昔の風俗をつぶやくよ(@LfXAMDg4PE50i9e)さんの人気ツイート(新しい順)

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「女性は生物学的に64km走るのは不可能ですよ」というもの。信じられませんがこれが当時の常識でした。 「舐めんなコラ!」。怒りMAXの彼女は大会当日スタート地点の茂みに潜みます。そして開始の合図と共に飛び出して激走。見事平均以上の成績でゴールしました。観客は拍手喝采だったそうです。
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この美人さんはボビー・ギブです。彼女は1966年に初めてボストンマラソンを完走した女性として知られています。しかし彼女、実はこのマラソンに「正式」には参加していません。 ボストンマラソンに向け2年の訓練を重ねたボビー。いざ参加しようすると彼女は運営に拒否されます。その理由は→続く
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1937年、ドイツ空軍はスペイン内戦に介入し、同国の小都市ゲルニカを無差別爆撃しました。多くの罪なき市民がこれにより死亡。ピカソは憤慨しあの「ゲルニカ」を制作したと言われます。 しかし憤慨した芸術家はピカソだけではありませんでした。Horacio Ferrer(スペイン)もその一人。画像は→続
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近づけます。「殺した人間がその死体に近づくと、死体から血が流れる」という迷信があったからで、その結果、犯人は花嫁である事が判明します。実は花嫁は悪意のない事故で花婿を殺していたのです。花嫁は恐るべき現実を受け止め切れず発狂します。この絵はその発狂の瞬間を捕らえているのです。
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この目、まさに狂気ですね。画像はイェノー・ギャルファースの作品「Ordeal of the Bier」(1881)の拡大です。これはハンガリーの作家、アラニ・ヤーノシュの同タイトルの物語の挿絵として制作されました。 新婚早々殺された花婿。人々は花婿を殺した人物を突き止める為、怪しい人物を死体に→続
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豪華絢爛です。ドレス、襞襟(首のビラビラ)、髪飾り、すべてが銀色に輝いています。特にドレスの質感は激エモ。この素晴らしい統一感と表現はやっぱり巨匠にしか出来ない技です。 画像はルーベンスの「侯爵夫人ブリジダ・スピノーラ=ドーリアの肖像」(1606)。夫人も衣装に負けず美しいですね。
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全寮制の学校で学ぶ生徒の年齢は6~18歳。礼儀作法教育は厳しく、静かに、かつおしとやかに歩く為に彼女たちの靴は重く厚く作られていました。食事はかなり質素で薄いスープやお粥、そして固いパンと紅茶など。断食をする日もあったそうです。画像は1908~18年頃のもの。皆清楚な乙女ばかりですね。
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「スモリヌイ貴族乙女学院」。10年前の深夜アニメに出てくるような教育機関が、かつてロシアにありました。この学院は1764年にエカテリーナ2世によって設立されたもの。高貴なお嬢様方をレディに教育するのが目的の学校でしたが、そこは女子がキャッキャするようなヌルい場所ではありませんでした→続
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この画像を見てムムムッ!と来たあなたは違いの分かる方です、多分。 抜けるように白い肌を持つ女性はビロードのような柔らかな金髪に顔を隠しています。真珠が光る耳元と頬は紅色に染まり、彼女が裸に恥じらいを感じている事が解ります。敢えて顔を描かず、この瞬間を切り取った作者は流石です→続
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最強の勇気は何処に在るか。それは子を守る母の心に。画像はマクシム・フェーブルの「Two Mothers 」(1888)です。 見えにくいですが画像左下には熊がおり、蛮人?の母はこの熊から子供達を守っています。肌が綺麗すぎとか斧が近代的とか細かい事は無視して、母の愛と勇気を称えたいです。
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「芸能人は歯が命!」なんて言葉が昔ありましたが、顔のパーツでかなり重要なのは歯より目だと思います。画像はPedro Américoの「ジャンヌダルク」(1883)。彼女が神託を受けた瞬間を描いていますが、彼女の瞳は絵画ではちょっと珍しいレベルの大きさです。射貫かれるような視線とはこの事でしょうね
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ジョージ・クラウゼンの「Youth Mourning」(1916)です。翻訳すると「青春の弔い」となります。クラウゼンの娘には愛する婚約者が居ましたが、残酷にもその婚約者は第一次大戦で戦死しました。自らの青春を捧げた婚約者の死を嘆き悲しむ娘。クラウゼンはその姿を描かずに居られなかったのでしょう。
