イタリア人全員必ずがそう思っているかどうかは知りません。でも日本へ来たことのある私の親族は皆口を揃えて「日本で印象深かったものはイタリア料理のうまさ」だと言っております。(や) headlines.yahoo.co.jp/article?a=2019…
ちなみに私の指す“日本食”というのは、ラーメン、ナポリタン、お好み焼きなどを含みます。 食べ物はどこの国のが一番などと優劣を付けるものでもありません。ですが、味覚の寛容性という意味では世界中の食べ物を食す日本人の外交舌は世界一かと。というインタビューです。 president.jp/articles/-/285…
皇太子さまのライフワーク、水問題「知らないのは日本人だけ」 - Yahoo!ニュース 昨年2月の学習院女子大学での講演では、古代ローマの風呂文化を題材にした漫画『テルマエ・ロマエ』を持ち出し、古代ローマの生活ぶりを紹介して聴衆の興味を引かれた。 headlines.yahoo.co.jp/article?a=2019… @YahooNewsTopics
とんでもない花束が届いていまった....(や)
まだまだ寒い北海道の樽前山と支笏湖。入院中の母リョウコを見舞った帰りに立ち寄る。となりにいたイタリア人夫から『あのテルマエ山の火口、凄いねえ』と言われたので、あれはテルマエ山ではないよ、タルマエ山だよ、と教えてあげた。(や)
別にタイムスリップしなくても現役で使える古代ローマ温泉というのが実はあります(アルジェリアですが) vintag.es/2019/03/hammam…
こんなに自分の作品の中でフルーツ牛乳を描いて宣伝活動をしたというのに…(や) asahi.com/articles/ASM34…
キーンさんをモデルにした「ジャコモ・フォスカリ」で描いたこのシーンは安部公房との対談集「反劇的人間」のあとがきにあった本当にあった話。 安部公房がキーンさんに日本酒のソーダ割を飲ませて薬物依存症かどうかを実験したというシーン。どんどん再開したくなってきた…(が当分は難しい)・や
昨今のタレントや俳優を起用するTVのドキュメンタリー番組等にも同じ傾向があるかも。かつては専門家や作家のような人が案内人となり、視聴者はその人物の視聴者に媚びないマニアックな情熱や主観に知的好奇心をそそられ、その特異な案内人にも興味深い観察欲が炊き付けられる。それが面白かった(や twitter.com/sikano_tu/stat…
中断しているこの漫画の主人公は、いろいろ違うのだけど、実はキーンさんをモデルにしているのだった。 (そのうち必ず再開します、舞台が日本イタリアどちらも考証・考察に膨大な集中力を掛けなければならない時代の作品なので、中途半端に続けられずそれで中断。どこかで一段落したら必ず)
わたくしの大好物 フィレンツェ名物ランプレドット(牛モツ煮込み)やっぱり現地の屋台で頂くうまかった(や)
「私の中の兼高かおる」
2016年集英社の「すばる」5月号 兼高かおる+ヤマザキマリ対談「旅は地球とのランデブー」 機内食のマズさから旅先でいかに現地の人と溶け込むか、自らの国籍やアイデンティティに囚われず地球の住人であることのあれこれを一緒に語ったあのつかの間の時間は私にとっての一生の宝物です。
兼高かおるさんがお亡くなりになられました: 子供のころから憧れの存在であり、後に私のエッセイ漫画やエッセイにも何度か登場、そして2年前には対談も叶ったのですが、またお会いできる日を楽しみにしておりました。 あの方が居なかったら、今の私は無いでしょう。 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190109-…
なぜ大河ドラマ『いだてん』のロゴにミケーネ文明発祥とされるトリスケル(τρισκέλιον)が用いられているのか。シチリアが関係するのかとか、イタリア人夫に日本を発つ寸前までずっと問い質されるが知らんわ、そんなこと。疾走感が出るからじゃないの、といい加減な答えを返しておいた。(や)
“CREA”にて『立っている者はリョウコでも使え』というタイトルで連載しておりましたエッセイが『ヴィオラ母さん』というタイトルに改まり、一冊に纏まりました。 発売は今月末1月30日になります。 久々のエッセイ漫画満載、秘蔵写真もたっぷりです。 moretsu.exblog.jp/238968776/ books.bunshun.jp/ud/book/num/97…
昨日の手塚先生生誕90周年式典では5人の作家対談に登壇するにあたり、手塚氏愛用のと同じベレー帽を頂いたのですが、打ち合わせで渡されのを意気揚々と被っていたら、登壇直前にそのベレー帽が実は島本和彦氏の私物であることが判明。そんなことも知る由もなく、島本ベレーを被って微笑む私(や)
永井先生と藤子不二雄A先生
今更人間の社会や共同体の性質に対して理想や期待も抱いていない私に、言語弾圧をする理由もサービス精神も余力もない。ただ何をされたわけでもない無防備なマイノリティのひとたちを一方的に傷つけて、それを言論の自由だと無責任な言葉で防御するひとたちを不快に思う自由くらいあるでしょう。
言論弾圧という解釈で括られ、 差別に傷付くひとたちを慮る自由も許されない。
新潮45がいくら休刊になっても、この顛末の火種となった文章を書いたひとたちが今までと変わりなく、あのような考え方を懲りずにどこかで晒していくのだろうかと思うと、連載掲載の場が失われたことよりも、それがなにより残念だ
「プリニウス」は新潮社の素晴らしい編集者達とのご縁で連載が決まった作品でした。最初は文筆での連載の依頼を頂いたのですが、「古代ローマの博物学者の漫画を描きたいのですけど、漫画ではダメですか」「それは是非やってください、楽しみにしてます」という快いお返事を今も忘れません
大プリニウス一行は、これからロードス島、クレタなどギリシャ世界を巡り、フェニキアからパルミラなどアジアへ向うはずであり、北イタリアのアルプスの麓で過ごしたプリニウスの幼少期も描こうと思っていました。いや、描けるはずと信じております。プリニウス先生の意地に掛けて(ヤ)
新潮45の今月号に掲載されているプリニウス53話のラストコマ。これから自分たちはどこへいくのだろう、という思いを胸中に潜め日没の海を見るローマの兵士と、ギリシャ人の書記と、フェニキアの少年。この集まりも、多様な文化や人種、思想を正面から受け入れるローマ社会を表現するためだった
プリニウスは寛容こそ熟成した文明人の精神の基軸と提唱する古代ローマ人の話ですが、あれから2千年の時を経てもこんな有様なわけだから、寛容というのはどの時代の、どんな思想を持った、どんな立ち位置の人間にとっても、極めてハードルの高い精神性なのだろう、と改めて痛感した次第です(ヤ) twitter.com/plinivs/status…