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私は由緒正しいド平民ですが、先祖には凄い人が居たかもしれません。そんな夢を描いたのがノーマン・ロックウェルの「ファミリーツリー」(195)です。一番上に居る少年の想像では、彼の祖先は何と海賊。悪い役回りを演じることが多い海賊ですが、少年にとっての海賊はきっとヒーローなのでしょう→続
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恵比寿でベビーカーのお母さんに因縁を付ける老人の動画を見ました。前後の事情はどうあれ、人様の赤ちゃんの乗ったベビーカーを掴むなど言語同断!😡コナン・ドイルの言葉を引用します。 「粗野な若者は嫌なものだが、粗野な老人はこの世で最も不快なものだ」
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おもちゃみたいで可愛いですね。1962~65年まで英国で生産された一人乗り自動車「peel・50」です。最高速度は約60km。価格は199ポンド。現在の価値感覚だと100万円位でしょうか?この車バック機能は付いていませんでしたが、車体が軽いため右画像のように持ち上げて方向転換する事が出来ました。
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教室の入口で佇む少年。中に入るのを躊躇するその気持ちは解ります。彼の服装は同級生に比べると大変みすぼらしいからです。杖を持っている事から見ると、山間部から都会の学校に初めて来た子ではないでしょうか。君には輝かしい未来が待っているよ、と背中を押してあげたくなるような絵です→続
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画像はNikolai Belsky (1868-1945) の「At School Doors」(1897)。彼はロシアの画家で、かわいい子供達を描く事が多い方でした。下の画像は同じく彼の作品で「村の学校にて」です。
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亀井至一作「東京芸妓松子」(1877)です。彼は幕末から明治中期にかけて活躍した洋画家であり石版画家。内国勧業博覧会の第1回に「上野徳川氏家廟之図」を出品して大いに名を上げました。石版は非常に精緻な線を描くことが可能で、この作品も写真のようなクオリティ。着物の美しさにご注目を。
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妖精を描かせたら右に出るものなし。左にもいないというのがアイダ・レントゥール・アウトウェイト(豪・1960没)です。生涯で60冊以上の本を出版した彼女が得意としたのが妖精と小動物。優しいその絵柄が多くの子供達に愛されました。
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ジョージ・クラウゼンの「Youth Mourning」(1916)です。翻訳すると「青春の弔い」となります。クラウゼンの娘には愛する婚約者が居ましたが、残酷にもその婚約者は第一次大戦で戦死しました。自らの青春を捧げた婚約者の死を嘆き悲しむ娘。クラウゼンはその姿を描かずに居られなかったのでしょう。
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「芸能人は歯が命!」なんて言葉が昔ありましたが、顔のパーツでかなり重要なのは歯より目だと思います。画像はPedro Américoの「ジャンヌダルク」(1883)。彼女が神託を受けた瞬間を描いていますが、彼女の瞳は絵画ではちょっと珍しいレベルの大きさです。射貫かれるような視線とはこの事でしょうね
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最強の勇気は何処に在るか。それは子を守る母の心に。画像はマクシム・フェーブルの「Two Mothers 」(1888)です。 見えにくいですが画像左下には熊がおり、蛮人?の母はこの熊から子供達を守っています。肌が綺麗すぎとか斧が近代的とか細かい事は無視して、母の愛と勇気を称えたいです。
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この画像を見てムムムッ!と来たあなたは違いの分かる方です、多分。 抜けるように白い肌を持つ女性はビロードのような柔らかな金髪に顔を隠しています。真珠が光る耳元と頬は紅色に染まり、彼女が裸に恥じらいを感じている事が解ります。敢えて顔を描かず、この瞬間を切り取った作者は流石です→続
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「スモリヌイ貴族乙女学院」。10年前の深夜アニメに出てくるような教育機関が、かつてロシアにありました。この学院は1764年にエカテリーナ2世によって設立されたもの。高貴なお嬢様方をレディに教育するのが目的の学校でしたが、そこは女子がキャッキャするようなヌルい場所ではありませんでした→続
