昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(新しい順)

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コロナ都内新規感染者2千人超。ごっつい数字ですね。もう病気関係の話は止めてという感じですが、あえて意識向上の為つぶやきます。画像は1920年代、日本赤十字社の衛生啓発ポスター。スペイン風邪の直後ですので、衛生観念の大切さが日本国民にも身にしみていた時期のものですね。手洗い、大事ですよ
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昔の本は分厚くて重いです。ですので、何冊もの本を使って調べ物をするのはかなりの労力とスぺースが必要でした。そんな大変さを解決してくれたのがこの回転式図書閲覧機。300年ほど前のもので、今でもメキシコの図書館に展示されています。言うなればウェブブラウザのご先祖様みたいなものですね。
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この美しき版画は米国人リリアン・メイ・ミラー(1943没)の手によるものです。外交官の娘に生まれた彼女は狩野友信や島田墨仙に師事。墨仙は彼女に「玉花」という号を与え、大変その腕を買っていました。驚くことに、彼女は本来職人がするべき木版画の彫りや摺りまで自分でこなしていたとか。
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メリークリスマス! 画像は英国サウスウェールズ州で今でもクリスマスに続けられているという奇習「Mari Lwyd」です。馬の頭蓋骨を掲げた一団が村の家屋を一軒ずつ襲撃。住人と詩歌バトルを行います。住人が負けたら一団は家に侵入し、さんざん飲み食いして去ってゆくというもの。怖いけど楽しそう!
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この瓶の中に詰まっているのは砂。つまりこの絵は、少しずつ違った色の砂を瓶に堆積させて描かれています。この恐ろしく手間のかかる作品を作ったのはアンドリュー・クレメンス(米・1894没)。彼が使ったのは自然の砂のみであり、一切着色はされていません。かなりの高値で取引されているそうです。
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童話では悪い子によくバチがあたります。その中でも、なかなか過激なバチの当たり方をする作品が「もじゃもじゃペーター」です。これは独のハインリッヒ・ホフマンが19世紀末に発表したもの。火遊びした子が焼死。好き嫌いをした子がやせ細って餓死。など本の中で子どもたちは散々な目に遭っています。
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フィレンツェの高級な建物には中世の昔から「ワインの窓」と呼ばれる小窓がありました。生産者が酒屋などを通さずワインを直接消費者に販売するもの。ペストが流行った時などは接触を避けるのに大いに役立ったとか。遺跡となっていたこの窓、皮肉にも今回のコロナで再び現役復帰し始めているそうです。
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1941年、ポケット一杯に石を詰めた女性が英国で入水しました。その人はヴァージニア・ウルフ。数々の名作を書き上げた彼女は長年鬱を患っていたのです。夫に宛てた遺書は”世界一美しい”そうですが、私はこの言葉の方が刺さります。「急ぐことも輝くことも誰になることもない。ただ貴方であればいい」。
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地獄には浄玻璃鏡という鏡があります。生前の悪行が映し出されるモニターで、閻魔様はこれで亡者の極悪度を判断するのです。しかし「閻魔大王浄玻璃鏡図」(河鍋暁斎)での女性は鏡の姿も美しいまま。この異常事態に閻魔様はパニクっています。あんたどーするのよ?という鬼の視線も可笑しいですね。
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音楽再生は今やiphoneの時代。ですが、実は100年近く前にもポケットサイズのミュージックphoneがありました。それが「MIKIPHONE」です。1925年に発売されたこれはスイス製。直径11センチ、厚さ5センチという小ささは当時としては驚異的でした。動力はネジで、組み立てるとレコードが再生できたのです
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悪い奴にはお仕置きよ!と思って作られたのかどうかは知りませんが、画像は1941年に米で発売された針刺し「Hotzi Notzi」です。ヒトラーのお尻にブスリと針を突き立てるというこのアイテムは、フランクリン・ルーズベルト大統領の机に置かれてから大ヒット。今でも古物商などで取引されています。
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もうすぐハロウィンなのでそれっぽい話でも。画像はメイクップアーティストMimi Choiさんの顔面アートです。カナダの幼稚園教師であった彼女は独学でメイク技術を習得。普通のコスメを使いこの立体的な顔面芸術を作り上げました。今ではインスタフォロワー140万超えの大変な人気者になっています。
