嫌いなら嫌いでいいから、嫌いな人に関わらなければいい。嫌いなのにわざわざ絡みにいくのは「相手に自分の要望に合わせて変わって欲しいという甘え」があるからです。
誰が何を思って、何を話していて、どこで何をやっていようと、別にあなたには関係のないことです。日本人は他人に関心を持ち過ぎてます。自分のことにもう少し集中した方がいい。
人生は自分が思うよりもあっという間に終わります。限られた短い人生だからこそ、ネガティヴなことを考えて落ち込むよりもポジティブなことを考えて前向きに今できることに取り組むのが正解なのです。
嫌われても気にしなくていい。みんなから好かれることも、みんなから嫌われることもありえないのだから。少しくらい、自分のことを嫌う人がいた方があなたらしい生き方なんですよ。
過去のことは損切りしていい。 今とこれからのことだけを、考えればいいのです。
攻撃的な人は自分を被害者だと思っていて、自分が加害者になっていてもそれを自覚できないのです。攻撃されてやり返してしまえば、徹底的にあなたを加害者として執拗に復讐してくることでしょう。攻撃されても、相手にしないことです。
自分のことだけ考えていてもいい。他人のことを考えたところで、他人であるあなたにできることは限られている。それなら、まずは自分のことだけ考えて、自分のことに集中していればいい。自分が確立されていれば、いざという時に他人を助けることができます。自分のことが疎かなら、それはできない。
なんでも言えて、なんでもしていい関係なんてない。
嫌われても気にしなくていい。嫌われる勇気があるからこそ、人は本当の意味で成功と幸せを手にすることができる。嫌われないように、他人の顔色ばかりうかがって生きているようでは人生は他人に振り回されるだけです。
自分が間違っていると思うことは、絶対にしてはならない。自己肯定感が低い人は、つい惰性で自分が間違っていると思うことをやり続けてしまっている。そうやって自分を騙して、本心とは異なることを続けていると自己肯定感は下がり続けるばかりです。
心を病んでいるのなら、とにかく人並みの生活を無理にしようとしないことです。自分のペースで、心地良く過ごせるように意識してください。あなたには幸せになる権利と能力があるのですから、これ以上は自分を責めなくていい。
孤独はあなたを強くして、賢くさせる。1人になるからこそ、あなた独自の価値観や感性を育てることができるのです。それは、成功した幸せな人生には不可欠です。成功している人ほど、孤独に慣れてそれを楽しんでいる。
嫌われたところで少し嫌な思いをするだけで、特に実害もなければ時間が経てばスッキリします。やりたいことをやって、言いたいことを言って離れていくような人は、最初からいらなかったのです。
他人にしたことや思ったことは、良いことも悪いことも自分に返ってきます。心には「返報性の原理」があり、人にしたことはそのまま自分に返ってくるからです。
強く心の中で願ったことは、そのまま現実になります。良いことも悪いことも、そのまま現実化させる力が心にはあるのです。その証拠に、不幸な人はひたすら反論やできない理由探しをしているではありませんか。幸せな人は、自分や他人の幸せのことばかり考えています。
人によって態度が違う人は、信頼するに値しない人です。自分さえ良ければいいと思っているからです。
人が変わるためには、今の自分を否定するという苦痛に耐える必要があります。ただ、苦痛に耐えたその先には、素晴らしい人生が待っています。
本当に自分に自信のある人は、自分の非を認めて謝れる人のことです。つまらないプライドを守るのに必死な人は、自分に自信のない人です。
どんどん嫌われましょう。あなたを嫌いになる人と同じくらい、あなたを好きになる人が出てきますからね。
不機嫌になられても、自分が悪いと考えなくていいですよ。露骨に不機嫌な態度を出す方が圧倒的に悪い。
過去に他人から何を言われようと、何をされようと、あなたの価値は減らない。あなたの価値はあなたが決めるあなたの課題であり、他人が決める他人の課題ではない。他人からどう思われようと、そんなことはどうだっていい。あなたの中に後ろめたい気持ちがなければ、自分に自信を持って生きてください。
あなたの悪口を言う人は、あなたのことが嫌いなのではなく自分自身のことが嫌いなのです。悪口とは、自分の嫌なところを他人に投影しているだけのものだからです。
どう思われるかより、どうありたいか。
これまで色んなことを乗り越えてきたあなたなら、どんなことでも同じように乗り越えられる。
他人への関心は優しさ以外は余計なお世話です。自分のことだけを考えていればそれでいい。他人が何を考えていようと、何をしていようと、他人であるあなたには無関係です。どうでもいいような他人事で頭を悩ませるあなたは、自分の人生から逃げているだけ。