maromiso(@maromiso1)さんの人気ツイート(古い順)

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鬼滅の刃の遊郭が注目されています。以前も触れましたが、大正時代にあった差別的な価値観を今なお継承して、まるで現代の事のようにその価値観を肯定しながら作品を見るのと、現代とは違う時代の古い価値観だと分かった上で見るのとでは、全く違います。私は前者がマジョリティではないと信じたい。
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メルトダウンが3機も起こり、10年たってもなお人が近づけない強度の放射線を出し続け、落ちた核燃料周辺の状態を把握するのも簡単でなく、今なお地震で事態が悪化するような状況で、なぜ、怖いと言う事がタブーのような空気があるのか全く理解できません。私は心から怖い。 tokyo-np.co.jp/amp/article/87…
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Eテレの改変で「おかあさんといっしょ」の放送時間が変わるとの事ですが、まずこのタイトルを変える事が何より先ではないかと私は思います。あまりに古い価値観に基づいたタイトルです。未来に向かう子供達に、どんな価値観を見せどんな社会を作るべきか、私たち大人は真剣に考えなければいけません。
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「差別に対しては優しく訴えるべき。じゃないと聞いてもらえない。対立を強めるだけ。」 これらは、被差別者の訴えに対して、反発するか無関心かのどちらかで受け止めることすらができない人がマジョリティだからこそ出る意見であり、日本社会の抱えるあまりに悲しい現実を示していると思います。
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差別の訴えに対して、被差別側にその訴える態度を要求し評価してしまうような、差別構造が深く根付く社会。2021年になって、こんな百年前のようなところに留まっていていい訳ありません。私は、変えたい。
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差別的な発言や差別に無理解な発言をしたら一斉に批判を浴びる事例に対し、「怖い」と感じるまではありえるとして、それが、差別しちゃってないかという自分への怖さではなく、訴える人に対しての怖さになってしまう差別構造ど真ん中の考えを持つ人が少なくないのが日本の現在地のようで残念です。
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オーストリアでは学校が再開していますが、全生徒が週2回の無料の一斉検査をしています。大学はまだオンラインですが、来る必要がある人の為に無料の検査場が用意されています。難しい技術は使っていません。国としてどう予算を使うかの問題です。日本も違った予算の使い方があると思います。
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選択的夫婦別姓が未だ実現しない日本の現状は、日本の決定層に如何に多様性がないかを表しています。言い換えれば、国もどんな組織も多様性を欠いた決定層を置くことが如何に危険かを表しています。日本のジェンダー問題は選択的夫婦別姓の先にまだ山積みであり、足踏みする余裕なんて全くありません。
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子供のいる人が不倫。これが男性だった場合と女性の場合で恐ろしいほど反応が違う。男性の場合は、家族がいるのに、女性の場合は、子供を「置いて」、となる。子供の世話をするのが女性が当たり前に果たすべき役割という前提だからそれを「置いて」となる訳です。恐ろしく差別的な社会だと思います。
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コロナ禍で感じる日本とオーストリアの大きな違いの一つが、休校と学校のオンライン化です。こちらの当たり前が日本では出来ません。記事にまとめたように日本が技術的に出来ない事は何もしてません。この違いは、やろうとするかしないか、その差でしかありません。 @frau_tw gendai.ismedia.jp/articles/-/804…
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小さい時から食事に困らずゲームやおもちゃも買ってもらい塾に通い大学に通いその学歴を使い就職し…といった人達が、自分の人生はとくに恵まれてる訳ではないごく普通の人生、と言い切ってしまう。これが日本社会の怖ろしい部分だと思います。
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本来、恵まれた立場で経験を積んだのであればその経験を社会へ貢献させていかなければ、社会構造が成り立ちません。日本のエリート層はこの意識が際立って薄い。このままでは、差別は続き、格差は広がり、この歪んだ社会構造の中で不当に弱い立場に立たされる人がより苦しくなる一方だと思います。
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日本は「天才」という言葉に溢れすぎており、また「天才」と呼ばれる人を崇めすぎだと思います。「天才」と言われている人がいるとして、その人は人間として上ではありません。全ての人間がただの同じ人間です。「天才」と呼ばれる人が勧めた事、言った事が従うべき正解でもありません。
