欲求不満な人は、時に悪いことをしてでも注目を集めようとします。
男の出しゃばりは自分の「有能さ」をアピールする目的があり、女の出しゃばりは「注目」を集めたい目的がある。他人があなたをどう思うのかは、他人が決める他人の課題です。自分の課題ではないので割り切りましょう。それに、他人はあなたが思うほど、あなたに関心すらありませんからね。
注意や指摘は、あなたの行動や言動の一部を否定しているのではあり、あなたの人格そのものとは無関係です。反論されても、自分の人格を否定されていると捉えるのは、自分に自信がないだけです。
批判してくる人で、自分よりもスゴい人は滅多にいない。いたとしても、既に落ちぶれ始めている人です。忙しい人は批判なんかしてるヒマはない。
つらいことがあっても、失ったものよりも、つらいことから得られたものに目を向けましょう。どんな経験にも、自分にとってプラスになる要因があるものですから。
他人の意見には無理をしてまで共感しようとする必要もなければ、理解しようとする必要もない。逆に、自分の意見を分からない人にまで共感させようとしたり、理解させようとしなくていい。理解してもらう必要がある人は限られている。
すると、雑に扱ってくるパワハラ上司からのちょっとした優しさに「こんな自分を受け入れてくれる神様のような存在」だと勘違いしてしまい、もっと役に立ちたいとか、もっと相手を喜ばせたいと思わされてしまうのです。こうなるともはや正真正銘の社畜にされてしまいます。(続く)
自慢をする人は劣等感の塊です。わざわざ自慢をするということは、自分に自信がなくて本心では周りから下に見られていないか不安で堪らないのです。マウントされても、腹を立てるよりも「可哀想な人だな…」とでも考えてスルーしてあげましょう。
思いやり搾取をする被害者意識の強い人は、誰かに幸せにしてもらえて当たり前だと思っています。つまり、すべて他人のせいにしているので、永遠に優しさを無心してくるのです。 不幸な人に同情してもムダに終わる衝撃の理由note.com/adlersalon/n/n…
誰が何を思って、何を話していて、どこで何をやっていようと、別にあなたには関係のないことです。日本人は他人に関心を持ち過ぎてます。自分のことにもう少し集中した方がいい。
他人の目をいくら気にしても、それはあなたの自己満足です。他者評価よりも自己評価を優先しましょう。他人からどう思われようと、自分の世界で自分が大好きならそれでいいのです。
言いたい放題、やりたい放題が許されるような関係は存在しない。礼儀とマナーをわきまえられないのなら、そんな関係はすぐに壊れてしまいます。
意見の食い違いからケンカになった時には、自分から一枚上手になって相手の言い分を受け入れてあげましょう。それができないのなら、相手が食い下がらないと関係修復は不可能です。
あんまり人の話に反論ばかりしていたら、誰も話してくれなくなりますよ。他人には他人の価値観がありますので、それはそれで受け止めて話を合わせることも大切です。
あなたは他者の期待を満たす為に生きているのではない。そして、他者もまた、あなたの期待を満たす為に生きているのではない。自分と他人の課題を区別して、自分の人生を生きましょう。
あなたが今、辛い思いをしているのは、あなたがこれから幸せになる準備期間だからです。辛い経験をするからこそ、幸せになれるのです。
誰にでも失敗はある。間違えないなら人間ではない。失敗するからこそ、改善できるのです。何も間違えないようにしていたら、何もできなくなる。失敗が悪いのではなく、失敗をどう扱うのか次第です。
理解してもらう必要はない。分かり合えない人だっているものだから。みんなと仲良くなれたり、分かり合えることはありえないんです。
無駄な努力なんて一つもない。無駄になるとしたら、無駄だと決め付けて無気力になっているだけです。努力さした分だけ、あなたは前に進めているのです。
優しさを搾取してくる人からは離れましょう。優しさを搾取してくる人は、無自覚にあなたを自分が幸せになる為の道具くらいにしか考えていない。
どう思われるかより、どうありたいか。
迷惑をかけて嫌われても、自分を責めることはありません。あなたがどれほど迷惑をかけていたとしても、露骨に嫌な態度を出してくる人の方が圧倒的に悪い。迷惑をかけたことは反省するべきですが、嫌われることは気にしなくていいのです。
不機嫌な人に気を遣う必要はありません。不機嫌な態度を出している人が圧倒的に悪いのですから、自分が何か悪いことをしたのかなんて考える必要もない。
どう考えても間違っていることを正しいと思い込んでいる人は、勘違いしたいだけなのです。事実を認めたくない、現実を見たくないだけなのです。見たいものを見て、聞きたいことを聞いて、信じたいものを信じる弱い人なのです。どのようなものであれ、その人の理解度がその人の限界なのです。諦めよう。
自分の未熟さや過ちを、過去の自分の不幸のせいにして許されて当然だと考えるのはやめましょう。今の自分次第でいくらでも克服できるのに、わざわざ幸せになれる権利を自分から放棄しているようなものです。