育の放棄だ
僕は学級の子どもたちを「ガラス細工」を扱うように接する。壊れたガラスは元には戻らない。 「これくらい言ってやっても大丈夫だろう」と怒鳴りつけて、子どもの心を壊してしまう教員はあまりに多い。 壊した責任なんか取れやしないのに。
「かわいい我が子なら自宅で保育できるよね」って考えてる人は子育てしたことないと思うんだよな。子育てなんて「朝の数時間と夜の数時間と土日」で十分お腹いっぱいです。子どもの健全な発達と保護者のメンタルヘルスを考えたって「一日中一緒」は危険だお。
「教師は世間知らず」という言説にはあまり共感ができないけども、「教師は社会経済的地位(SES)が高い層が多い」から「SESが低い層の子どもに共感できない」という言説には納得せざるを得ない。自身の受けてきた教育をもって教育だと認識するのは危険である。そのバイアスを軽減するための教育社会学
「子どものたちの50m走のタイムを春と秋に測って、その伸びた差の部分を体育指導の成果として研究紀要にまとめよう」という先生が前にいたんだけど、彼には「発達」という概念が無かったのかなと思う。おそらく学校で見られる成果の内「指導による成果」よりも「発達による成果」の方が多いはず。
言いたいことは言わせてもらうけど、濃厚接触者の判断を学校がするようになって、陽性者が出るたびに管理職と担任が中心になって調査をするんだけど、その際には「当該学級は給食時に黙食だったかどうか」は大事な指標なんだよ。それ次第で濃厚接触者が爆増するんだよ。個人の思想の話じゃねえんだよ。
卒業式の校長先生の式辞がどうしてつまらないのか。それは「用意された原稿を読み上げているだけ」だからです 学校の先生の「自分の授業がつまらない」という悩みは、まさにこれなんです。子どもたちに「用意された答えを言わせてる」だけの授業なんです 授業の脱線話が一番面白いのはこれです 続く
「警察24時」があるなら「学校の先生24時」もあっていいと思う。絶対におもしろい。
学力低下が学校教育の質の低下だと思ってるなら、そんな「簡単な話」ではない。その視点に縛られたら「学力が高い学校の教師の質は総じて高い」となる。でも、そんなことは絶対にないはずだ。 子どもの学力に強い影響を与えているのは「家庭」である。大阪市の教育行政の方々は教育社会学を学ぼう。