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私は国また社会としてここまで子供を大切にしない国を見たことがありません。人間は社会を作り子供を育ててきた動物です。保護者、保育園、幼稚園、学校関係者など個人の努力に委ね、社会レベルでは子育て、教育を軽視。明るい未来に向かっているとは私には思えません。 asahi.com/articles/ASP3S…
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その方はやめた後も、運動会などの時に顔を出してくれてその時も子供達と一緒に走ったり、親とはぐれた子供と笑顔で親を探したり、一生懸命に子供達と接していました。こんなにも子供を想い、プロフェッショナルな方々が、社会として評価されず、苦労する。日本はそんな国でいいのでしょうか。
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コロナ以前から欧米などアジア圏外に住んでいるとアジア人差別を日常的に受けます。そんな中、生まれ育った日本を見ると、日本も当事者ど真ん中であるのに世界で起こるそんな事態も他人事で、他のアジア諸国を差別し、国内でも性差別や障害者差別も含め差別的な側面を放置する傾向が感じられ、さらに、
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アジア系へのヘイトがさらに広がっていますが、海外に生活していて悲しいのは、日本のこの事態への訴えの弱さです。弱いどころか、事態を訴える他のアジア諸国をヘイトしたり、日本の問題点を指摘する人への批判に向いたり、ちょっと日本社会は「海外」に対してこじれすぎていると危惧しています。
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仕事、税、選挙などの手続きにも見えますが、海外に住む日本人へすら排他的な傾向もあります。個人的な意見ですが、私はこの差別的だったり排他的な面を日本の大事にすべき特徴だとは思いません。人を想う、そんな一側面が国際社会の中で発揮される。何かそういった明るい未来が見たいと考えています。
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もちろん、姓が変わる事に前向きな人もおり、それは重要視されるべきです。しかし、生まれ育った名前を使えない場面がこれ程多い現状に、自身の存在を軽視されていると感じる事もごく当たり前に持ちうる感情の一つであり、だからこそ、「選択」できる事が人権という視点から大切になると思います。
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妻が先日、私には実態がない、そう呟きました。実態を奪ったのは私であり、選択的夫婦別姓を認めない日本政府です。旧姓を仕事で使っても、仕事で使う銀行口座やクレジットカードを作ることすら難しい。あらゆる場面でその名前の人は社会に存在しない人だと突きつけてきます。
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何度か呟いていますが、「意識高い」が嘲笑の意味を持ちえてしまっている今の日本社会はこじれ過ぎています。人類は意識を高く必死に歴史を繋いで来ました。それでも不完全な世界です。日本だってその不完全な世界の中にいるのに、なぜその外側にいるかのように意識の高さを笑ってしまえるのでしょう。
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また、個々に皆がそれぞれの価値観を大切にする事は、多様性という面からも重要です。誰かがその人の持つ価値観を必死に大切にしている。その価値観が自分の価値観と違っていたとしても、それを尊重せず、逆に笑うなどというのは、多様性の否定また同調圧力の強化でしかありません。
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「男性たちをときに追いつめる男らしさや、それを押しつけてくる社会の息苦しさは、女性蔑視の上に存在しているのだから。「男だって」と言う前に、一度立ち止まってこのことに意識を向けてみてほしい。」 とても共感します。男性にも読んで欲しい記事です。 @frau_tw gendai.ismedia.jp/articles/-/819… #FRaU
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多様性。日本には、私もですが「皆で仲良く」を叩き込まれて育った人が多いです。しかし「多様性」は「皆で仲良く」とは全く違います。「皆がそれぞれそのままで生きる権利を認め合う」、その人が好きでも嫌いでも仲良くても悪くてもその人はその人として生きていい。それが私の理解する多様性です。
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私は欧州でアジア人差別を受けていますが、白人がアジア人を好きになる事、アジア人と仲良くなる事が差別がない状態ではありません。アジア人もどんな人も、同じ人間として同じ権利を持ち、それぞれの人生をそれぞれの価値観で生きていい、それを受け入れる事が差別の撤廃であり、多様性の受容です。