昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(リツイート順)

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犬は優しい生き物です。かつてチワワを飼っていた時の話ですが、彼(チワワ)は私が子供を叱る時いつも子供の側に寄り添っていました。恐らく子供を守っていたのでしょう。そんな犬の優しさを描いたのがBriton Riviereの「Fidelity」(1869)。嘆き悲しむ主人にそっと寄り添う健気さが泣けてきます。
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音楽再生は今やiphoneの時代。ですが、実は100年近く前にもポケットサイズのミュージックphoneがありました。それが「MIKIPHONE」です。1925年に発売されたこれはスイス製。直径11センチ、厚さ5センチという小ささは当時としては驚異的でした。動力はネジで、組み立てるとレコードが再生できたのです
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お解りでしょうが画像は総て人形です。これは19世紀の人形師・花沼政吉の手によるもの。モデルは彼自身です。米国に渡った彼は病気に罹り余命わずかと診断され、恋人に思い出を残そうとこれを作ります。しかし恋人はドン引き。二度と彼に会うことはありませんでした。人形の歯や毛髪は彼のものだとか。
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伊勢参りに行きたい。でも仕事あるし体も弱いし。そうだ!犬に代わりに行ってもらおう!そんな無茶苦茶な話が江戸時代には実際ありました。お参りの印として首にしめ縄を巻いたワンコは、道行く人々にご飯を貰ったり先導されたりしながら伊勢へ向かったそうです。善意に支えられていたのですね。
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「ネコと和解せよ」という言葉がネットで流行ったことがありましたが、これはその図ではありません。フランス・マルセイユの会社C. Ferrierが出した洗剤「Le Chat」の宣伝です(1890年)。別にネコ用という訳ではなく、普通に人間が使う洗濯用洗剤である模様。中央のネコが神々しいです🙏
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2022年2/22,ニャンニャンニャンで猫の日です。再掲ではありますが結構お気に入りの画像なのでご紹介します。これはフランス・マルセイユの会社C. Ferrierが出した洗剤「Le Chat」の宣伝(1890年)。世界中の人々が猫を崇めていることがよく解りますね。後光まで差して神々しいです。
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天は二物を与えずといいますが、思い切り与えられた人がヘディ・ラマー(2000没)です。彼女は1930~50年代にかけてハリウッド映画で活躍した女優。「サムソンとデリラ」などに出演していますが、40年代に携帯やWi-Fiの基となる技術を発明し特許を取りました。”美と知”、両方ない身には羨ましいです。
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★ちょろけん 江戸期の京都や大阪には、ちょろけんと呼ばれるゆるキャラがおりました。正月や宴席に現れて踊りを披露し、ご祝儀を奪っていくという、いわが獅子舞みたいな存在ですね。左は川崎巨泉(1877-1942)のちょろけん人形。右は恐らく昭和初期にちょろけんを復活させた際の写真です。
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中華伝統のファストフードとはいかなるのものか。そんな疑問の答えはこのお店「中華面食」にあるかもしれません。JR新小岩駅最寄りのこのお店は肉まんとか揚げパンとかお焼きとか、甘いのしょっぱいのあらゆる中華粉ものが揃ってます。私は豚肉お焼きとトウモロコシパンを購入。とてもうまかったです!