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明治の日本の風景を西洋画、しかも水彩で残してくれた有り難い女性芸術家がエラ・デュ・ケイン(英・1943没)です。19世紀末、彼女は作家の妹フローレスと中国、日本、エジプト等を旅行。その風景をまとめました。ビクトリア女王は彼女の絵を気に入り、20点以上をコレクションしていたそうです。
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17世紀のベネチアでは公共の場で盛んにマスクが使われました。その種類は様々ですが、中でも玄人の女性が好んだのがモレッタです。これは黒い仮面で、口で噛んで固定するタイプ。よって喋れない訳で、モレッタを着けると「黒い仮面に白い肌が映えるミステリアスな沈黙の美女」が誕生する仕組みでした。
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フランツ・カフカによる「変身」。不条理文学として有名ですね。ある青年が目覚めると虫になっていたというこの物語を本にする際、カフカは「変身した虫の姿を描かないでほしい」と要望しました。この要望は基本守られており、近年出版されたArianna Vairo の本でも敢えて虫の姿は描かれていません。
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男女がフェンシングの試合をするこの絵、違和感ありますね。実は右のおばさま、元男性です。この人はシュヴァリエ・デオン(1810没)。前半生は男性の姿で仏の外交官兼スパイとして過ごし、後半生はカミングアウトして女性として生きました。フェンシングの試合はお小遣い稼ぎで行っていたようです。
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昔からパリは文化の都。尖った人々が酒を酌み交わすお店が沢山ありました。中でもダントツに目立っていた店舗がこれ、「Cabaret de L'Enfer」(地獄のキャバレー)です。1892年から1950年までモンマルトルで営業していた同店は地獄をテーマにしたコンセプトバー。酒・歌ありの楽しい地獄だったようです
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美しいヴィーナスの光沢ある肌に、見事な和彫の桜吹雪。この不思議な彫刻を作っているのはイタリアのアーティストFabio Vialeさんです。大理石に刻まれた入墨は表層ペイントではなく、吹付け加工によって石に染み込ませたもの。きめ細かい肌に入墨は映えるものですが、大理石の肌とは着眼点がいいです
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天は二物を与えずといいますが、思い切り与えられた人がヘディ・ラマー(2000没)です。彼女は1930~50年代にかけてハリウッド映画で活躍した女優。「サムソンとデリラ」などに出演していますが、40年代に携帯やWi-Fiの基となる技術を発明し特許を取りました。”美と知”、両方ない身には羨ましいです。
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15万枚以上の写真を撮影していたのに、その作品を全く世に発表しなかった写真家。それがヴィヴィアン・マイヤー(2009没)です。乳母を本業にしつつ、彼女はニューヨークやロスを中心にして生涯写真を撮り続けました。大量のネガが見つかったのは彼女の死の直前。その死によって彼女は伝説となりました
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夏が終わります。夜が長くなり月を見上げる機会も増えたのではないでしょうか。庄田耕峯(大正13没)はそんな月にこだわった版画家。作品の多くが月を題材としており、その柔らかな光を繊細な青色で見事に表現しています。水面に映る淡い月光、たそがれ時に現れる控えめな月の姿、皆素晴らしいです。
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お化粧バッチリ。髪型キッチリ。さあデートにと思って出掛けたら、香水を忘れちゃった!そんなうっかり女子に重宝されたのが香り自販機です。これは1950~60年代に米国で流行したもの。コインを入れてレバーをプッシュすると一吹きの香水が噴霧されます。シャネルNo5などが搭載されていたようです。
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問答無用に暑いので水の話。江戸の水道水は夏になるとヌルいし臭いし、とても飲める代物ではありませんでした。そこで活躍したのが水売り。井戸から汲みたての冷たいお水に砂糖を入れ、白玉を浮かべて売りました。掛け声は「ひゃっこい」。一杯4文程度だったとか。画像は鈴木春信の「水売り」です。
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今晩はヘンゼルとグレーテルの元ネタのお話です。 1600年初頭、ドイツにカタリーナという女性が居ました。彼女が営む店のお菓子は大人気。同業者ハンスはこれを羨み、菓子のレシピを盗むためカタリーナへ求婚しました。しかし彼女は拒否。逆恨みしたハンスは彼女を魔女として告発しました。(続)
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写真は1900年初頭、英国のスラムでロープによりかかって寝る人々です。これは当時最底辺の宿泊施設で使われたもので、ロープベッドと呼ばれています。約1ペニーで立ったまま寝ることが出来ましたが、これでは疲れは取れないでしょう。ドラマ「フランケンシュタイン・クロニクル」にも出てきます。