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全寮制の学校で学ぶ生徒の年齢は6~18歳。礼儀作法教育は厳しく、静かに、かつおしとやかに歩く為に彼女たちの靴は重く厚く作られていました。食事はかなり質素で薄いスープやお粥、そして固いパンと紅茶など。断食をする日もあったそうです。画像は1908~18年頃のもの。皆清楚な乙女ばかりですね。
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豪華絢爛です。ドレス、襞襟(首のビラビラ)、髪飾り、すべてが銀色に輝いています。特にドレスの質感は激エモ。この素晴らしい統一感と表現はやっぱり巨匠にしか出来ない技です。 画像はルーベンスの「侯爵夫人ブリジダ・スピノーラ=ドーリアの肖像」(1606)。夫人も衣装に負けず美しいですね。
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この目、まさに狂気ですね。画像はイェノー・ギャルファースの作品「Ordeal of the Bier」(1881)の拡大です。これはハンガリーの作家、アラニ・ヤーノシュの同タイトルの物語の挿絵として制作されました。 新婚早々殺された花婿。人々は花婿を殺した人物を突き止める為、怪しい人物を死体に→続
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近づけます。「殺した人間がその死体に近づくと、死体から血が流れる」という迷信があったからで、その結果、犯人は花嫁である事が判明します。実は花嫁は悪意のない事故で花婿を殺していたのです。花嫁は恐るべき現実を受け止め切れず発狂します。この絵はその発狂の瞬間を捕らえているのです。
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1937年、ドイツ空軍はスペイン内戦に介入し、同国の小都市ゲルニカを無差別爆撃しました。多くの罪なき市民がこれにより死亡。ピカソは憤慨しあの「ゲルニカ」を制作したと言われます。 しかし憤慨した芸術家はピカソだけではありませんでした。Horacio Ferrer(スペイン)もその一人。画像は→続
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この美人さんはボビー・ギブです。彼女は1966年に初めてボストンマラソンを完走した女性として知られています。しかし彼女、実はこのマラソンに「正式」には参加していません。 ボストンマラソンに向け2年の訓練を重ねたボビー。いざ参加しようすると彼女は運営に拒否されます。その理由は→続く
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「女性は生物学的に64km走るのは不可能ですよ」というもの。信じられませんがこれが当時の常識でした。 「舐めんなコラ!」。怒りMAXの彼女は大会当日スタート地点の茂みに潜みます。そして開始の合図と共に飛び出して激走。見事平均以上の成績でゴールしました。観客は拍手喝采だったそうです。
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【訂正】 フルマラソンは42.195kmです。訂正致します。
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絵に描いたような(実際絵ですが)ポーズで驚くお母さん。これは18世紀に起こった事件を基にしています。フィレンツェの私設動物園から逃げだしたライオンが、子供を見つけ一旦子供を口に咥えます。しかし母の嘆きを目の前にして、ライオンがそっと子供を母に返したというエピソードです→続く
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この画像はMonsiau, Nicolas-André(仏)の「Le Lion de Florence」(1801)。作者は古典的な画題を中心に描く人でした。 そして下も彼の作品。アレクサンドロス大王が貧乏哲学者ディオゲネスに会いにいった所、ディオゲネスに「日陰になるから退いて」と言われちゃった名場面を描いています。
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どんな美しさも時間と共に失われてゆく。この絵はそんな諸行無常を象徴しています。 「やれ」と指さすのは恐らく時間の神クロノス。 「ラジャー!」と女性に手を伸ばす老婆は「老い」の化身です。 老婆は時間の命令によって、残酷にもこの女性の美を奪い取ろうとしている訳です→続く
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猫好きの猫の絵は愛が籠っている、と私は個人的に思います。スコットランドの画家エリザベス・ブラックアダー(2021没)もそんな愛ある猫絵を描く方。エディンバラ芸術大学で教鞭を執っていた彼女の猫絵は大変愛らしく切手にもなりました。日本を何度も訪れ禅を学んだりと、親日家でもあったとか。
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戦うバレリーナというのは斬新!画像はニコラース・ヴァン・デル・ウェイの「バレリーナのストライキ」(20世紀初頭)です。ギャラの問題なんでしょうか。アムステルダム・カレ劇場の踊り子がオーナーに詰め寄ってます。修羅場なんですが、光の使い方の巧みさと踊り子の美しさにうっとりします。