管理職、「なぜ休校にしないんだ」というクレームと「なぜ濃厚接触者だというだけで登校できないのか」というクレーム両方に謝ってる。
狂犬病の「発症後致死率ほぼ100%」の「ほぼ」って、世界で毎年5万5千人が亡くなっているのに、これまでに治療して助かった人は世界で6人しかいないっていう「ほぼ」なんだよね…。
子どもが給食を落としたり倒したりしたとき、怒らないことに決めているのだけど、感情的になりそうなときの台詞も決めてある。 「なんということでしよう」
1年生のとき担任してて、「やめて」を言えるようになることが目標の一つだった子。根気強く、その場面をやり直して「やめて」を言う練習をした。4年生になったとき、「やめて」って自分で言って、相手にごめんなさいされて「許したいけど今は無理」って言えるようになってて、感無量でしたよ。
重い肺炎で一人暮らしでも自宅療養って、その人どうやって洗濯して、どうやってゴミ出しするんだろう。トイレに行くのも大変なはず。洗濯物とゴミの山の中で、替えてないシーツに着古しを着たまま寝るしかないの、分かってるのかな。ある日、意識を失ったとき、誰が通報してくれるんだろう。
花火大会を開始8分で中止した。「えらい」なって思います。なかなかできる決断じゃない。お客さんが5万人。お店。スタッフ。花火師さん。観光協会。自治体。スポンサー。針の筵を思うと胃が痛くなりそう。よくそこで、安全を最優先したよね。ルールを曲げなかったよね。
工場見学に際して、「音に敏感な子がいるんだけど、心の準備がいる感じだった?」って情緒支援級の高学年に聞いたら、写真を指差しながら「ここはかなりうるさい」「ここは突然ピーッて機械が鳴る」「ここはガラスの音がガチャガチャ聞こえる」って超有用な情報が得られたのでお給料払いたい。
尊厳死と、安楽死と、優生思想と、丁寧に冷静にわけて考えたい。
10歳くらいまで毎日のように叩かれて育ったんだけど(行儀が悪いなど)、そのせいなのか、子どもを叱りながら全く非合理的なことに「叩いてしまえば簡単なのに」「痛みを味わせて凝らしめてやれ」という身体の疼きを感じるんだよね。非常に深いところに埋め込まれたスイッチ。悲しいし、怖い。
これさ、ちゃーんと「これ常温で置きっぱなしじゃん!」て認識できてよかったよね。そのあと「すぐ冷やそう!」とか言い出さなくてよかったよね。そんで、「棄てるしかない!」って正しく判断できてよかったよね。当たり前の正しい認識と判断が貴重なもののように思えてくる今日この頃なもんで。 twitter.com/nhk_news/statu…
「写真撮影はご遠慮ください」も「写真撮影はお控えください」も「写真は1枚も撮るな。撮ったら怒る。警告したからな?これを読んでいながら後で知らなかったは通用しないからな?少しなら良いと思ったなんて言い訳は通らんぞ」の意味です。知らなかった人は今日から覚えておくしかないです。
教員採用試験だって10倍超えてて、満点取らなきゃ二次試験行けないって言われてたから満点取った。採用通知の電話に即答しないと2度とかかって来ないと言われていたから家族で電話番してた。採用6日前に電話来た。30キロ離れた学校だったけど即諾した。30人のゼミ生で4月採用は2人だけだった。
私、運動トレスがあまりできない子でな。中学の体育の時間に、先生がバスケのドリブルシュートをやって見せて「はい、真似して」って言うから自分の思う「真似」をしてできなくて、先生がまたやって見せて私が真似して、って何度も何度も繰り返して最終的に先生が笑い出した。あれは悲しかった。
前にも別の先生が「好きな給食はなあに?」と聞いて返事がないから「信頼してもらえないみたい」と言うので、その質問は難しいと説明したら目を白黒させてた。一方でこうしたことを説明しなくても数分の関わりで分かって、反応を見ながらその子に合わせて関わる先生もいる。
良いとか悪いとかじゃなくて、私は子どもに質問をして反応が返ってこないとき、情緒や関係性は考えるけど、言語や理解についての要因に気づかない、思い至らない教員は結構いるんだなということに割と驚いた。ちょっとやり取りしたらわかることだと思っていたので。
「きみと仲良くしたいけど、まだ怒ってる」「今は無理」「本当にやめてくれたら許せると思う」って。すごくないか。大人でも言えない人は言えないぞ。
千羽鶴は完成したらお焚き上げする事で、千の煙になって遠く離れた土地にもご利益が届くって設定を広めたい…。というか、今敢えてご利益って書いたけれども、一神教の人たちにこういう「祈りを込めた何か」を送るのってセンシティブな案件なんだよ。一神教に限らずだけど、特にね。
漂白剤の事件、「担任を外された」って担任外のポストにさせられたのかと思ったら、1学年1クラスの学校で2年間持ち上がったクラスをもう1年受け持ちたいっていう希望が通らなかっただけで、今年度は別のクラスを担任してたのか。単学級の学校で普通は3年も持ち上がらないよ…。偏るもん。
「誰でも自分の感想を言っていいんだよ。少なくとも学校はそういう場所です。感想だからいけないなんていうことはない。あなたの感想を貶す人がいるの?いたら教えてね。とても失礼なことだから。すぐ指導するからね」と、丁寧に伝えるとだいたいキッズの呪いが解けます。
「怒らない育児」が「悪いことを悪いと教えない育児」と誤解されているところがあるの、もったいない気持ちになるな…。「大人がなるべくギャーッてなんない育児」の方が伝わる気がする。
あの頃の価値観が抜けない私らの世代を、下は笑ったらいい。どんどん変えたらいい。ただ、私たちは別に、悠々と選んだわけじゃなかったということは、言い残しておきたい。
駆け出しの頃に特別支援学校に勤めてた友人に教わった「ダメ」と「違う」の使い分け、今でも役に立ってる。いついかなるときもしてはいけないことは「ダメ」。今この場面ではよろしくない、ということは「違う」。「叩くのはダメです」「今、立つのは違うよね」みたいに使い分けている。伝わりやすい。
お茶汲みもしたし先輩の机も拭いた。そのために1時間早く出勤した。放課後は部活もみた。代わりはいくらでもいるって言われて役立つ自分であろうとした。そんなのさ、要らない伝統だと思うから自分の下には負担させないように少しずつ崩してる。笑い話になったらいいと思ってる。
良いとか悪いとかじゃなくて、そういうことに思い至る人とそうでない人がいることはいつも想定しておこうと思ったのです。
「あなたの気持ちは尊重される」ということが、この子にちゃんと伝わったことがとても嬉しい。