中村佳太|KEITA NAKAMURA(@keitanakamu)さんの人気ツイート(リツイート順)

内閣府による『“おとう飯”始めよう』キャンペーンなるものを見かけたのだけど、なんだろうこの違和感は。。
先日お店に、ある金融機関の人(若い男性)が新たにこの地域の担当になったというので挨拶に来た。その人はカウンターの前にいた妻、店の奥側にいた僕と挨拶を交わし、その後は僕と話したそうに目線を僕の方に移動させた。つまり「自分が話があるのは奥にいるあなたです」という雰囲気を出していた。→
商売してる身でフェミニズムやジェンダー問題について発信してると「お客さん減るよ」って言われることがあって、そんなの知ったこっちゃないんだけど、とはいえ「実際どうなんだろ?」とは思ってた。 で、発信を始めて一年半、むしろ売上は伸びてるし、新規のお客さんも増えてる。皆さんに本当感謝。
「Twitterが殺伐としていて嫌だな」と思う事はたしかに僕もあるんだけど、でもその殺伐は、踏んづけられていた誰かが勇気を出して声を上げたことがキッカケなことも多いのではないかと思う。 だから、「殺伐としていて嫌だ」という言葉が誰かの口を塞いでしまわないか心配になるときがある。
ある新聞広告。 社会システムが悪いよ。 格差も貧困も差別も、問題は個人の意思や努力不足にあるのではなく、社会構造に原因があることはもう十分に指摘されている。 ここに書いてあるような自己責任論が、どれだけ多くの人々の口を塞いできたか。もうそろそろやめようよ。
「○○さんは優秀だから子どもを作ってそのDNAを残した方が良いよ」 と平気で口にする人が度々いて恐ろしく感じてる。 褒めてるつもりかもしれないけど、これは優生思想であって、これまで人類がこの考え方でどれだけの悲劇と犠牲者を生んできたかを忘れてはいけない。歴史から学ぶ必要性を感じる。
ジェンダーギャップ解消のために、お店を取材して下さるメディアにも対応をお願いすることにしました。伝わりますように。
本当にそう。 ミュージシャンやスポーツ選手に限らず「他のことは考えず目の前のことに打ち込むことが尊い」という価値観はいつ刷り込まれるのだろう。 思い出したんだけど、3.11の直後、「(被災していない)私たちはいつも通りに仕事をして、いつも通りに暮らすしかない」という言説が多くあって→ twitter.com/daniel_takedaa…
さっきテレビで祇園祭の山鉾巡行を見てたらこんなやり取りがあった。 (女性)「裏方ではたくさんの女性たちが活躍されています」 (男性)「本当にそうなんです。女性たちが裏で支えてくれなければ、男だけでは祇園祭は成り立ちません」 性別役割分担の礼賛はやめてほしい。
悔しいので吐き出す。 何度でも言いますが、うちの店では僕とパートナー(女性)の立場は対等です。 今日、二人ともが話したことがある営業さんから電話が掛かってきて、パートナーが出たら「旦那さんに変わってください」と言われ、僕が話を聞いてみると、どちらが話を聞いても問題ない内容だった。
「自分は自分の仕事をするしかない」という物言いは、一見、プロっぽいカッコいいセリフの様でいて、実際にはより広く社会について考えることを放棄している。 音楽もスポーツもその他のどんな活動も、社会の中で営まれてる。自分の仕事に囚われるのではなく、もっと広く考えることが大切だと思う。
コーヒー業界で度々聞く話として、お店で女性のスタッフが男性客からハラスメントにあっても、店長はその女性をバックヤードに下がらせるだけで客に対しては何も言わない、ということがあるそう。 なぜ加害者である男性は何事もなく店を利用し続けられて、被害者が店頭から外れなければならないのか。
女性と男性で事業をしている友人から聞いた話。 テレビの取材を受けたのだけれど、取材陣は男性にだけ話を聞き、女性は男性の横でカメラに映った以外、話を振られることもなかったそう。マイクも1つだけで、男性にだけ用意されていた。事前に「2人で事業をしている」と伝えていたにも関わらず。
「見守っててね、おかあはん」とか 「“おとう飯”なら(立派じゃなくて)いいんです!」とか。。 それって、母親が作る料理は立派じゃないとダメってこと??
「“ジェンダー平等”を他人に押しつけて、今のままで幸せな人の選択肢を奪わないでほしい」 というコメントがきて、頭を抱えてしまった。
Twitterでは「こんな店では買わない」とか書かれるので、それを見て不安になる経営者もいるかもしれないけど、大丈夫です。 全国のジェンダーギャップに問題意識を持っている店舗の皆さん、あまり心配せずに思っていることを発信して下さい。商売的に問題にならないことはうちの経験が示してます。
色んなテーマで建設的に議論していた相手(男性)が、ジェンダーギャップの話題になった途端に会話が噛み合わなくなるケースが続いている。悲しい。 女性差別に関する前提があまりにも違っていて、「考えたことがないんだな」というのがその言葉から伝わってくる。
僕はこれに強烈に違和感を持った。「いやいや、この非常時にいつも通りにしてる場合じゃないでしょ!」って。 「地震や原発の状況を追いかけ、政府や専門家の発信に注意を払い、これから社会がどうなるのか、これから自分はどうするのか、自分の頭で考えなきゃダメでしょ!」と思ったのを覚えてる。→
「人生は自分次第」だなんて言えるのは、特権側にいるからだよ。
男女の夫婦やカップルの名前は「男→女」の順で表記されるのがメディアでは通例で、「山田太郎さん・花子さんご夫妻」の様に書かれる。 そんなジェンダーの「当たり前」を変えたくて、今度うちのお店を掲載してくれる雑誌の記事では、僕たちの名前の並びを逆の「女→男」にしてもらうようお願いした。
「実際に男が代表者であるケースが(統計的に)多いんだからそう思うのは仕方ないじゃないか」との意見もあるが、これは言い訳だ。 自分の意識を変え、 「なぜいま代表者に男性が多いのか?」 「そうなっている背景に社会の構造的差別はないか?」 これらこそ問われなければいけない。→
「取引先に迷惑がかかる」のメッセージで対応を検討させるという、極めて日本的な感じがすごく嫌です。 #インボイス制度反対 #STOPインボイス
「家族のために頑張るのが愛」 「自分を犠牲にするのが愛」 「尽くすのが愛」 みたいな価値観を、もうこれ以上押し付けないでほしい。 まずは自分を大切にすることが、家族や他の人に愛情を注ぐためにも大切だと思う。
「政治家に女性が少ないのは政治をやりたい女性が少ないからでは?」 「数学科に女性が少ないのは数学が得意な女性が少ないからでは?」 「コーヒー焙煎家に女性が少ないのは焙煎したい女性が少ないからでは?」
「男女ふたりでお店をしている場合、責任者は男性の方である」との偏見(ジェンダーステレオタイプ)に基づいたものだろう。 これは男女でお店をしている人なら誰しも経験のあることではないか。 なお、うちでは二人の立場は対等で、HPでも名刺でもどちらか一方が責任者に見える表記はしていない。→