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妖精を描かせたら右に出るものなし。左にもいないというのがアイダ・レントゥール・アウトウェイト(豪・1960没)です。生涯で60冊以上の本を出版した彼女が得意としたのが妖精と小動物。優しいその絵柄が多くの子供達に愛されました。
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亀井至一作「東京芸妓松子」(1877)です。彼は幕末から明治中期にかけて活躍した洋画家であり石版画家。内国勧業博覧会の第1回に「上野徳川氏家廟之図」を出品して大いに名を上げました。石版は非常に精緻な線を描くことが可能で、この作品も写真のようなクオリティ。着物の美しさにご注目を。
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画像はNikolai Belsky (1868-1945) の「At School Doors」(1897)。彼はロシアの画家で、かわいい子供達を描く事が多い方でした。下の画像は同じく彼の作品で「村の学校にて」です。
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教室の入口で佇む少年。中に入るのを躊躇するその気持ちは解ります。彼の服装は同級生に比べると大変みすぼらしいからです。杖を持っている事から見ると、山間部から都会の学校に初めて来た子ではないでしょうか。君には輝かしい未来が待っているよ、と背中を押してあげたくなるような絵です→続
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おもちゃみたいで可愛いですね。1962~65年まで英国で生産された一人乗り自動車「peel・50」です。最高速度は約60km。価格は199ポンド。現在の価値感覚だと100万円位でしょうか?この車バック機能は付いていませんでしたが、車体が軽いため右画像のように持ち上げて方向転換する事が出来ました。
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恵比寿でベビーカーのお母さんに因縁を付ける老人の動画を見ました。前後の事情はどうあれ、人様の赤ちゃんの乗ったベビーカーを掴むなど言語同断!😡コナン・ドイルの言葉を引用します。 「粗野な若者は嫌なものだが、粗野な老人はこの世で最も不快なものだ」
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私は由緒正しいド平民ですが、先祖には凄い人が居たかもしれません。そんな夢を描いたのがノーマン・ロックウェルの「ファミリーツリー」(195)です。一番上に居る少年の想像では、彼の祖先は何と海賊。悪い役回りを演じることが多い海賊ですが、少年にとっての海賊はきっとヒーローなのでしょう→続
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それはこのハエが「ドッキリ企画」で描かれたのではないかと言うもの。 「この絵ハエが止まってるよ」 「だーまさーれたー😆。これも絵なんですゥー🤣」 なんてやりとりを期待した、という事ですね。全部がそうではないにせよ、私も一部のハエはドッキリ期待で描かれたのではと思ってます。
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「ムスカの描写」をご存じでしょうか?「目が、目がぁ」のあの大佐とは無関係です。ムスカはラテン語でハエの意味。16世紀頃の絵画には時々、このハエがちょこんと絵画に描き込まれる事がありました。これは暗喩とされており「死」や「腐敗」を意味すると言われますが、別の楽しい解釈もあります→続
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ヴェニスの河を背中に立つすらりとした姿。黒と赤のファッション。そしてシルクの手袋には高価な宝石。この素晴らしくハイセンスな方はマドレーヌ・ボナール(モンゴメリー伯爵夫人)です。1939年頃のお姿ですが正に麗人という佇まい。しかし彼女の資料は余りに少なく、これ以上の事は解りません→続
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この事から、当時熱中症はポルードニツァのせいにされていたのでは?という説もありますが、私もその説に賛成です。ポルドニッツアの弱点が「水」とされていた事からも、ほぼその説は正しいでしょう。画像はEvgenyZemrahさんの作品です。puttyandpaint.com/projects/38340
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今日は暑かった!スラブの伝説では、こんな暑い日にはポルードニツァが現れるそうです。白い服に花の冠をかぶり手に鎌を持った彼女は、日中の一番暑い時間に現れ人々を襲う悪魔です。 手足を攻撃しフラフラにしたり心臓を掴んで止めたり。彼女が人間にする行為は何だか熱中症の症状に似ています→続
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巨大化していくという恐ろしい性質を持っています。この為ラビは彼等の額の"e"の文字を削り「meth/死」という文字にして、制御できなくなる前にゴーレムを滅するのだとか。伝説にはゴーレムの体で圧死したラビの名も残っているそうです。他人をタダ働きさせるとろくな事にならないという事ですね。 twitter.com/i/web/status/1…