他人があなたの悪口を言う理由は、あなたのことが嫌いなのではなくてあなたに腹を立てる自分への不快感が嫌だからです。
人はみんな自分のことを世界の中心的な存在だと思い込んでいて、長い人類の歴史の中で自分が生きる80年程度の短い時間をまるで人類史のクライマックスのように捉えている。実際のところ、人ひとりの存在なんてちっぽけ過ぎてあってないようなもの。自分が自分を思うほど、他人は自分に注目していない。
何か大きなことをしようと気負う必要はない。今の時点で、自分に与えられた選択肢の中からできることを全力でやり抜くこと。焦ることなく今を真剣に生きるからこそ、他の可能性も見えてくる。
自分の理想にこだわるのは、もうやめにしましょう。理想と現実には常に乖離がつきもの。自分の中の完璧な空想にこだわっているばかりでは、現実は何一つとして変わりはしない。夢は見ている時が一番楽しいものですが、いつまでも夢の中で生きるのではなく、現実を生きましょう。
自分の欠点をすべて自分の生まれ持った条件や生い立ちのせいにして、反省したり改善する意思のない人とは関わらない方がいい。こういう人たちは被害者意識が強いので、普通の人よりも努力しなくても普通の人と同じ幸せを得られて当然だと勘違いをしているからです。一緒にいると奪われるばかりです。
何度も同じ質問をしてくる人は、忘れているのではなく不安を感じています。同じように回答を繰り返すのではなく、安心させてあげることを心がけましょう。
頑張ってもできないことはできないし、できることはできる。自分を苦しめるこだわりを捨てて、人事を尽くして天命を待ちましょう。結果は神のみぞ知ることであって、人間風情が正確に予測することは不可能です。
頭のおかしい人は自分がおかしいことを疑いもしなければ、自分と向き合う勇気を持たないので永遠に自覚しない。おかしい人からすればあなたの頭がおかしいのです。もう徹底的に関わらないようにするしかありません。
批判的に物事を捉えて、皮肉な反論ばかり口にする習慣は、あなたの人生を不幸で貧しいものに変えていく。
自分の中にある「こだわり」を捨てて、執着心を手放せばどんな悩みもどうでもよくなる。
あなたを嫌う人は、あなたを嫌っているのではない。あなたを嫌う自分自身を嫌っているのです。自分の中で嫌だと思うことを、あなたに投影してあなたを嫌っているからです。
大丈夫、心配したところで不安の9割は実現しませんから。
言いたいことを何でも言えて、何を言っても許してくれる人はこの世にはいない。そのくらい分別できて当たり前ですし、大人なら自分の機嫌は自分で取り、相手を気遣う姿勢を持つべきです。
自信があるかどうかはどうでもいい。ただ一生懸命にやれることをやるだけです。一生懸命に頑張った経験こそが宝なのです。
「こうなったらどうしよう…」という不安が頭をよぎる時には、それが起きる確率は平均するとどれくらいなのか考えてみよう。低すぎるリスクを恐れていたら、本当に何もできないまま人生が終わってしまいますよ。
時には何も考えず、やってみたいことはとりあえずやり始めてみましょう。やる前から悩んでいても、やってもいない状態で見えることは当てにならない。やってみてから考えるのです。
気分が落ち込んでどうにもならなくなったら、とにかく目の前の作業を無心になってこなしていきましょう。そして、手当たり次第、今の自分に出来ることを徹底的にやり切るのです。目の前のことに没頭することこそが、心を落ち着かせて、自分を取り囲む現実を変える最高にして誰でもできる方法なのです。
嫌いなら嫌いでいい。 嫌い嫌いと言いながら、悪口を言ったり嫌がらせをするのは「あなたのせいで私は幸せになれません」って自分の不幸を他人のせいにしてるだけ。嫌いな人に依存して、自分が幸せになれない言い訳をして逃げているだけです。嫌いなら、離れましょう。
幸せは自分の中にあるものであって、自分の外側にあるものではない。誰でも今すぐに幸せになることはできるのです。何かがあるからとか、誰かがいるから幸せになれるのではなく、自分で自分が幸せであることを許可してあげるだけでいいのです。
何かに挑戦しようとする時に、一番の弊害になるのは「むずかしい」という自分の中で作り上げた思い込みです。とりあえずやってみて、軽い気持ちで少しずつでも続けていけばいいのです。そのうち結果が付いてきて、楽しくなってきますからね。
他人にどう思われようと、そんなことは他人が決める他人の課題。自分では変えられる自分の課題ではないので、気にする必要も価値もない。自分の課題に全集中していればいい。
人はみんな生まれ持った条件を持っており、惰性に身を任せれば与えられた運命を辿るようになっている。生まれ持った運命に抗って、思い通りの人生を生きたいと思うのなら、意志の力で自分を律することが必要です。
他人が自分の期待通りに動いてくれることはありえない。他人のことは自分にはどうにもならないと諦めることは、消極的な努力ではなく積極的な努力です。
嫌われたからって自分には価値が無いということにはならない。他人が自分をどう思うのかは、自分で決める自分の課題ではなく他人が決める他人の課題だからです。自分の価値は自分で決める自分の課題です。たとえ多くの人に嫌われたとしても、それはこの世界の一部の人たちに嫌われているだけのこと。
無駄になる経験は一つもない。何もせずにダラダラと過ごした経験も、次のことに備える為の準備にもなればその間にも新しい知見が得られているのです。これまでの経験を無駄だとは思わず、最大限に活用する心がまえでいればいい。