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写真は1900年初頭、英国のスラムでロープによりかかって寝る人々です。これは当時最底辺の宿泊施設で使われたもので、ロープベッドと呼ばれています。約1ペニーで立ったまま寝ることが出来ましたが、これでは疲れは取れないでしょう。ドラマ「フランケンシュタイン・クロニクル」にも出てきます。
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一人で歩いていたら吸血鬼かジャック・ザ・リッパーに絶対襲われる感じのするこの光景、映画のセットではなく本物のロンドンです。時は1934年、英国写真家Harold Burdekinによって撮られました。20世紀でさえこれだけ怖いのですから、ジャック・ザ・リッパーの居た19世紀はなお怖かったでしょう😱
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Victorのわんちゃんの名前はニッパーと言います。描いたのは英のバラウド。ニッパーはバラウドの兄の犬でしたが兄は他界。今は亡き主人の声を蓄音器で聞かせた所、ニッパーはじっと聞き入っていたそうです。その健気な姿に感動したバラウドはこの絵を作成(1889)。のち絵はVictorの象徴となります。
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もうすぐハロウィンなのでそれっぽい話でも。画像はメイクップアーティストMimi Choiさんの顔面アートです。カナダの幼稚園教師であった彼女は独学でメイク技術を習得。普通のコスメを使いこの立体的な顔面芸術を作り上げました。今ではインスタフォロワー140万超えの大変な人気者になっています。
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男には股間に色々部品が付いてまして、それは昔から絵画やら彫刻やらで描かれてます。しかし、タマ○マにスポットを当てたものは比較的レアなので、夜のサービスにご紹介しておきます。これはDomenico Brusasorci (16世紀)の戦車に乗るアポロン。イタリアの某ホールにあるフレスコ画の一部です。
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今の季節、朝が辛いですね。起きるのが大変なことは目覚まし時計が普及していない時代も一緒だったようで、産業革命時の英国では「起こし屋」(ノッカーアッパー)が存在しました。彼らは決められた時間に訪問。棒で窓を叩く、豆鉄砲でスナイプするなどの方法でお寝坊さんを起こして廻りました。
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アラン・ドロンと楽しそうに話す美女。その隣でショボンとしてるのはあのミック・ジャガーです。この写真は1967年フランスで撮られたもの。ドロンの隣にいるのはミックの彼女マリアンヌ・フェイスフルですが、彼女は完全にドロンとのお喋りに夢中の様子。そりゃミックもこういう顔になりますよね。
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社交イベントでマリリンは赤い短めのドレスを着用していました。それを見たある報道関係者はこう言い放ちます。「安くて下品だ。あんな女はポテトの袋でも被っとけ」。この暴言にマリリン側はプッツン。じゃあ着てやるわい!となったのがこの写真です。この美しさには報道関係者も降参したでしょうね。
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「日本のミケランジェロ」と呼ばれる超絶技巧彫物師、それが石川雲蝶(1883没)です。江戸で既に有名であった彼は「嫁と旨い酒と彫り道具をあげる❤」という言葉に乗って越後へ。西福寺、永林寺等にこの精緻な作品を残しました。身体は大きかった彼ですが、その手は少女のように小さかったそうです。
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虎バターのパンに囲まれいい笑顔!画像は1919年版「ちびくろサンボ」です。元々インド人設定のこのお話は多くが改変され、アフリカ系少年が主人公となりました。一時期人種差別問題で絶版の憂き目に遭いましたが現在は復活。一部の本は少年の名をサンボから本来の名前「ババジ」に戻しています。
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モンゴル最後の王妃と言われるのがGenepilです。彼女はモンゴルの皇帝、ボグド・ハーンの后でしたが、1938年ソ連の弾圧を受け非業の死を遂げました。そしてこの特徴的な衣装とメイクはのちにジョージ・ルーカスの目に止まり、SW「ファントムメナス」のアミダラ女王となって復活するのです。
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英国王エドワード7世の妻アレクサンドラ王妃はファンシー雑貨大好き女子。動物関係の宝飾品等を300点以上収集していましたが、これもそのひとつです。1907年に職人ヴィグストロームによって作られたこのひよこは本体が玉髄、目はルビー、足は黄金製。お値段は解りませんが多分半端ないでしょうね🐣
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教室の入口で佇む少年。中に入るのを躊躇するその気持ちは解ります。彼の服装は同級生に比べると大変みすぼらしいからです。杖を持っている事から見ると、山間部から都会の学校に初めて来た子ではないでしょうか。君には輝かしい未来が待っているよ、と背中を押してあげたくなるような絵です→続
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この瓶の中に詰まっているのは砂。つまりこの絵は、少しずつ違った色の砂を瓶に堆積させて描かれています。この恐ろしく手間のかかる作品を作ったのはアンドリュー・クレメンス(米・1894没)。彼が使ったのは自然の砂のみであり、一切着色はされていません。かなりの高値で取引されているそうです。
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★フランスの浮世絵師 アンリ・リヴィエール(1951没)はフランスの人。19世紀末のジャポニズムに強い影響を受け、浮世絵の技法を活かした版画を多数制作しました。北斎の「富嶽三十六景」にちなんだ「エッフェル塔三十六景」は特に有名。なるほどよく見ると北斎っぽいタッチを感じます。
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映画の一場面のようですが彼女は本物のパイロットです。この美人さんはシャーリー・スレイド。二次大戦時のB-26及びB-39の操縦士でした。大戦中、米空軍は深刻な操縦士不足に直面。戦闘機を戦場まで運ぶ役目を担わせる為、女性操縦士養成プログラム(WASP)を組みました。その一員が彼女だったのです。